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桜と絵本と豆乳と

あの時の「材」の重さ

2017年10月10日 | 読書
 たまに読みたくなるシゲマツ本。ちょっと小説を読みたい気分のときに、安心して手に取れる作家だ。中味を見ずに選んだら、いわゆる震災をモチーフにした短編集だった。ああシゲマツも書いていたか、そうだろうなあと思った。こうした類の本は、被災地・被災者との距離を確かめるうえでも時々読んでおきたい。


(七高山より 秋朝)

2017読了98
 『また次の春へ』(重松清  文春文庫)


 物語を作っていく才能の一つに、取材や選材する力があるのは間違いない。その意味で凡人(少なくとも自分)が気にも留めなかった「材」が話のなかに登場すると、びくっとしたり、じわじわと考えさせられたりする。この話のなかでは「死亡届・家族の申述書」「カレンダー」「住居移転手続き」等がそれに当たる。


 行方不明者の捜索は、繰り返し何度も報道され、様々なドキュメントもあった。結局、思い切らなければいけない状況…この小説でもその区切りの難しさがぐっと迫ってきた。物事は、生きている者の論理や感情でしか動かないものだが、不明者の死亡届に関わる場合、判断を決める心の傲慢さを人は時々忘れそうになる。


 『記念日』にあるカレンダーの存在感に心動かされた。被災した方々はどんな気持ちでカレンダーを眺めていたのか。送る活動を始めた側の思い、送られた側が持つ多岐で複雑な感情…あの年のカレンダー3月分の1枚にはあまりに多くの心が寄せられることを想像すると、「材」の持つ重さが、ずしっと伝わってきた。