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小噺挨拶という諦念

2020年03月02日 | 教育ノート
 4年前の、「小噺」挨拶の一つ目はこうだった。

★5年生の学級で、保健体育の時間に、応急手当について勉強していました。
先生が尋ねました。
「もし、小さい弟か妹が、まちがってウチの鍵を呑み込んだら、どうしますか?」
みんなが考え込んでいると、三郎君が目をきらきらさせてハイと元気に手を挙げました。
先生が「三郎くん」と指名すると
三郎君は、自信満々にこう答えました。
「ぼく、窓から入ります!」★


 この三郎君を、教育的に分析してみると、2つの点で残念だということが言えると思います。

 一つは、学習、勉強の意味、めあてをとらえていない。保健体育の応急手当てのことを考えているのだというその時間のめあてがすっかり抜けたということ。
 そして、もう一つは、弟や妹のことを考えず、自分のことばかり考えている。兄弟の身体の心配より、自分が家の中に入るためにはどうしたらいいか、という発想を持ってしまっていることです。
 本校の目標「ぜんしん」からすると、一番目の「前へ進む」二番目の「善い心」は、まだ育ってないと言えるでしょうか。

 しかしどうでしょう。三番目「全ての身体」ということからすると、元気よく手を挙げたり、返事をしたり、何より先んじて積極的に発言しようとするその姿勢には、大きな可能性を感じますよね。

 一昨年でしたか新聞に取り上げられた記事で有名になったことで、最近も本校職員が研修のなかで紹介していたのですが、ニューヨークの大学教授が2030年の職業・仕事について語っていることがあります。
 それは、2030年には(今から15年後ですね)今の小学生の6割は、現在存在していない職業につく、という予測データです。技術革新、情報化による社会の激変がそれほど進むのだということだと思います。
 この世界に対応していくためには、何が必要なのか本当に真剣に考えなくてはいけない、と思います。(略)



 二つ目は、挨拶の締めとして使った。

★教室の黒板にひどい落書きがされていました。教師は怒りを抑えて、しずかに聞きました。
「こんなひどいことを書いたのは誰ですか?」
何の反応もありません。
「そうかあ、よし、わかった。みんな目をつぶりなさい。やった人は、正直に手を上げてください」
…5秒後、教師はこう口を開きました。
「はい皆さん目を開けて、ありがとう。…佐藤さんは、後で職員室に来るように。」★


 どうでしょう。世の中には結構怖いことがあります。
 「人生、甘いことだけじゃない」
 「理不尽なことはたくさんある」
 ということも、折にふれて教えてやれるのは、やはり親ではないかと思います。(略)



 少し笑いを交えてという試みがよかったのかどうか。
 今になっても取り上げてみたいと思うのは、やはり自分はこの筋かという諦念と開き直りか。


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