すぎなみ民営化反対通信

東京・杉並発。「一人が万人のために、万人がひとりのために」をモットーに本当のことを伝え、共に歩んでいきたいと思います

7月30日杉並区主催「放射線に関するシンポジウム」で原発推進御用学者が「放射能安全」デマ講演

2011年08月17日 | 杉並田中区政批判

 はじめに 

 放射線というものは人体に破壊的致命的な悪影響を及ぼす危険があり、およそ安全などと言えるものではまったくない。ヒロシマ・ナガサキの原爆投下と被爆によるおびただしい犠牲、被爆二世三世にまでわたっている影響に明らかな通りだ。

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(原爆の投下・爆発と同じものが人体・健康に「影響がない」「安全」なはずがない!)

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        (福島第一原発事故はヒロシマ、ナガサキに次ぐ「第三の原爆」だ)

 にもかかわらず、こともあろうに未曾有の原子力災害たる福島原発事故直後から、雨後のタケノコのように「放射線量の低い・高い、どの程度なら安全で影響がないか」「確かに放射能には危険性もあるが、まだこの程度では危険とはいえず、健康への影響はほとんどない」などという議論が、福島第一原発事故と大量の放射性物質の拡散のもとにありながら、政府御用学者サイドからまきちらされている。

 「放射性物質」とか「放射能汚染」というとまだまだ抽象的だが、この際あらためて、紛れもなく「死の灰」であり「黒い雨」であり「猛毒汚染水」のことだということをハッキリさせるべきでしょう。

 福島第一原発事故はその発生した熱量から換算すれば総量で、広島に投下された原子爆弾の約29・6個分の爆発による放射能に匹敵する放射性物質を排出している。原爆(核兵器)と原発(原子力発電)は、形こそ違え、人体への影響では変わるところはない、人類(人間・人間社会)とはまったく相いれないものだ。どの程度なら安全なのかではない!百パーセント危険なのだ。

 

 実際に、福島では原発事故以来、子どもたちに、それまでは見られなかった鼻血をはじめとする独特の症状が大量に認められている。既に福島では子どもたちの大半が甲状腺を放射線被曝している。この甲状腺がんにつながる放射性ヨウ素による放射線被曝は福島原発事故による放射線被曝以外に原因は考えられない。放射能から子どもたちを守りたい、放射能の危険からせめて子どもたちだけは逃したい、救いたいという親たちの行動が実際に何千何万という規模で起きている。そして放射性物質の大量の大気中への排出と汚染水の流出によって、福島にとどまらず首都圏・関東圏から全国にまで拡散していることから、全国各地で放射能から子どもたちを守れという声が母親たちからあがり、行動が始まっている。当然だ。

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(群馬大学早川由紀夫教授作成の福島第一原発事故の「放射能分布図」・・・火山灰同様に気象、風向き等にそって拡散する。実際のきめ細かい測定値のドットマップと気象状況の照合で精細な分布図・分析図となっている)

 子どもたちをはじめ私たちは例外なく、福島第一原発事故による放射能汚染と放射線被曝の危険のもとにさらされている。ここに誇張はない。

起きている危険を「安全」「人体・健康に影響なし」と強弁・・・・「日本の原子力ムラ」の御用学者の犯罪的役割・・・・杉並「放射線シンポジウム」弾劾

 この放射能汚染・放射線被曝の危険という実際に起きている大状況の中で、「危険はない」「人体や健康に影響はない」と大ウソをつき、危険この上ないものを「安全」と説明し、逆に「安全なものに対して『危険」だと過剰反応するストレスのほうが健康に良くない」というデタラメな暴論をばらまく動きが始まってる。いま全国各地で始まっている「原子力の専門家」「放射線の専門家」をかたる「御用学者」を使っての大キャンペーンにほかなりません。この原発推進の御用学者を使ったキャンペーンの特徴は「専門家」「科学者」の権威を使って「放射線についての正しい理解」という打ち出し方をしているところにあります

