新年度予算を審議する3月定例議会が始まった。
岐阜市は議案審議に際し、各部ごとに説明を受け個別に質疑が可能な「精読」という期間を設け
るために議会の休会を行う。対応は各派別でそのスピードもまちまちだが、本会議再開までは議員個人としても
しっかりと議案を精査するために1週間ほどの時間が与えられている。当然ながら提出議案をしっかりと理解する
ために膨大な資料に目を通すだけでも大変なこと。その中で、質問項目を決めていく必要があるので、正直時間的
余裕がなく、連日頭脳がパンクしそうな時もある。
しかし最近の議員さんの中には、早々に質問項目を控室のドアに掲示する方も見えるので驚きである。
議案と関係ない質問は一般質問の範疇だが、質問をすることがセレモニー化しすぎて議案審議はどこかにふっとんで
しまっている。
登壇するのは権利だが、自分の意見発表が質問だと勘違いしている人々が増加していることが何となく虚しくなって
くる。そこには為になる議論や内容はほとんど皆無。質問原稿をとうとうと読み、答弁者は原稿を間違えず、きちんと
した尺に収める。シナリオが出来上がった質問劇に付き合うのも大変である。同趣旨の質問や答弁が4日間繰り返され
る場面も最近多くなってきた。
緊張感や議論がみじんもない議会とは何ぞや?
最近は答弁に対して再質問をする・・・なんて至極当然なことが本当に少なくなってきた。
結局、自分の主張大会、弁論(そんな内容ではないが)大会が本会議質問と錯覚しているように感じる。
形骸化する議会を変えることが本当の議会改革ではないだろうか!