すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

好きな色の答え方で

2015年03月21日 | 雑記帳
 PTA文集の職員紹介項目の最初が「好きな色」と挙げられていて、担当者が自分の例として出したのが「もえぎ色」。居合わせた職員と「ちょっと格好いいよなあ」と軽口を叩いた。こういう例を出されると、普通に白とかピンクとか出すのがためらわれるが、結局自分が書いたのは「藍色」。いかにも中途半端。日本の色表現の豊富さは知っていても、使いこなせていない。


 そんなことを思い出したのは、最近の「北陸新幹線」ブームで、金沢が取り上げられ、かなり渋めの色がたくさん紹介されたからだ。子ども用の絵の具やクレヨンには入っていない色、中間色というものを何かに喩えて表す日本的な情緒とでも言えばいいのだろうか。考えてみれば、これが自然にある色に近いわけで、普段口にしているのは人工物が多いということだ。


 件の職員が口にした「もえぎ」は二通りの書き方がある。「萌黄」「萌葱」。そもそも「葱の萌え出ずる色」の意である。辞書には「黄と青の中間色」とあるので、そこで「黄」の字が入ったのだろう。結局「緑」とどう違うのか。ここで類語辞典を開いてみる。そこには緑は「木の葉のような」という形容がついている。緑だけでも36。他の色もその程度あるから驚く。


 ちなみに、「萌葱」の前後三つを列記してみる。「革色」「草色」「若草色」「萌葱」「千草色」「青竹色」「砥草色(とくさいろ)」とある。「千草色」と「砥草色」は初めて見た気がする。ここまでの語彙は必要ないだろうが、色を的確に表す言葉を使えたら格好いい。植物などに関心が高ければ身に付くのかもしれない。色を覚える体験というものはなかなかないものだ。


 自分が書いた「藍色」に目をとめると、周辺色は実に豊かだ。「青藍」「瓶覗き色」「縹色(はなだいろ)」「花色」「インジゴ」「褐(かち)」とある。その違いを自分が明確に分かっていれば、好きな色を問われて、「そうだなあ、縹色かなあ」なんて格好つけることも出来る。「色色」とは種類が多い事を表す。色に限らずどれだけ分化して認識できるか、それが知識なのだ。

最後から二番目の…

2015年03月20日 | 雑記帳
 火曜日の朝「最後から二番目の、だね」と家人に言われた。何のことか、「最後から二番目の恋」といった艶っぽいことではなさそうだ。ああそうか。「最後から二番目の、卒業式」ということなのだな。確かに、ほとんどの行事がそう言えるが、やはり卒業式のランクはかなり高い。従ってそういう形容をつけてもいい。書きつけておき、懐かしむにはいい一日だ。


 天気予報どおり前日を上回る好天気だ。挨拶指導をしている朝には雲ひとつなかった。気温も上がっている。暖房設備がない体育館なので、ストーブ等では限界があり、非常に有難い。ただ個人的に心配なのは花粉である。十分な備えをして臨んだので目の痛みや鼻水の支障はなかった。予定通りに準備は整い、遅刻者はいたがまずは順調に式がスタートする。


 式辞は、今まで述べた(9回目だ)なかでは最も短かった。式全体の時間を少し縮めたかったし、虚礼的な点は極力簡素にと考えた。卒業生に送る言葉の内容は、「証書」の意味をテーマにしたもので、以前雑誌原稿にしたものが基にしたが、表現は途中から大きく変えてみた。「一枚の裏には、人がいる」「人の表情がある」…ややコピーっぽいがリズムはよかった。


 子どもたちの態度や呼びかけなどは、本当に立派だった。泣いて歌えないという子もいずに、堂々としていた。多くの場合、卒業生の涙にもらい泣きしそうになるのだが、今回はその心配はないのが物足りないほどだった。しかし、来賓の方々にとっては感動的だったらしく、完成度が高かったと思える。見送り時も絶好のお天気の下だったことが何より嬉しい。



 夕刻からの祝賀会。挨拶では恒例?の小話を一つ。職員代表として作った余興のVTRはまずまず好評のようだ。司会の方は「公務ご多忙ななか」を強調して参加者の笑いを誘う。六年生一人一人を呼び出して、ごそごそ撮影などをしたわけなので、周囲からは訝られたが、個人的には卒業生とのいい触れ合いになった時間である。これも公務と言い訳しておこう。


