「ふきぼこ通信」

北アルプスの麓「安曇野松川村」から、季節の風にのせて発信していきます。

第10回ゆうあい祭

2009-10-11 23:50:52 | あづみ野の秋

001 10回目となる「ゆうあい祭」が秋晴れに恵まれて開催されました。表彰を受けた皆さんは

005_5 個人表彰 塚越とくさん 社会福祉事業に尽力されました

団体感謝状 村の更生保護女性会さん 福祉活動に尽力

団体感謝状 松川小学校児童会 社会福祉に協力

団体感謝状 松川中学校生徒会 社会福祉に協力

 アルミ缶を10万個集めて車いすを寄贈とか、児童クラブ、保育園早朝受入れ、障害児一時預かりなどの活動をされた方々です。

 008 010 職員合唱・中学生吹奏楽と合唱・東京音楽大学木管三重奏などステージで行われ、庭ではお赤飯や焼きそば五平餅などの販売、ボラ畑の収穫品販売などと無料カレーサービスもあって、参加者も満足してふれあった一日でした。009


あづみ野松川小中学生駅伝大会

2009-10-11 01:34:19 | あづみ野の秋

10月10日 松川小学校校庭で「第25回あづみ野松川中学生駅伝大会」と「第5回あづみ野松川小学生駅伝大会」を村長が大会長となり、松川村・村教育委員会・村体育協会などの後援と大北陸上競技協会などの協力での実行委員会で開催しました。

 秋晴れのよい天気に恵まれ、選手500名関係役員70名・応援の皆さん200名以上の参加の中、盛大に行われました。

 小学生が18チーム中学生男女53チームの参加で、年々盛大になっており、今後の各種大会挑戦への重要な位置づけが定着してきていることを感じます。

 また、選手全員に温かいトン汁提供や村特産品や加工品の販売テントも用意し、選手に村からの参加賞や入賞者に3位まで全員にメダル・トロフィー授与など、村と村民が温かいもてなしでお迎えしている大会です。伊那・長野・飯島・駒ヶ根・大桑・須坂・松本・安曇野市・大北・戸倉・中野など県下各地からの参加で、県の強豪チームも力いっぱい走り、大会新記録も出て、今後ますます注目される大会に定着しています。027 015                                 

礼儀正しい選手が多く、大会終了後の会場にはごみもなく、すがすがしい少年少女で、これからの活躍を心から祈ります。          035 029 012 050 055


岡本太郎の壁画

2009-10-08 23:55:24 | アート・文化

   松川村役場庁舎玄関にある岡本太郎氏の壁画です。

 中央上が変わらぬ緑の葉を繁らす松で表した有明山で、村内を流れ里を潤す3つの清き水をたたえた川、全体のポイントの緑は村木の赤松の変わらぬ葉の様、松の木が顔の中心を表し、民のゆったりとした様などを配して、全体が和をもって調和し、松川村の豊かな自然と人の交わりこそ村が安曇平の中心ということを表現したと聞きました。

 大きさは、縦3mくらい横5m程で、ゆったりとのびのびしている様を感じます。003_3

役場庁舎玄関をはいるとすぐ見ることができます。


岡本太郎年譜

2009-10-06 14:19:52 | アート・文化

岡本太郎氏制作の松川村の壁画は昭和の終わりから平成の初めころかと思います。

1985(昭和60年)74歳
3月/筑波科学技術博覧会にシンボルモニュメント《未来を視る》を制作。
9月/横浜そごう屋上・太陽の広場にシンボルモニュメント《太陽》を制作。
11月/青山・こどもの城にシンボルモニュメント《こどもの樹》を制作。
12-2月/イギリス・オックスフォード近代美術館における「日本の前衛芸術」展に出品。


1986(昭和61年)75歳
4月/この月より日本テレビ「テレモンジャ」にレギュラー出演。「なんだこれは」が流行語になる。
12月/パリのポンピドゥー・センターで翌年2月にかけて行われた展覧会「日本の前衛美術」展に出品。


1987(昭和62年)76歳
3月/さよなら国鉄・新生JRの記念メダル《出発》を制作。
4-5月/NHK制作のテレビドラマ「ばら色の人生」に俳優としてレギュラー出演。
4月/青森県三沢市古牧温泉、古牧第三グランドホテルに《天平図》《長生夢幻》《端鳥》設置。


1988(昭和63年)77歳
2月26日/草月会館で岡本太郎喜寿を祝う会が行われる。
4月/岐阜未来博にシンボルモニュメント《未来を拓く》を制作。
9月/ダスキンのフリーデザインマットのコマーシャルに出演。翌年アメリカの第29回国際放送広告賞を受賞。
『自分の中に毒を持て』(青春出版社)を出版。


1989(平成元年)78歳
7月/フランス政府よりフランス芸術文化勲章を受章。


1990(平成2年)79歳
8月/岩手県藤沢町の縄文野焼祭・縄文サミットに参加。シンボルとして《縄文人》を展示。


1991(平成3年)80歳
4月/奥入瀬渓流グランドホテルのラウンジ中央に暖炉彫刻《森の神話》を制作。
5月/長野県野沢温泉村・名誉村民第1号を贈られる。
5月/東京都庁の新宿移転にともない、丸の内庁舎取り壊しが決定。56年に制作した陶板レリーフの保存運動がおこるが、9月に取り壊される。
11-12月/十二指腸潰瘍で慶應病院に入院。
12月/川崎市市民ミュージアムにて行われた「川崎生まれの鬼才―岡本太郎」展(4~6月)を機に、川崎市に主要作品を寄贈。翌年、岡本太郎美術館の建設が発表される。


1992(平成4年)81歳
「岡本太郎の世界」が『美術手帖』5月号で特集される。


1993(平成5年)82歳
4-7月/浦安市舞浜の運動公園に《躍動の門》《五大陸》を制作。
10月/青森県三沢市の古牧チャペルに《歓びの鐘》を制作。


1995(平成7年)84歳
10月/翌年にかけて「岡本太郎」展の巡回(大阪高島屋、広島市現代美術館)。


1996(平成8年)
1月7日/急性呼吸不全にて死去。(享年84)
2月26日/草月会館草月プラザにてお別れ会「岡本太郎と語る広場」が開かれる。

世界の岡本太郎アートが松川村庁舎の壁画にあることを発信し、多くの方に見ていただきたいと思います。