このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。
この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp
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20201207 幸手 碑
埼玉県久喜市青葉
幸手橘守部翁遺跡碑
国学者橘守部(1781-1849)は伊勢国朝明郡小向村(現・三重郡朝日町小向)で生まれました。父の飯田長十郎元親は大庄屋でしたが、国学者谷川士清の門人でした。守部が12歳の時、家が没落し、四日市の生桑村に引っ越して後、すぐに大坂に移りました。16歳の時に父と死別し、17歳で江戸に下ります。守部の青少年時代は多難で、なかなか勉強する暇もなかったようです。29歳で武蔵幸手(埼玉県北葛飾郡)に引っ越し、田村清人の娘と結婚し、以後ここで独学で勉学に励みます。49歳で江戸深川大島町に住み、51歳で浅草寺弁天山に移ります。60歳を過ぎて、「稜威道別」十二巻を著すなど国学者としてのめざましい業績が伺われるようになります。晩年、肥前平戸藩主松浦氏の知遇を得ることができました。
守部は本居宣長の学説に反対し、神話の解釈や古典の研究に独自の説を立て、平田篤胤・伴信友・香川景樹と並んで、天保の四大家と称されるまでになりました。幸手桜高等学校地内にある。