 すっきりした進行、盛り上がりもあるいい祝賀会だった。何事も事前準備や分担だなと感じる。保護者の方々とも楽しく語らう。ある親御さんから、今まで言われたことのない衝撃の一言を頂く。「うちの子どもたちが先生のことを、校長先生にしておくにはもったいない、って言うんですよ」…ああ、なんということだ。そしてそれを喜ぶ自分がいるなんて…。

15行原稿顛末記③

2015年03月19日 | 教育ノート
 教材研究にも授業づくりにも、共通して有効な方法がある。

 と書いてみたものの、ごく当然のことだ。
 授業における子どもたちの活動を、それ以上に教師が行おうという心がけがなければ、身の入った指導にはならない。
 以下、絞り込んだ5つの項目である。

 1 徹底して音読する
 2 視写、聴写を取り入れる
 3 辞書引きを日常化する
 4 二者択一で発問する
 5 チェック欄を教科書に設ける


 書いていて、5がわかりにくいことに今さらながらに気づく。
 チェック欄の例は、音読回数、「てびき」の問題や例文などの実施、漢字などを想定しているが、実際についている教科書もあるはずだ。

 でも、絞り込みをするためにずいぶんと活動をピックアップしていたら、このテーマはもしかしたら、実践イメージだけでいいのかな、と思えてきた。

 それで、別バージョンもつくる。

 題して「いつでも使える指導言」の十カ条である。

 二つのパターンを送ってみたが、編集者はどちらを採用するか。
 それもまた楽しみではある。ひとまず終了。


15行原稿顛末記②

2015年03月18日 | 教育ノート
 授業イメージは、「であい」に始まり、「りかい」で深まる

 格好つけてそんなふうに題づけしたものの、ごく普通のことだし、実のところは「であいの五カ条」と「りかいの五カ条」に分けて、実際に新教科書を手にしたときに行うこと、それから教材研究時に行うことの、分割統合作戦を組んだわけである。
 体よくずらしただけである。

 「であいの五カ条」には、こんなふうに書いた。

 新教科書を手にしたら、しっかりと正対しなければならない。

 1 しっかり開いて折目をつける      
 2 目次を全部声に出して読む
 3 巻末、付録の内容を確かめる      
 4 重点にしたい教材を3つ選ぶ
 5 学習用語をピックアップする


 1は、何をいまさらのようなことを書いた。
 しかし、この点は見逃してはいけないことだ。いいかげんな開き方であっては、後日の「開きやすさ」が違う。
 意識なしに行っていれば変な癖がつく。一枚一ページを丁寧に行いたい…こう書いていて、これは学級の出会いも同様ではないかと気づく。

 しっかり開いて折目をつけること(イメージとしては、一人一人ときちんと正対する活動をする、担任として願いを明らかにする等)は何より必要である。
 2から5までは、担任時代に出来なかったこともあるが、今絞り込んで挙げるならば、優先度が高い事項だ。

 続けて「りかいの五カ条」。
 こう書く。

 教材研究にも授業づくりにも、共通して有効な方法がある。

15行原稿顛末記①

2015年03月17日 | 教育ノート
 先月上旬、M社の月刊誌「教育科学・国語教育」から原稿依頼を受けた。

 何年ぶりのことになるだろう。他社の雑誌やM社であっても学級、学校経営に関するものはいくつか受けたりしたが、「国語教育」となると十数年ぶりのような気がする。
 そうそう、前にこの学校に勤めていた時のことだ。作文の教材開発的な実践を載せた記憶がある。

 それはともかく、今回の依頼内容は「新教科書で授業イメージづくり~私が必ず行う10カ条」。

 それをわずか三分の一ページ、15行で書けという。
 これは厳しい注文である。
 数年前にリニューアルしてからもやたらと細切れ論考を詰め込むようなスタイルになっている。今風な編集と言えばそれまでだが…とぶつぶつ。

 しかし、わが師の教えにより「頼まれたら断るな」は現役教員中は守っていきたいゆえに、受諾にマルをつけて返送した。
 三ページも四ページも書ける力量はないのだが、三分の一ページというとこれまた大変で、いかに絞り込むべきか頭を悩ます。
 15行で10カ条書くのだから解説など無用ということか。

 腹を括った。
 と、しかし、改めてテーマを見直すとなかなか難しい。
 これは「新しい教科書」との出会いをイメージしたものだろうか。それだけで10項目も書けるのだろうか。
 思いつくままにメモしてみる…時間を置いてまた考えてみる…10には届かない。
 