 7月30日に杉並区主催で産業商工会館で行われた「放射線に関するシンポジウム~放射線を正しく理解するために」はその一環です。パネラーは以下の二人でした。

 ★大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構名誉教授(←何とも長ったらしい、それ自体何ともいかがわしい肩書き!日本における加速器研究・開発の歴史は1930年代から第二次世界大戦の渦中での軍部要請に応えた原子爆弾開発と一体。仁科芳雄の理化学研が先頭に立っていわゆる二号研究を担った。敗戦後、GHQの指令で仁科研の加速器サイクロトロンは破壊された。・・・この経過・脈絡をみれば「高エネルギー加速器研究」の目的もうかがい知れるというものです。加藤和明らの「高エネルギー加速器」研究・開発の志向からすれば、放射線量やその測定という場合も、決して規制・抑制という立場からの測定とはなるはずもありません。高放射線量は「高エネルギー加速器研究・開発」の推進学者にとっては決してネガチブな問題ではないのです放射能から命を守るという立場からの放射線量の位置づけやその測定の問題意識は当然に出てきません!杉並シンポジウムでの加藤の基調講演のテーマは以下のようになっていますが、この点は予めおさえておいたほうがよいポイントです。)加藤和明、話の内容は『放射線の基礎や放射線の測定、防護などについて、専門家の立場から』

 ★独立行政法人国立がん研究センターがん予防・検診研究センター予防研究部長・津金昌一郎、話の内容は『放射線の健康影響、特に放射線と発がんなどについて、医学的立場から』

 そこで当サイトとして ①加藤和明の言説批判、②津金昌一郎の言説批判の2回に分けて、批判・弾劾します。今回は、その①です。

 加藤和明の『3・21緊急声明』に「放射線安全」論の目的は明らか

 この加藤和明という「学者」は、東日本大震災・福島原発事故の直後、3月21日に、NPO法人・放射線安全フォーラムの理事長として、『東日本大震災に伴う福島原発事故への対応について』と題する緊急声明を出している。通常、事故の場合の緊急声明とはネガチブな事態に対する抗議や事故がひきおこした結果や危険に身構えることを呼びかけるものだが、加藤の緊急声明は逆である。福島原発事故の爆発という未曾有の事態に対して、放射能災害のおそるべき危険、放射性汚染物質の拡散と放射線被曝の危険に対する「いのちを守れ」という立場からの緊急の警鐘乱打ではない。正反対に「心配いらない」「危険はない、安全だ」「大騒ぎするな」というものだ。加藤和明こそ、政府・電力資本・原発擁護マスコミと同じ「日本の原子力ムラ」の最悪の悪玉、最先兵だ。

 加藤はこの『3・21緊急声明』でどんなことを言っているか?7月30日の杉並「放射線シンポジウム」でのパネラーとして加藤は、色々なことを述べてはいるが、その核心にある動機、目的、論理は、この加藤の『3・21緊急声明』のほうがあけすけで、わかりやすい。加藤和明はこの『3・21緊急声明』のきわめて政治的実践的な内容でその大キャンペーンとして杉並はじめ各地での「放射線安全」宣伝に臨んでいる。そこで杉並シンポジウムでの加藤基調講演を弾劾する前に、同声明からそのまま引用したうえで、その許せないイカサマとインチキを批判しておきたい。(「青文字」加藤が『3・21緊急声明』で言っていること。コメント()は当サイトとしての暴露・批判)

 「 1  一般人に対する線量限度『1年につき1000マイクロシーベルト』は、特定の放射線量の使用に伴って国民一般に与える放射線のインパクトをここまで抑え込もうという“約束(もしくは取り決め)”であって、安全と非安全(安全でないものが即“危険”ということにはならない)の境界を意味するものではない」 

  どこをどうおしても、「一般人に対する線量限度」とは、一般人に対してはこの線量を超えることがあってはならない、これ以下でなくてはならないという規制値、その上限基準だ。他に理解や解釈のしようはない!これを規制値や上限基準値ではないと強弁するために、「ここまで抑え込もうという“約束(取り決め)”」に勝手に「定義」し、遵守しなくてもよい、法的拘束力・規制力のない単なる努力目標のように扱っている。年間1000マイクロシーベルト=1㍉シ-ベルト(1日2・74マイクロシーベルト、1時間0・11マイクロシ-ベルト)とは、ICRP(国際放射線防護委員会)勧告が定め明示した「一般公衆が1年間にさらされてもよい人工的放射線の限度」だ。「年間1㍉シーベルト」では福島原発事故と事故対応では不都合が出てくるので、これを守らなくてもよい「約束」「取り決め」として反古にすることにしたということだ。そもそも、このICRPの示す規制値「年間1㍉シ-ベルト」についてもヨ-ロッパの委員からは「規制値として緩すぎる」という厳しい批判が相次いでいることを確認しておこう。ところが加藤は、このICRP規制値は「守らなくてもよい」単なる取り決めに過ぎないと言いだしているのだ。

