すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

啓蟄にもっとオイルを!

2020年03月06日 | 雑記帳
 啓蟄や生きて無傷の日などなし (いのうえかつこ)

 浅い眠りのままに見た朝方の夢は、大雪が降っている勤め先で、排雪する場所をどうするか職員に訊かれ、グラウンドの端へと指示するものだった。かなり前に勤務した学校に居るのだった。前夜の天気予報が頭に残っていたのか。目覚めて窓から見た外は、風が強いが白くはなっていない。そういえば「啓蟄」である。


 今年は誕生日と重なった。勤務予定がない日なので、雪囲い片付けを少しした後に、隣市へ古本などを漁りに行く。車で向かう途中に激しいみぞれに遭ったが、それもわずかだった。文庫本を中心に8冊、コミックを2冊、そして孫のために絵本を選ぶ。帰路に久しぶりにK屋に立ち寄って、花見団子を買い求めた。


 家に戻ると、孫が何やら歌声で迎えてくれた。「ハッピバースディ♪」と廻らぬ口で叫んでいる。まだ2歳半前だが、なかなかイケテるぞ。私の血を引いたか(笑)。昼食後はゴロンとしながらTVをみるパターンだ。そういえば、もう一回観たかったので再放送していたみうらじゅんの「最後の講義」を録画しておいたはずだ。


 去年の春にとても興味深く観て、メモをここに載せてある。前回と似た感想ではあるが、冒頭に映し出された大事な一言をメモしていなかった。みうらはこう言い放った。「オイルショック!」。それは、あの昭和の出来事ではなく、彼が平成の最近になって自らに起こった感覚を指していた。つまり「老いるショック」。


 ああ、まさに!もちろん中年と呼ばれる齢になってから何度も「老い」は感じてきたが、身体機能の衰えは着実だ。誕生日を期して見直した話で、それを繰り返されるとは!そして、うかつにもリクエストした夕食メニューを思い出す。先日雑誌で美味しそうに見え、口にしたのだった。「オイルフォンデュが食べてみたい。



 「老いるフォンデュ」か。オイルは身体貯蔵十分で、必要ない気もする。しかしエネルギー源として常に取り込み代謝するべきものだろう。だからここは「もっとオイルを!」と叫んでみるか。みうらじゅん先生が提唱するレベルの高い生き方「DS」(どうかしてる!)にも通ずる。この齢になったら、それもありだな。





「いろは…」の感染へ

2020年03月04日 | 読書
 先週は今江祥智の本を漁って読んでみた。その中の一冊。

 【いろはにほへと】今江祥智・文  長谷川義史・絵  BL出版



 初めて文字を習ってうれしい「かっちゃん」が「いろはにほへと」と唱えながら道を歩いていて、侍とぶつかってしまう場面からこのお話は始まる。

 最初は怒った侍も、かっちゃんが覚えたての「いろは…」を練習していると知り、少し愉快になり思わず自分も口ずさみ歩いていくと、馬にぶつかり、その馬上にはご家老がいる。侍は、つい「いろは…」…と言い訳するとご家老はそれを面白がる。

 どこか微笑ましい「いろはにほへと」は侍からご家老へ、そして場内に戻った家老からお殿様へ。機嫌の良くなったお殿様は隣国の使者と接して…

 と、繰り返し連鎖する筋。
 結局「いくさ」は回避され、「穏やかさ」が感染していく話といってもいいだろう。


 昨年末に職場で忘年の宴をもったとき、慶事があった方がいて「幸せは伝染する」と話したことをぼんやり思い出す。


 そして私たちが今置かれている状態を見つめ直してみる。

 新型ウィルスの感染拡大防止にそれぞれが気を配らなければいけないことは言うまでもない。

 しかしその行動とともに、何か別の意識まで伝染させていくような状態に陥っていないか。

 予想される事態に備えておくことは肝心だ。しかし、その備えが過剰になりすぎ、困っている状況を生み出している。
 個人にとっては必要感が大きく、価値の高い物事まで、平均化された考えで測られ、何事も目立たぬが良しとされる。

 いわば、重苦しさの感染である。

 事態の深刻さを理解していないわけではないが、もっと「おちつけ」と繰り返したくなる。

桃の節句、本に敬意を

2020年03月03日 | 読書
 桃の節句である。耳の日である。世の中騒がしいが、淡々と本を読み続けよう。今年は大人向け絵本から記録が始まったこともあって、読書冊数カウントはしていない。相変わらずの乱読ではあるが、一応のメモはとっておきたい。本に対するささやかな敬意としても。




 【針がとぶ】(吉田篤弘  中公文庫)

 誰かがこんなことを書いていた。吉田篤弘の本は「考える読書」というより「感じる読書」になる。なるほど。この作品もなかなかストーリーのつかみ難い短編集だった。完全な連作とも言えない七編のストーリーが、ある瞬間重ね合ったり、広げ合ったりしている印象がする。針がとんだLPレコードは、Beatlesのホワイトアルバム。針がとんだ箇所の中身を探すという行為が不必要になった世の中に、私達は何を探すというのだ。


 【昭和からの遺言】(鈴木健二  幻冬舎)