 じゃあ、こんなふうに切り出したらどうか、と逃げの手を打つ。

 授業イメージは、「であい」に始まり、「りかい」で深まる

「ほじや」開業

2015年03月16日 | 雑記帳
 「退職したら何をするのか」と訊かれるにはまだ一年早いのだが、時々妄想?したりして楽しめる。家族の前ではかなり突飛なことを言って笑いをとったり、呆れられたりしている。自由に言えるのは、まだ迫っている感覚がないからか。一年経ったらどうなるだろう。それはともかく今回思いついたことは、かなりいいと自画自賛。店を出す。その名は「ほじや」。


 秋田県内の方なら、この名前はひょっとして…と思うかもしれない。「ほじ」とは、愛読誌の北東北マガジン『rakra』の北東北語辞典によると、こうある。「『ほじ』は本地(読みはホンジ)という仏教語(古語)を源とした秋田弁で、神の正体とされる仏のこと。本来の境地やあり方を指す」。そう、「ね」(ない)という動詞と組み合わせた、最強!の秋田弁「ほじね」である。


 「ほじね」は様々なバージョンの使い方がある。「まんち、おめなば、ほじねなあ」(本当に君は愚かだなあ)という基本的な使用から、「ほじ、どこさ落どしてきたなだ!」(おまえは真っ当な気持ちをどこに落としたのか)、「まったくもお、隣の店さ行って、ほじ買ってこえ」(全然駄目、隣の店に行きまともな心を買ってこい)…隣の店になれたくて「ほじや」を開業する。


 行商してもいいか「ほじは、いりませんか。ほじ、ほじ」と。はたまた積極的にセールを展開する「スプリングセール、今ならほじ60%オフ!」と。いやいや通販だろう「ネットで注目のあのほじが、送料無料で即日発送します」…と。ところで、「隣の店で、ほじ売り切れだった」も昔よく言われていたこと。従って、いつも入荷待ちの状態か。はたまた生産終了か。


 それにしても「ほじね」ことを書いている。

 いや、実は「ほじ」をどう持たせるかっていうことに、少し考えはあるんですけどね。

「そうせい」も「時を待て」も

2015年03月15日 | 雑記帳
 NHK大河ドラマ『花燃ゆ』。評価が二分しているように見える。大河を習慣的に視聴している者としては、中程度の評価。群像的とも言えないし、今のところはどこか中途半端だ。舞台になる長州の殿様役で、北大路欣也が出演している。藩内の対立の中に在る面白い役どころ、セリフの「そうせい」が象徴的である。


 毛利の殿様ということで、最近実に面白い記事を雑誌で読んだ。毛利家の正月の儀式の話である。毎年元旦に、萩城の大奥にやってきた筆頭家老は、殿様に対して同じ問いかけをするのだそうである。曰く「徳川家征伐の準備、あい整いました。あとは殿の下知を待つばかりでございます」と。それに対して殿様は…。


 「いや、ご苦労であった。しかし今はまだその時期ではない。時を待て」と返答される。この密かに執り行われる新年の儀式を、なんと250年し続けたというのだから驚く。つまり明治維新で、関ヶ原の恨みを晴らしたということ。これを歴史の重みと言わずにどう言うか。「時を待て」の前には、個人などちっぽけだ。


 歴代の毛利家当主には定められた命題があった。それこそが自分の生きる目的であり糧であったに違いない。しかし数多のそうでない個は、上の動きを見ながら反応し、道を手探りしていくしかない。さて、我が国宰相も長州の出身。「時を待て」も「そうせい」も言っているかもしれないが、一体何が命題なんだろう。

カソノキニナルキ

2015年03月14日 | 雑記帳
 人々が戻ってきてくれるか、あるいはよそからも人が来てくれるか、その大きな要因の一つが、「つまらないか」「おもしろいか」という広い意味での文化資源に拠っていることは間違いない(平田オリザ)

 魅力あるということは何も経済的、金銭的に限ったことではない。そういう点で満たされた世代、またそのことにあまり関心のない世代の判断基準は、文化ということか。それが都会基準ではつまらない。


 島に逃げてきた彼・彼女が、どういう家族や人生と向き合うのか、あるいは向き合えないのか。「おままごと」が「おまめごと」に変わる日は来るのか。(中澤日菜子)

 過疎と言われる地域で、若い人が暮らすには、ままごと(飯事)さえ出来ていればいいわけではない。さらにこの場合は幼児性も比喩している。まめごと(忠実事)を何で見つけるか、それには自分から働きかける能動性が求められる。


