桑炭会 島根県伝統の炭焼き 

松江市八雲町で伝統的な八名窯を継承し炭焼き、販売をしています。
メインテーマは自然環境保全。

八雲町文化財保護協会発行『かたりべ』への寄稿

2022年04月13日 16時58分45秒 | 活動報告

八雲町文化財保護協会は名は体を表すそのもの、桑炭会の会員にもこ

の会に4人が属し積極的に活動している。その一環として桑炭会の活動

について原稿依頼があり設立当初からの活動状況、炭焼きに対する思い

入れなどを『伝統の炭焼きを繋いで二十五周年』と題して寄稿、それが

『かたりべ三十八号』に掲載された。

長文のため2回に分けて紹介。

八雲町文化財保護協会の紹介下記のリンクをクリックしてください

        八雲町文化財保護協会

 

伝統の炭焼き繋(つな)いで二五年

桑 中 石  倉     幹

 

「山が荒れたの~」「木ががいになってしまったの~」「竹の勢いがよて

えらいの~」などの会話の中から・・「炭焼きやってみ~か」・・・はじ

まりはここからでした。

 そして、炭焼きの技術はいずれこの地からなくなってしまうのではない

かという寂しさもあるなかで、桑並の世代間交流もやれる「炭焼きグルー

プ」をつくってやってみようかということになりました。

 グループの結成と準備を進めてきましたが、このたび補助事業にも取り

上げていただくこととなりました。そこで桑並地内に呼びかけ世代間交流

による生産と伝承、高齢社会や環境問題などに、特に関心と意欲をお持ち

の方はぜひとも参加いただきたく、ここにご案内の運びとなりました。

損も覚悟でやってみようと熱意をお持ちの方はぜひお出かけ下さい。

こんな呼びかけ文で地域内を誘い巡る。一九九七年(平成九)十一月十五

日、賛同者十八名の参加により「桑並木炭生産グループ」を結成し、石倉

初さんを代表に選んでのスタートとなる。

なお、二〇一一年(平成二三)五月から看板名称として「桑炭会(そうた

んかい)」として活動を続けている。

 

さて、まずは炭窯づくり。別所越の中間地点に土地をお借りし、窯築作業

が始まる。窯づくり資材、とりわけ窯築に必要な土の確保にはかなりの苦

労。粘りが強ければ良いというものではなく、古窯求めて遠方までトラッ

クを走らせる。詰め込む炭材、釜口石材等々会員から沢山の持ち出し、炭

小屋材料も各方面から多くの提供を受け窯築作業が進んで行く。

 最初の窯は石倉義光さん(秋家)の指導により構築が進み、経験の多寡

にかかわらず、賑やかさも交えながらも形ができていく。会員でもある石

倉一男さん(桑下)も、最年長であったが経験から細やかに作業を先導し

て下さった。(二人ともお亡くなりになった)

 木炭はかって島根県の重要産業であり、大方の家庭が炭焼きによって戦

前戦後の生活を支えてきただけに、経験者も多く、総じて作業はうまく進

んだといえる。

 この窯は、島根県が一九二〇年(大正九)から取り入れ、今日も続いて

いる伝統の「島根八名窯」である。

 窯づくりが進むに併せ、窯を覆う炭小屋づくりのための資材調達も大仕

事。骨格づくりに古電柱、外壁や屋根となる古並トタン等々、各戸にある

使えそうな材料をたくさん提供いただき小屋づくりが進む。更に当初予定

外の作業スペース分も増設することになった。

 グループのメンバーも、いろいろな技術や経験を持った面々の集まりで

可成りなことはできたものの、予想を超えての大きな建築物となり、屋根

づくりは本職にもお世話になり、窯と作業空間を持った炭小屋が完成し活

動の場が出来上がる。 

この初窯づくりは、旧八雲村から「農山漁村・女性・高齢者生活活動支援

事業」という補助事業の紹介を受け、これがわたしたちに決断を与えてく

れたといえる。

 この補助対象事業費は窯工、小屋工、機械購入で約百三十万円が認めら

れ、五十五万円の補助金の交付を受ける。

ただ、総事業費の中で薪割り機など機械購入が七十七万円余を占め、補助

裏、補助対象外を補うため七十万円を借入金、足らないところは個人負担

となったものの躊躇する意見は全くなかった。

この窯づくりでのみんなの結束と勇気が、今日わたしたちグループのエネ

ルギーとして引き継がれていると言えるかもしれない。

 チェンソーをはじめ機械・器具・用具は、すべて私物の持ち出しで事業

は進めてきたが、二〇〇一年(平成一三)一月「がんばる島根農林総合事

業」の補助を受け、運搬車とチェンソー二台を整備することができた。

わたしたち桑炭会のグループとしての形が整ったときでもある。 

一方で一九九九年六月、生産販売体制をつくり販売促進を図ることを目的

に八雲村木竹炭研究会(外谷健一会長)がつくられ、藤原(三基)、秋奥

、桑並、稲葉、須谷(それぞれ一基)炭窯を持つ個人やグループで、先進

地等の視察や情報交換などを行なったものの、長くは続かなかった。高齢

化が進み後継への対応ができなかったことが主因だったと思う。その一方

で木炭を求める声は伸びていると感じる時勢でもあった。

木炭を求める方々は、燃料というだけでなく、空気洗浄効果ありとの報に、

押入れ、下駄箱、床下などへの利用。また、製炭の際に生ずる木酢液が土

壌消毒、防虫、脱臭剤の利用へと求められるようになってきた。(続く)

            


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