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東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

しおさいの詩

2017-11-14 | Weblog
さて以下はクイズです。小椋佳学入門編

以下の①から③の言葉は何でしょうか?

「しおさいの浜の岩かげに立って しおさいの砂に・・①・・を捨てて
・・消えた僕の・・②・・呼んでみたい
③・でもいい 何でもいい 他の全てを捨てられる激しいものが欲しかった・・」by 小椋佳

①から③まで正解の方は大したものです。お友達になりたいですね。

先日は三浦半島の油壺で楽しい集いがありました。そこで朝早く起きて散歩しました。近くに東京大学三崎臨海実験所がありました。浜辺に立つと思いかけず小椋佳のしおさいの詩を口ずさみました。我ながら若いなと思いました。

話は変わりますが私が会社にいたころ、東大ボート部出身の方がいて休日は個人所有のシングルスカルで遊んでいると伺ったので、小椋佳さん(本名は神田なんとかさん) も東大ボート部の出身ですよねと聞いてみたところ、「ああ、神田のことか?」とこともなげに話していたので、小椋佳を身近に感じている人がいるのだなと思い、この方には一目置くようになりました。

私が横浜で子育てをしていたころ三浦半島の長者ヶ崎はお気に入りの場所でよく磯遊びしました。でかいウツボを追いかけたのも楽しい思い出です。

また油壺の同じ場所に三浦一族が1516年北条早雲により滅亡させられた新井城址がありました。

三浦半島は歴史あるスポットが満載でした。










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金華山まで自転車散歩

2017-11-02 | Weblog
女川から金華山までロードバイクのツーリング

牡鹿半島の先端東側に金華山がある。金華山は独立した島です。牡鹿半島と金華山との距離は極めて近い。鹿が泳いで渡るそうだ。そういえば途中で若い鹿三頭と雉子一羽と遭遇した。

牡鹿半島の先端にある御番所公園は9月に行った襟裳岬の雰囲気とよく似ている。海と山稜と空の三点セットに加えて岩礁や島がせめぎ合っている。

西風や海が広がる金華山





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清荒神とクルーズ

2017-10-16 | Weblog
宝塚の清荒神清澄寺、大阪の住吉大社、神戸の本住吉神社を参拝した。

祖父も父も海運を生業としていたので神社仏閣をよく参拝していた。船乗りは板子一枚下は地獄、最後は神や仏に祈る。かつて祖父や父が歩いたであろう同じ参道を歩くと、どんなことを考えていたのだろうかとしみじみ推測したりする。初めて来た清荒神の参道は結構な距離がありました。
船に関係した社寺には八幡神社や金比羅さんもありましたね。

このたびの高校同期会、またもや二次会は神戸港から明石海峡大橋までのクルーズ付き!



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パラオと風に立つライオン

2017-10-06 | Weblog
先日は秋の風情が感じられるなか、山麓を散歩した。小高いところに登ると蔵王の青麻山麓の一角だけ日差しがあり明るくなった。確か原尾の近くだなと遠望した。

2015年4月に天皇皇后両陛下がフィリピン東方にあるパラオ共和国の慰霊に御訪問された。
パラオ出身者が太平洋戦争後に帰国し、蔵王の遠刈田温泉近くの青麻山麓の北西の開拓地に入った。
パラオ諸島御慰霊の後同年6月に、両陛下がこの開拓地を御訪問された。地名は北原尾という。原尾はパラオにちなんでいる。ここにも風に立つライオンのような誇り高い人がいる。

我々の親の世代は戦地から帰国後、内地に残った人も含め必死になって働き、日本を立て直した。風に立つライオンは数え切れない。

風下に立っているライオン達は目を覚まそう!












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ツバメのきょうだい

2017-08-02 | Weblog
燕さんたち、もう8月ですよ。
そろそろ巣立ちですね。
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美しき浴衣姿は勝負服

2017-07-20 | Weblog
先日は祇園祭の宵山に行った。明日から前祭とあって凄い人出だった。

その中で浴衣姿の若いカップルが目立った。京都は学生の街だ。若い女性のゆかた姿はスタイルも良く、いとなまめかしく、匂うばかりの華やかさがある。

モデルのような女性が薄い化粧と上品な身のこなしで盛んに同行の男性に控え目ながら奥ゆかしく話しかける。そこで、ああこの浴衣姿は祇園祭の宵山の、一世一代の勝負服なのだと合点がいきました。

さて彼女をエスコートしている同行の男性よ、彼女が秘密のモールス信号を発信しているのに気がつきましたか? 君は男としては未だ半人前だけど、気概を持って生きてほしいな! と、ボクは自分の若いころを思い出して、無言のエールを送っていました。夏本番ですね。

宵山にうちも勝負と肩をよせ







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風に乗って山形寒河江の名刹へ 本山慈恩寺

2017-06-01 | Weblog


 
 先日は自転車で仙台から蔵王背稜山脈の関山峠トンネルを抜け、山形県寒河江市へ行った。ただ自転車のダイエットだけではもったいないので、以前から気になっていた名刹、本山慈恩寺へ行った。運のいいことに地元のボランティアの方に説明して頂いた。

 慈恩寺は奈良時代西暦724年の創建と非常に長い歴史がある。藤原氏や大江氏の時代を経て現在に至っている。宗派も法相宗、真言宗、天台宗などと変遷があり現在は本山慈恩寺を名乗っている。慈悲深き古仏、秘仏、壁画が数多くありその歴史と希少価値に圧倒された。最盛期には幕府の直轄地になり2800石の領地があったという。なぜ中央から離れているのに直轄領だったのかと問うと、付近から砂金が多く採れたそうで、最近では上流にダムができて採れなくなったそうだ。東北の重要な拠点は金の産出に深くかかわっているところが多いことで納得した次第です。火山マグマ、断層と水流の関係と金の産出は地勢と深く関連している。
 
 お寺のあとは山形市から電車で帰った。メジャーリーグの先発ピッチャーの投球数が100球を越えるとリリーフへと繋ぐように、走行距離が100kmを越えて再び山越えは億劫なのでボクは電車のリリーフを仰いだのだった。もちろん距離の単位kmと投球数には何の関係もないので非科学的といえばそれまでですが...

