東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

国分寺から府中へ名(迷)所案内

2024-01-27 | 横浜・東京・東海村
国分寺
チョコレートハウス


国分寺
丘の上のAPT(トタンの家)


タンポポ・ハウス

これら一連の建築作品は藤森照信氏の作品
かつて東京大学生産技術研究所の教授だった。先生の作品には赤瀬川原平宅のニラハウス、近江八幡のラコリーナなどがある。

ラコリーナ 近江八幡 - 東西圧縮回流記 (goo.ne.jp) 

屋根に草花が生えるのはペンペン草が生えるというのが旧来の話だ。翻ってペンペン草も生えないという常套句の例えがある。最初に見たときには一瞬虚を突かれた思いだ。何なのだろうと思った。屋根に草花を生やすのは縄文時代のDNAの記憶を呼び起こすのだろうか。

藤森照信氏が東京大学の生産技術研究所、略して生研の教授だったころ、生研の一般公開があったので行ってみた。生研はもともと六本木にあったが、駒場に移転した直後でピカピカの新品の研究所になっていた。その時の生研の所長は西尾茂文先生だった。所長室にご挨拶した後、すぐ近くにあった研究室の藤森先生は不在票が掛かっていた記憶がある。

西尾先生は伝熱分野の沸騰熱伝達などを専門として研究に従事されていました。ボクの京都時代の先輩のM先生は出力上昇の過渡沸騰のバーンアウト現象にライフタイム(寿命)という概念を最初に導入したが、西尾先生のバーンアウトの評価法と議論になっていたが、結局は同じ結論になったそうだ。その後、生研所長の西尾先生は東大の小宮山総長時代の副学長になり活躍されていましたが、体調を崩され、後に逝去されました。惜しい人を亡くしました。合掌

何を言おうか、ボクが修士課程の時代に日本原子力研究所(原研)の高速炉設計班に1年間住み込んでパルス炉の設計に従事した。その時、原研の薄暗い図書館で京都大学のグループの出力上昇時のバーンアウトの報告を読み、実験結果やライフタイムに興味を引かれ、これからは原子炉暴走事故時の冷却をやる必要があると考えた。

当時、原子力関係では東大の橘・秋山・河村先生、東工大の青木・井上先生、阪大の住田先生などの研究分野に興味が尽きなかったが、結局は関西に帰ってみようと思い古都京都もいいかなと考え、過渡沸騰で京都の櫻井彰先生の門を叩き、博士課程に進学した。もちろん京都には岐美先生という有名な方がおられ、口頭試問の際にはパルス炉の話をしたことを鮮明に覚えている。岐美先生には在学中から何かとお話しを伺い、つい最近まで長年にわたり学会等でお会いする度にお声掛け頂いたことは大変有り難いことでした。

バーンアウト現象は熱流束が上昇すると伝熱面の薄い液膜の供給が追いつかなくなり焼損に至るのだが、現象が液体と気体が複雑に入れ込んでいて、評価法が統計的になったり蒸発時間項を入れたりする。しかしボクはどうも真面目な学生ではなかったようで、これも今は昔。





府中の東京農工大学
かつて柏木孝夫教授がおられた
先生はエネルギー関連で政府の委員会で代表を務められた
先生の講演を何度か聴いたことがある

かつての同僚もこの大学の出身だった


府中刑務所の壁
三億円強奪事件の現場
白バイに乗った犯人は逃走し時効になった




府中の東京競馬場
広大な敷地
北海道日高などの競走馬生産はこの競馬産業に支えられている

かつては古来より日露戦争で秋山好古の騎馬隊が奉天会戦で遊撃戦を仕掛け、ロシアコサック騎馬隊を破ったころや、第2次世界大戦まで軍馬生産は大きな産業だった。現在では戦車が主体になった。




府中の森芸術劇場
立派なパイプオルガンが設置されている




コンサートがあった

メインイベントはモーツァルトのレクイエム
カンタータ「悔悟するダビデ」K.469
ソプラノ2人テノール1人、合唱団、管弦楽団の構成だった
手作りの良い音楽を聴いた

あと何回聴けるかな
そろそろボク達にもお迎えが来る年代になったということか、と



モーツァルト カンタータ 「悔い改めるダビデ」 K 469 ネヴィル・マリナー



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