 ミクロな「いい話」をいくら積み重ねても、過疎化を防ぐマクロな効果があるかといえば、それは「無」なのは間違いない。(宇野常寛)

 ひどく現実的な切り口だ。「文化資源」も「まめごと」も、いい話で留まっては地域に何物も注入できない。だから無駄、ということではなく、大胆に踏み出してひっくり返すか、いい話を廻しながら空間、時間を満たそうとするのか。もうすぐ選択を迫られるなあ。

時間の分け方に意識的になる

2015年03月13日 | 雑記帳
 講談社の月刊誌『本』に、作家小池真理子が「時の途上」という小文を寄せている。

 家族の病気、逝去、自宅の火事、新築等々、様々な事情により9年ほど小説を世に出していなかった作家が、「時間」について語っている。心に留まる表現があった。

 自分の外側を流れていった時間は、「時代」を作る。「歴史」はその堆積だと考えていいだろう。(中略)一方、自分の中を通り過ぎた時間は、いつまでたっても同じ場所にとどまっている。振り返ればすぐそこに、まるで昨日のことのように、同じ顔をしたまま鎮座している。


 「時間」とは流れるものである。
 時間が過ぎ去ることによって、万物はかわっていく。
 しかし同時に「時間」は積み重なっていく。
 記憶と呼ぶべきか、痕跡というべきか、現在の全てはそれまでの時間によって成立している。

 格好つけて哲学的な事柄に仕立てようとしているわけではない。
 女性作家の発した、二種類の時間を自分は意識してきたかどうか、問い直している。

 たとえば、震災のことはどうだ。
 私の住んでいる県は直接的な被害はなかったにしろ、この震災については多かれ少なかれ、自分の中を通りすぎた時間としてとらえた者は多かったのではないか。
 だからどんな小さなことであっても(停電、断水、ガソリン不足…)、明確に覚えていて、備えという面は常に顔を出す。

 しかしその一方で、直接的とは言えない津波災害や原発関連については、もしかしたら「外側」にあって、時代になっていくのではないかという危惧がある。
 現実に「福島はかわいそう」「三陸の復興は進んでいるのか」とどこか傍観者意識が出始めている。

 「時間」は体験するものであり、その強度により分化されていくのは仕方ないだろう。
 しかし、時間が一斉に流れているとすれば、外側に押しやらず留めておくべき時間を人は持っていなければならない。
 もちろん無限大でできるわけではなく、それを取捨選択する力や姿勢こそが肝要である。

 いわば、時間の分け方に意識的になることが、「時代」を生きているということになるのではないか。

ピケティから、回して膨らます

2015年03月12日 | 雑記帳
 このビジネス誌を買い求めたときに、書店の主人が「今、このピケティの解説書を読んでいるんですけどね…」と話しかけてきた。さすが地元議会きってのインテリである。私はと言えば、『21世紀の資本』という書物がブームになっているらしい程度しか知らず、ああそうですかと曖昧な笑顔で返すしかなかった。


 経済に強い関心があるわけではないので、件の本は読むことは全くないだろう。しかし流行りもの好きで、名前ぐらいは雑談で使えるようにしたいという不純な?動機で手にとった雑誌だ。それにしてもこのパリに住む経済学者は、提示した現実は厳しい。「豊かさは、働くかどうかよりも、資産を持っているかどうかで決まる」


 その事実に多くの人は気づいているし、格差拡大が言われてから久しい。不平等の拡大がいいと思う人は少ないはずだが、この国の舵取りはどうやら仕方ないと考えているふしがある。そんな中でどう動くか。ピケティ理論の骨子は、いつの時代にあっても、r(資産の収益率)がg(所得の伸び)を上回るということだ。


 その考えを派生させ、r型人間→仕事の仕組みをつくる、g型人間→仕事に追われると型分けされてもぴんとこない。この雑誌にありがちな行動指針的な記事と言えよう。スタートの資産に違いがあることが、もはや決定的という気もする。「働く」ことで資本を増やすとは正論であるが、ある意味矛盾があるではないか。


 結局、こうした考えを個人の立場で読んでみても、何も得るものがないことに気づく。私のように地方に暮らす者はきっと、自分が住んだり属している地域、集団を考えてその資産に目をつけるべきではないか。よさを生かす発想はありがちだが、そのよさを回して膨らますことが「豊かさ」に結びつくのではないか。