すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

教育雑誌にある不易

2015年03月28日 | 雑記帳
 「学級づくり『最初の一週間』の仕事術」という特集は充実していた。福山憲市先生の「最初の一週間は、キーワード《揃う》で仕掛ける」は実に納得が入った。担任として学級づくりをどう意識するか明確であるし、具体例もわかりやすい。一週間の「しかけ」が構造化されている。「心の揃い」「頭の揃い」という太い幹からどんどん実践が枝を伸ばしている。


 この特集で各執筆者の共通の要素を拾い出すと、「見える化」がある。それ自体は多くの教室で意識されていることだろう。ただし肝心なのは「何の」見える化ということである。福山先生は、「成長」の見える化であった。菊池省三先生は「学んだこと」の見える化であった。単なる目標やスローガンではなく、具体的な事実をはっきりと心に残すという点なのだ。


 「キムテリョン流」と題され、清掃指導と給食指導についても特集が組まれている。内容には触れないが、大きく取り上げること自体、実に的を射ている。この二つがうまく行われている学級のレベルは、心ある教師であれば想像がつく。子どもたち自身がしっかり行うべき活動として、またその活動が他に対して役立つという感覚を備えているかどうかである。


 二瓶弘行先生の「国語教室づくりの極意」という新連載があった。書かれている内容はずっと以前から主張され、実践をくぐらせてきたことだ。あの教室を参観したときの感激も覚えている。子どもたちとの出会いの一言が「誰か、この詩を読みたい人はいませんか」であり、最終のゴールが40人の手がぴしっと挙がることに置かれていることは、実に明快だ。


 それにしても他の「小〇教育技術」と比較すると、異色な内容になっているこの学年誌。実に見どころがある。他の学年と差別化を図っているのか。これだと、逆に特定の学年の名称をつけなくともいい気がする。立ち読みして魅力的と思っても小1担任がこれはなかなか買えないかもしれない。「学年別教育誌」も不易だろうか、と編集の仕方には疑問が残る。