ボンカレーって皆さん、ご存知ですよね。
今回はこの日本初のレトルトカレーにまつわるお話です。
3月5日の土曜日、吉野大巨先生のお稽古場で...。
中田仙鶴さんと私が「加齢」を話題にしていました。
仙鶴さんは、始めて「かれい」という言葉を聴いた時、「加齢」のこととは思われなかったそうです。
と、そんな話を2人でしている時、吉野先生が出されたのが次の桑原翠邦先生の書。
「滴翠山房」 という桑原翠邦先生の半切横判でした。
谷川北先生がお持ちのものだそうです。
この落款にご注目!!
「凡加齢(ぼんかれい)魚目八十二」
以下は、吉野大巨先生からお聞きしたエピソードです。
桑原翠邦先生は、当時、お昼に時々ボンカレーを召し上がっていたそうです。
そこでお弟子さんが気を利かせてボンカレーの詰め合わせを先生に差し上げたところ
ご覧になった先生は「何それ?」とおっしゃったとか...。
結局、桑原翠邦先生はボンカレーが箱に入ったレトルト食品とは
ご存じなかったのかも...。
それはともかく、そんなことがあってのことかどうか、
「凡加齢魚目」の落款が生まれたようです。
とっても洒落っ気たっぷりの先生でいらしたようで、何かほっとしますよね。
ああ、大塚のボンカレー食べたくなってきたーっ。