法帖によっては、なんて書いてあるのか
全然見えない、読めないことがありますよね。
吉野大巨先生は「心で見るのだ」、とおっしゃって
読み下し文などを参考にしてすらすらとお手本を書かれます。
でも、先生がたまに書き飛ばされたところがあったりすると...
さて、どうしようか...?
先生に書いていただいたとおりに飛ばして書くか...?

これは少し前から私が習っている「晋祠銘」の一部です。
全然見えない、読めないことがありますよね。
吉野大巨先生は「心で見るのだ」、とおっしゃって
読み下し文などを参考にしてすらすらとお手本を書かれます。
でも、先生がたまに書き飛ばされたところがあったりすると...
さて、どうしようか...?
先生に書いていただいたとおりに飛ばして書くか...?

これは少し前から私が習っている「晋祠銘」の一部です。
左側のページは半分以上見えません。ふぅー。
先生が飛ばされたところを書いてみました。
下の半紙では「神」の字がそうです。

この場合、「晋祠銘」のほかの部分から「神」の字を見つけて書いてみました。
先生が飛ばされたところを書いてみました。
下の半紙では「神」の字がそうです。

この場合、「晋祠銘」のほかの部分から「神」の字を見つけて書いてみました。
さてつぎはこれです。

この二文字「珍羞」は見つからなかったので
そういう時は強い味方の

のお出ましです。
「晋祠銘」を書いた唐の太宗皇帝は王羲之の字をとても尊重していたので
私としては、とりあえず王羲之の書いた「珍」と「羞」をさがし、
自分が太宗皇帝になったつもりで、おおらかな気持ちで書いてみることに。
いやー、でもなかなか思ったようには書けないものです。
当然ですよね、皇帝じゃありませんから...。
「晋祠銘」を書いた唐の太宗皇帝は王羲之の字をとても尊重していたので
私としては、とりあえず王羲之の書いた「珍」と「羞」をさがし、
自分が太宗皇帝になったつもりで、おおらかな気持ちで書いてみることに。
いやー、でもなかなか思ったようには書けないものです。
当然ですよね、皇帝じゃありませんから...。
私も悩む時があります。
先生のお手本と書籍が異なる場合、どちらを優先して良いのかです。
私たち(初心者)にも分かるように、表現力を強くしているのかも知れませんね。
先日も、先生の筆圧などを感じる場面がありました。
音も無くすらすらと書く場面、そして、筆が紙をぶつかり合う音が聞こえる場面・・・。
私も日常に変化を付けて行きたいものです。
しかし・・・
未だ、見えないものは見えず、楽しむ境地には至っておりません。
*今日はある団体の宿泊研修です。
見えないところを楽しむとは・・・奥が深すぎて・・・
でも東鶴さんがおっしゃってる書の楽しみ方、面白さが最近、少~しだけ理解できるような気になっている桃太郎です。
以前は先生の書かれたお手本通りに書くことに専念しておりましたが、法帖をしっかりと観察?してから書くように心がけております。
そして、自分が大巨先生になったような気持ちで、息遣い、体の動かしかたなどを真似ています。
果たしてこれで良いのか・・・書の世界でも試行錯誤の桃太郎です。
なんでも楽しくやらなければ...
という気持ちが大切かもしれません。
試行錯誤も面白がってやりましょう!
本当は苦しかったり、面倒くさいと思ってもね。
それはそうと戸吹のお寿司屋さんの戸板研修、
鶴嶺さん、ぜひ企画してください。
文字通り楽しみながらね。
板戸研修の企画了解いたしました。
その前に、前回のお稽古の際に大巨先生から
桑原翆邦先生が実際に板戸に書かれているときのビデオをお借りしました。
それをDVDに複写いたしましたので、予習用の教材としてご利用いただければと思っております。念のため先生には複写の了解をいただいております。
そのビデオで、板戸を書き終わった翆邦先生が墨が余ってるからと条幅を数枚書かれるのですが、とても84歳の方とは思えないその筆の動きに凄さを感じました。
萬鶴さんにお渡ししておきますので、是非ご覧いただければと存じます。
鶴嶺・・・なんだか名乗れるのが嬉しい・・・
鶴嶺さんと呼べるのも嬉しいです。
桃太郎さんも良い名前ですので適当に使い分けを!
桑原翆邦先生のビデオ、楽しみです。
今となっては大変貴重なものと思います。
今度話のタネに「得所」の額をアップします。
「得所」・・・その額は確かどなた様か忘れて
しまいましたが、面白い読み方をされた額では?
「得所」の額のアップとお話し、楽しみにしております。