1月14日(土) すずむし荘で「風まんだら定席寄席」を行いました。
毎月第3土曜日に午後1時30分から「すずむし荘」の休憩室で定席の寄席を開催しています。
今日は 松川家幸太が「長屋の花見」を、
勝乃家吾尊松が「短命」を、
山家亭神出が「浜野矩随 はまののりゆき」を演じました。
3月18日(日)にすずの音ホールで「まんざら寄席」を開催します。朝から夕方までずーっと落語ばっかりです。古今亭菊生師匠も出演します。ぜひ今から予定して、ぜひお出かけください。
浜野矩随(はまののりゆき)/落語
職人の一途な噺。ものつくりの喜びと哀しみが出ています。
浜野矩随のおやじ矩安(のりやす)は、
刀剣の付属用品を彫刻する「腰元彫り」の名人だった。
おやじの死後、
矩随も腰元彫りを生業としているが、てんでへたくそ。
芝神明前の袋物屋・若狭屋新兵衛が
いつもお義理に二朱で買い取ってくれているだけだ。
八丁堀の裏長屋での母子暮らしも
次第に苦しくなってきたあるとき、
矩随が小柄に猪を彫って持っていった。
新兵衛は「こいつは豚だ」と言い、
「どうして、こうまずいんだ。
今まで買っていたのは、おまえがおっかさんに優しくする、
その孝行の二字を買ってたんだ」
となじり、
挙げ句の果ては「死んじまえ」と。
帰った矩随は、
母親に「あの世に行って、おとっつぁんにわびとうございます」と
首をくくろうとする。
「先立つ前に、形見にあたしの信仰している観音さまを
丸彫り五寸のお身丈で彫っておくれ」
と母。
水垢離(みずごり)の後、
七日七晩のまず食わず、裏の細工場で励む矩随。
観音経をあげる母。
やがて、完成の朝。
母は「若狭屋のだんなに見ておもらい。
値段を聞かれたら『五十両、一文かけても売れません』と言いなさい」
と告げ、
矩随に碗の水を半分のませ、残りは自らのんで見送った。
観音像を見た新兵衛、
おやじ矩安の作品がまだあったものと勘違いして大喜びしたが、
足の裏を見て「なんだっておみ足の裏に『矩随』なんて刻んだんだ。
せっかく五十両のものが、二朱になっちゃうじゃねえか」
矩随が母への形見に自分が彫った顛末(てんまつ)を語ると、
新兵衛「えっ、水を半分?
おっかさんはことによったら
おまえさんの代わりに梁(はり)にぶらさがっちゃいねえか」
矩随は慌てて駕籠(かご)でわが家に戻ったが、
母はすでにこときれていた。
これを機会に矩随は開眼、名工としての道を歩む。
【うんちく】
浜野矩随って?
三代続いた江戸後期の彫金の名工です。