 この著は昨年発刊されている。この元アナウンサーの語り口ほど説得力を感じる、マスコミ業界人はざらにはいないだろう。そう作り上げられた人生の訳を垣間見たように感じた。戦時中の出来事を書き残している者は多いが、それを現在に伝えようとする熱を維持するのは難しい。それが出来たのは、幼少時から一貫してぶれない、真実を希求する学習心に思える。教育勅語の文体へ疑問を呈し、教師に殴られた出来事は象徴的だ。


 【自分のためのエコロジー】(甲斐徹郎  ちくまプリマ―新書)

 「エコ」と似て非なる語と考えていた「エゴ」。この二つは重なるという視点が新鮮に思えた。著者はマーケティングを仕事にしながら、環境との共生を考えてきた。「まず自分が気持ちよく暮らしたい」という思いを大事にするために、「エゴ合わせ」を具体的なテクニックとして披露している。私たちは、便利さによって豊かさが失われたという言い方をよくするが、その同時獲得を目指す、刺激的で戦略的な一冊だった。

小噺挨拶という諦念

2020年03月02日 | 教育ノート
 4年前の、「小噺」挨拶の一つ目はこうだった。

★5年生の学級で、保健体育の時間に、応急手当について勉強していました。
先生が尋ねました。
「もし、小さい弟か妹が、まちがってウチの鍵を呑み込んだら、どうしますか?」
みんなが考え込んでいると、三郎君が目をきらきらさせてハイと元気に手を挙げました。
先生が「三郎くん」と指名すると
三郎君は、自信満々にこう答えました。
「ぼく、窓から入ります!」★


 この三郎君を、教育的に分析してみると、2つの点で残念だということが言えると思います。

 一つは、学習、勉強の意味、めあてをとらえていない。保健体育の応急手当てのことを考えているのだというその時間のめあてがすっかり抜けたということ。
 そして、もう一つは、弟や妹のことを考えず、自分のことばかり考えている。兄弟の身体の心配より、自分が家の中に入るためにはどうしたらいいか、という発想を持ってしまっていることです。
 本校の目標「ぜんしん」からすると、一番目の「前へ進む」二番目の「善い心」は、まだ育ってないと言えるでしょうか。

 しかしどうでしょう。三番目「全ての身体」ということからすると、元気よく手を挙げたり、返事をしたり、何より先んじて積極的に発言しようとするその姿勢には、大きな可能性を感じますよね。

 一昨年でしたか新聞に取り上げられた記事で有名になったことで、最近も本校職員が研修のなかで紹介していたのですが、ニューヨークの大学教授が2030年の職業・仕事について語っていることがあります。
 それは、2030年には(今から15年後ですね)今の小学生の6割は、現在存在していない職業につく、という予測データです。技術革新、情報化による社会の激変がそれほど進むのだということだと思います。
 この世界に対応していくためには、何が必要なのか本当に真剣に考えなくてはいけない、と思います。(略)



 二つ目は、挨拶の締めとして使った。

★教室の黒板にひどい落書きがされていました。教師は怒りを抑えて、しずかに聞きました。
「こんなひどいことを書いたのは誰ですか?」
何の反応もありません。
「そうかあ、よし、わかった。みんな目をつぶりなさい。やった人は、正直に手を上げてください」
…5秒後、教師はこう口を開きました。
「はい皆さん目を開けて、ありがとう。…佐藤さんは、後で職員室に来るように。」★


 どうでしょう。世の中には結構怖いことがあります。
 「人生、甘いことだけじゃない」
 「理不尽なことはたくさんある」
 ということも、折にふれて教えてやれるのは、やはり親ではないかと思います。(略)



 少し笑いを交えてという試みがよかったのかどうか。
 今になっても取り上げてみたいと思うのは、やはり自分はこの筋かという諦念と開き直りか。

四年に一度の日なのにね

2020年03月01日 | 雑記帳
 先日編集した通信のあとがきに、こんなことを書いた。

・・・(前半略)・・・そうでなくとも、この頃の日本人はずいぶんとせっかちになっているのではないでしょうか。これではいけません。自戒を十分に込めながら、4年に一度の閏日をいい区切りに、一日に三回「おちつけ」と唱えることを思いつきました。ホントにやれるか(笑)


 顰蹙をかいそうな表現とも言えるが、非常時だから逆にこんなことを言い出す奴がいてもいいだろう。


 8年前、『ほぼ日』サイトでは次のように呼びかけた。面白いなあ、自分のその精神で…と思ったけれど、当時はしがない公務員生活ではなかなか許さなかった。

 2012年はその一日を日記風に記していた。

 「そう考えるとずいぶんと窮屈な暮らしをしているもんですな」などと、今考えると呑気なことを書いている。
 この程度の慌ただしさは8年後の今、個人的にも世間的にも懐かしく、幸せの日常のようにも見える。


 その4年後の2016年は退職目前だった。
 ブログには記していないが、アナログの日誌を見ると「最後の全校PTA」だった。「自己評価85点ぐらい」と記した挨拶はどうだったのだろう。

 以前のデータから準備原稿を探してみたら…
 なんだ小噺か。二つも入れている。
 ウケなくとも気にしなくなった頃なので、ずいぶん大胆だ。

 明日は、その話のことでも書きながら、気を紛らわすか。