 ★ しかも加藤は、念には念を入れて、イカサマ・インチキにダブルフックで、コトバの保険をかけている。安全と危険という分け方をしない、安全か非安全かを分けるひとまずの目安は示されてはいるが、安全でないものが即危険というわけではない、というのだ。これは詭弁であり言葉を弄ぶものだ。危険なものを「危険ではない」「安全だ」とクロをシロと言いくるめるためにこういうコトバの手品をやって、人の目を欺き、批判をかわせると思っているのだ。人を見くびるのもいい加減にしろ。

「 2 “長さ”、“重さ”、“時間”の大きさの判断基準は、人間の身体(身長、体重、心拍)との比較で容易にできるが、放射線・放射能の場合には単位(「『シーベルト』『ベクレル』等)に馴染みが無いため、数量を示されても“それの意味するところ”を理解できない人が多い」

 ★ ここで加藤が言っているのは、「何㍉シーベルト」だ「何ベクレル」だと言っても専門家ではない一般人にはどうせ理解できないのだから、これから自分(「専門家」である加藤)が示す数字だけを頭に入れ、自分が言うとおりに判断すればいい、ということだ。どうせわかりっこないのだからと、人を見下し、俺が言っていることに従え、と言っているのだ。では、加藤が示す「わかりやすい目安」=「判断基準」とはどういうものか?

「判断の基準には日本国民が1年間に受けている放射線の総量の1人当たりの平均値である『約4㍉シーベルト』と“一度に全身に浴び何の治療をも受けない”ときに“急性放射線症”により死亡するに至るかもしれない値『7シーベルト(=7千㍉シーベルト=7百万マイクロシーベルト)』を使うことを推奨する」

 ★ ここまでくると「放射線の専門家」と一応自称してはいるが、加藤和明なる人物が専門家でも何でもない、実にデタラメでいい加減な放射線擁護の御用デマゴーグであることがはっきりする。

 ① ここで加藤が言っている「約4㍉シーベルト」というのは、一体どういう計算、根拠で言っている数値か?核実験や原発事故で問題となるこれまでの議論のテーマであった被曝限度である「1年間に一般人でさらされてよい人工的放射線限度」に関する知見に属するものではないことだけははっきりしている。これは全世界共通の規制値「年間1㍉シーベルト」を何が何でも否定したいがための加藤の立場性ゆえの計算に基づいている。

  杉並シンポジウム発言でもそうだが、加藤は、実際に原発事故による放射能被害=人工的放射線限度がいま問題になっているというのに、自然界から受ける放射線量(日本人:年間1人あたり平均1・48㍉シーベルト)に医療で受ける放射線量(年間1人あたり平均2・25)を加えた総量を「国民線量」と一方的に定義して、ここで持ち出し、別に原発事故がなくても、普段から3・75㍉シーベルトの放射線を受けていて大丈夫なのだから、放射線量の安全判断の「被爆限度」としてICRPの定めた基準規制値「年間1㍉シーベルト」を判断の基準にするのはおかしいと屁理屈をこねているのである。これが加藤の「約4㍉シーベルト」論のすべてだ。

  要は、加藤は、「一般人が1年間にさらされてもよい人工放射線限度は年間1㍉シーベルト」というICRP規制値を反古にするために、それを勝手に「日本人の年間の国民線量」に置き換え、日本では、それを「一般人が1年間にさらされてもよい放射線の限度」とするべきだと言うのだ。こんなデタラメでふざけた話はない。日本人とアメリカ人、日本人と中国人、日本人と・・・・では、同じ人間でも放射線の被曝限度は違うとでもいうのか。日本人の場合には「国民線量」が高いので1㍉シ-ベルトを超えても大丈夫だ、日本人は「放射線に強い国民」だとでもいうのか。これは真実でもデーターでも科学でもない。

 ② 次に「一度に全身に浴び何の治療をも受けない”ときに“急性放射線症”により死亡するに至るかもしれない値「7シーベルト(=7千㍉シーベルト=7百万マイクロシーベルト)」を使うことを推奨する」と言っている7000㍉シーベルトの問題。加藤は、「死亡に至るかもしれない値」として7000㍉シーベルトの線量を取りだしている。加藤は「年間約4㍉シ―ベルト程度の線量は、普段からみんなが日常受けている線量で全然問題ない」ということと、「しかし一度に全身に浴びる線量が7000㍉シーベルトとなると治療を受けないと急性放射線症で死亡するかもしれないから注意したほうがいい」ということだけを頭に入れておけばいいというのだ。では7000㍉シーベルトまでは考える必要はないとでも言うのか。冗談ではない!

