中年おじさんの散策part2

散策内容を紹介します
七福神・温泉・散策案内が主なものです。

碑-231 幸手 橘守部翁遺跡碑

2021-09-20 05:50:09 | 

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ)

 

20201207 幸手  碑
埼玉県久喜市青葉
幸手橘守部翁遺跡碑
  国学者橘守部(1781-1849)は伊勢国朝明郡小向村(現・三重郡朝日町小向)で生まれました。父の飯田長十郎元親は大庄屋でしたが、国学者谷川士清の門人でした。守部が12歳の時、家が没落し、四日市の生桑村に引っ越して後、すぐに大坂に移りました。16歳の時に父と死別し、17歳で江戸に下ります。守部の青少年時代は多難で、なかなか勉強する暇もなかったようです。29歳で武蔵幸手(埼玉県北葛飾郡)に引っ越し、田村清人の娘と結婚し、以後ここで独学で勉学に励みます。49歳で江戸深川大島町に住み、51歳で浅草寺弁天山に移ります。60歳を過ぎて、「稜威道別」十二巻を著すなど国学者としてのめざましい業績が伺われるようになります。晩年、肥前平戸藩主松浦氏の知遇を得ることができました。
 守部は本居宣長の学説に反対し、神話の解釈や古典の研究に独自の説を立て、平田篤胤・伴信友・香川景樹と並んで、天保の四大家と称されるまでになりました。幸手桜高等学校地内にある。 

 

 

 

 

碑-230 久喜 エンゼル公園

碑-229 千塚神社

碑-228 久喜吉羽 千勝神社

碑-227 久喜 青葉団地

碑-226 久喜 高輪寺

碑-225 建国記念文庫

碑-224 日光街道古河宿道標

碑-223 東鷲宮西口

碑-222  鷹見泉石誕生の地

碑-221  鷹見泉石記念館

碑-220  古河駅西口

碑-219 古河駅西口

碑-218  古河 法興山妙光寺

碑-217  古河 大聖院

碑-216  古河 尊勝院

碑-215  古河 宋願寺

碑-214  古河 正定寺

碑-213  古河 秋葉神社

碑-212  古河 稲荷宮

碑-211  奥原晴湖画室 繍水草堂

碑-210 調神社

碑-209 調(つき)公園

碑-208 戸賀崎氏練武遺跡 

碑-207 久喜本町 千勝神社 

碑-206  久喜 光明寺 

碑-205  常楽寺 大日堂 

碑-204  電電神社 (田宮) 

碑-203  浅間神社 (幸手市北) 

碑-202  正福寺 後世に善行を讃え伝える碑

碑-201  宝昌寺 「母性愛」

碑-200  杉戸宿標・南側用水の碑

碑-198 熊谷聖天宮(勧喜天)

碑-197 建国記念文庫

碑-196 湯島天満宮

碑-195 洋紙発祥の地

碑-194 大鳥神社 櫛塚


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