 慈恩寺や新緑縫って蔵王越え

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吉野の桜と醍醐の桜

2017-04-18 | Weblog
花見と言えば桜、桜の花見で有名なのは秀吉が催した吉野の花見と醍醐の花見がことさらに有名だ。そこで今回は所用に合わせてその前後に奈良県の吉野と、京都山科と六地蔵の間にある醍醐寺へ、桜の満開に合わせて花見に行き往時を偲んでみた。年譜を整理すると

1590年 北条征伐関東平定、日本全土平定(秀吉54歳)
1592年 朝鮮出兵(秀吉56歳)
1594年 吉野の花見(秀吉58歳)
1596年 第2次朝鮮出兵(秀吉60歳)
1598年 醍醐の花見(秀吉62歳 この年死去 )
1600年 関ヶ原合戦 徳川方の勝利
となる。

1592年の朝鮮出兵開始2年後の1594年に秀吉は吉野の花見を催し、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら武将ほか総勢5千人が豪華絢爛な花見を行った。これはもう花見というより「まつりごと」そのものだった。秀吉の本陣となった吉水神社は南北朝時代南朝の後醍醐天皇の政務所いわゆる南朝の皇居が置かれた由緒ある神社だった。

1596年の第2次朝鮮出兵後の2年後の1598年に醍醐の花見が催され、参加者は大名の奥方やお付きなどほとんどが女性だったそうだ。醍醐寺と上醍醐に続く沿道には畿内各所から短期間のうちに700本もの桜を移植させたとのこと、また1500人の女性に3着ずつの新品の着物をプレゼントしお色直しをさせたという豪勢な話が残っている。ボクは大学院のころ、六地蔵の駅を通過して大学の研究所がある黄檗まで3年間通ったのだが近くにある醍醐寺には一度も行ったことがなかった。当時の関心事は他にあり青春とはそんなものだとうそぶいてみたものの、今更ながら悔やむと言うより勿体なかったなと淡々と振り返ったりする。

小生も関西を離れて何十年にもなるが、豊臣秀吉は関西では「太閤はん」と呼ばれて特に大阪では人気がある。結果的には大阪冬の陣の後に夏の陣で大阪城炎上があり政権の移行があって徳川家康の評判は良くない。政変があって首都を江戸に移されてしまった大阪は悔しかったのだろう。

余談だが、大阪を中心に京阪神では阪神タイガースの人気は絶大で、もはやその応援たるや理屈ではない。阪神タイガースのことをタイガースというより阪神と呼ぶ人が多かった。ボクが神戸に住んでいたころ、ジャイアンツすなわち巨人の方が圧倒的に強かったので、阪神の応援は悲愴である。深層には江戸徳川とジャイアンツへの敵愾心があったのだろう。そのころラジオ番組で中村鋭一というパーソナリティが阪神の勝った翌朝には「阪神優勝です!」と叫んで毎朝「六甲おろし」をフルコーラス熱唱するのには参った。関西人は熱くなり六甲おろしの合唱に理屈抜きで酔いしれた。中村鋭一氏は六甲おろしの熱唱で有名になり挙げ句の果てには国会議員選挙に当選してしまった。今日はこのあたりまで。









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小田和正氏とハルチカ 音楽の楽しさ

2017-03-21 | Weblog


 昨夜はオフコースの小田和正氏のインタビュー特集。映画監督として映画を撮ったことがあるとは驚きだった。インタビューの中で彼は音楽が無性に好きなこと、音楽の好きな人に届けたいとのメッセージを送っていた。映像では彼はコンサート会場を猛ダッシュして歌いながら走り回っていた。インタビューが行われた聖光学院には小生も行ったことがある。

 映画監督と出たところで無性に映画を見たいと思った。空いていた時間帯に上映されていたのが「ハルチカ」。春が近くなったので、ほのかな家族の物語か夫婦の絆の物語だろうと思っていたが、映画が始まるとこれが高校入学した直後のヒロインが登場する吹奏楽部の学園もの。合奏の猛練習がありコンクールに出場し挫折と希望の青春ドラマだった。ああ、これが小田和正氏の語っていた音楽の楽しさなのだと感動した次第です。

 そういえばボクが青春をくすぶらせていた明石高校にもブラスバンド部があり、全国大会の常連で成績も良かった。何かの機会で全学年の生徒が講堂に集められ、ブラスバンドの合奏があり、上の学年の女子学生によるフルートの独奏曲があったのを思い出した。映画のヒロインは初心者で苦労していたが、何十年も前の先輩女学生が醸し出すメロディーは流れるように心地よく講堂内に浸みわたり、うっとりとした旋律にボクは千年の眠りに落ちたのでした。
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陽はまた昇る

2017-02-16 | Weblog
今朝の散歩
日の出 6:35 東南東付近 108°


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