 ▲ 広島原爆での爆心地から12㎞地点での被曝量は2㍉シーベルトだ。この12㎞県内の直接被曝は原爆手帳が与えられる。

 ▲ 10㍉シーベルト。これは日本国原子力安全委員会の指針での一般人の「屋内退避」の基準値だ。

 ▲ 20㍉シ―ベルト。これはアメリカの放射能汚染対策で汚染地域からの移住のしきい(敷居)値として示されている数値だ。

 ▲ 50㍉シーベルト。これは日本国原子力安全委員会の指針で、示されている一般人の「避難」基準値であり、また自衛隊・警察・消防が「1年間にさらされてよい放射線の限度」値だ。

 ▲ 81㍉シーベルト。これは広島原爆の爆心地から2㎞地点の被曝量だ。原爆投下後2週間以内に爆心地から2㎞以内に立ち入った入市被爆者と認定されると原爆手帳が与えられる。

 ▲ 100㍉シーベルト。この線量だと人間の健康に確実に影響が出ると証明されている放射線量の最低値だ。

 ▲ 250㍉シーベルト。一度に浴びた場合も蓄積した場合も白血球が減少する。

 ▲ 500㍉シーベルト。一度に浴びた場合も蓄積による場合もリンパ球が減少する。

 ▲ 1000㍉シーベルト。悪心(吐き気)、嘔吐、水晶体混濁等の急性放射線症をひきおこす。

 ▲ 2000㍉シーベルト。出血、脱毛。5%の人が死亡する。

 ▲ 3000㍉シーベルト~5000㍉シーベルト。全身に浴びた場合には50%の人が死亡する。局所被曝の場合には3000㍉シーベルトでは脱毛、4000㍉シーベルトでは永久不妊、5000㍉シーベルトでは白内障や皮膚の紅斑。

 ▲ 7000㍉シーベルト以上。99%の人が死亡する。頭部や胴体ではなく手足だけ被曝した場合には重篤な熱傷で機能障害。

 以上列挙したのはいずれも目安だが、加藤がどれほどいいかげんで、いいかげんなだけでなく、どれほど人命無視の放射線信奉者で、どれほどひどい真実の隠ぺい・抹殺を行っているかは、縷々指摘するまでもなくハッキリしている。加藤の「放射能安全」論=「7000㍉シーベルトを目安として推奨」というのも、99%の人が死ぬような線量についても「急性放射線症で治療をうけない場合死亡するかもしれないから注意したほうがよい」という程度のものでしかないのだ。加藤の論は、もはや放射能被害からの防護の論ではない。放射能による大量殺人の容認の論である。

「関係者は至急調査し、現時点において持ち合わせている“知識”と“経験”と“関係する諸々の束縛条件”を総合的に勘案し、“暫定基準”の妥当性を検証すべきである」

 ★ 加藤和明の「緊急声明」は上記のように結ばれている。これが加藤の『3・21緊急声明』の目的だ。加藤が言っているのは、これまでの放射線量規制値(被曝限度)等に関する国際的なルールや指針、国の原子力安全委員会の見解については、無視してかかれ、ということである。福島原発事故については、これまでの基準やデータ―に基づいてやっていたら、事故対応や損害賠償や復興にとてつもないカネがかかり、この国の経済も財政ももたない、さらに福島原発の廃炉だけの問題にとどまらない、絶対に継続・推進しなければならない原発政策の成否がかかっている、この福島原発事故の収拾と原発推進路線の護持をはかるためには、たとえ全世界共通の国際的ルールであれ、共通ガイドラインであれ、これまでの「基準」や「妥当性」もひっくりかえす必要がある、これまでの規制値や判断基準を変更するために、その立場で日本の科学者・専門家としての役割を果たせ、と呼びかけているのだ。それが、この加藤和明の『3・21緊急声明』の本旨である。加藤和明は原発推進の御用学者の中でも「悪玉中の悪玉」である。

7・30杉並シンポジウム・加藤講演の悪質な骨子

 当日の加藤和明の基調講演は杉並区のホームページの7・30シンポジウム動画やパネラー説明資料pdfをご覧ください。ここでは特徴的な骨子、話の組み立ての悪質な核心だけを触れるにとどめます。

★杉並区ホームページの7・30シンポジウムの動画についてはhttp://www.city.suginami.tokyo.jp/  で「放射線に関するシンポジウムを開催しました」(8月11日)の動画「第一部」「第二部」をご覧ください。

★シンポジウムで配布された『放射線と安全管理』(加藤和明の説明資料pdf)については

http://www2.city.suginami.tokyo.jp/news/detail/11547/kato_setsumeisiryou.pdf

《以下、7・30加藤の基調講演で強調されていたトークポイントの骨子》

 ① 私たちは毎日のくらしの中で常に放射線を受けている。生の営みで関わりを回避できないのが放射線。年間の国民線量=自然から受ける線量+医療から受ける線量・・・日本人:3・75=約4㍉シーベルト。

 ② 放射線との付き合い方。放射線と付き合うことなしには生きられない(「国民線量」を見よ)。適度にこわがることが肝心。放射線は無数にあるリスク要因の一つに過ぎない。放射線に対するストレスこそは強力なリスク要因。適度のストレスは必要だが、過度だと“猛毒”!

  便益の追求と危険の回避。便益追求は本能的欲求であり基本的人権。「危険の可能性」をリスクという。「リスク源」は無数で多種多様。人はいつかは必ず死を迎える!(但し、死ぬのは1回だけ!)老衰→死。「加齢」もリスク要因の一つ。

※加藤の説明資料での結びが、これだ!!! ( ↓ )

「運命と宿命:
    "人間の力でどうにもならない定め"を「宿命」といい、
    "どうにかなる定め"を「運命」という 瀬戸内寂聴
    今この国に生きていること = 【宿命】
    どのような人生をおくるか = 【運命】 江原啓之」
「(締めの一言)過ぎたるは猶及ばざるが如し」

 人類にとっての放射線。便益源ー文明発展の重要な道具。社会にとっての食物(エネルギー)。リスク源ーリスクは危険の可能性であって危険そのものではない!

 ⑤ 放射線に対しての安全と安心。安全についての哲学を持つ。そのために方策を知り、納得することが安心につながる!

 ★ シンポジウムには、放射線量の測定や防護についての専門家の立場からの講演というから聴きに来た区民が多数いたはずだ。誰も、こんな加藤の「放射能の便益」論と「放射能と社会の運命共同体」論、「安全・安心の哲学」の説教を聴きたくて集まったわけではない!ふざけるな!という話だ。「心配し過ぎ!」「大騒ぎするな」「どうせ死ぬのだから!!」「人間は原発と縁がきれない、これは宿命なのだから」だって!!!。

 加藤和明は、この同じ話を福島原発事故の直接の被害を蒙り、着の身着のままで避難を強いられた被災地の人々、子どもたちの放射線被曝の危険への危機感から子どもを屋外で遊ばせられなくなっている福島の母親たちに、同じ「ご高説」の「説教」ができるか?!

 とりわけ「リスクは放射線に限らず無数にある」「人は必ず死ぬ」「放射能への過度なストレスの方が、放射線被曝・放射能汚染の実害よりも猛毒だ」などという加藤の暴論が通るとでも思っているのか

放射線安全・原発再稼働」が田中杉並区政の路線だ!「放射能から子どもたちを守れ」の地域の母親・青年・労働者の声と連帯し、今こそ区職場で働く労働者の反原発・反放射能・反田中区政の闘いの声をあげよう!!!

 こんな「原発推進・放射線安全」論者をパネラーに招き、放射能から子どもたちを守れと立ち上がりつつある母親・区民に差し向けた田中杉並区政の責任は徹底追及されるべきだ。一体何なんだ!このシンポジウムと基調講演は何なんだ!区で母親と住民の放射能汚染・子どもの放射線被曝への危機感・不安・怒りの声に直に現場で接している区の窓口、環境、学校、保育、児童館、学童、給食、清掃、保険福祉医療、図書館の職員、労働者の皆さん、「おかしい」ことには「おかしい」「絶対反対」とハッキリ声にしよう。この放射線シンポジウムと「放射線安全」学者の基調講演に今こそ「反原発反放射能」の声をあげて立ち上がる時ではないでしょうか。

 田中区長は、区長就任一年のこの秋、前山田区政の職員定数削減・民営化・低賃金非正規化・組合解体の行革路線を受け継ぎ、いよいよクビきり・民営化攻撃を再開しようとしています。しかも「放射能から子どもを守れ」の反原発・反放射能さえ抑え込めば、杉並区職労と区職労働運動の再生の芽は摘みとれると判断し、きわめて挑発的な「原発推進・放射能安全」路線として今回の杉並シンポジウムをしかけてきました。組合・職場・地域で仲間を募り、討論の輪を広げ、反原発・反放射能・反田中区政・反民営化で団結してたちあがろう。

《次回予定》7・30杉並「放射線シンポジウム」その②津金昌一郎講演への批判

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