白雲去来

蜷川正大の日々是口実

そろそろ蔵書や資料の整理を。

2022-02-10 12:59:12 | 日記

2月7日(月)晴。北方領土の日。

朝食は、昨夜の残りの人参の天ぷらと小エビと新玉ねぎのかき揚げを煮て卵でとじたものと、お椀でかけ蕎麦。昼は抜いた。夜は、豚肉とピーマン炒め、鶏の手羽揚げ、ブリの刺身。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

良い天気なので、久しぶりに一時間ほど歩いた。途中で大悲会の志村馨君と会い立ち話。お互いに持病持ち、コロナ来るな、来るなら来てみろ赤とんぼ。と慰めあって別れた。その後、自宅に戻ってから事務所へ。新しいパソコンを買うまで何もすることがないので、掛け軸の整理。掛け軸も蔵書もそろそろ終活を考えて整理しようかと思っている。事務所にある二千冊ほどの本のほとんどが雑本で資料的価値のあるものなど少ない。まあ早い話が私の趣味の範囲を出ない。門下生や一門の者に上げたとしても、普通の家では到底置き場所に困るだろう。

以前、川崎の古書展に行ったら、野村先生が生前、自著を先輩に署名入りで贈呈したものが売られていた。民族派運動に興味のない遺族には、民族派関係の本など邪魔以外の何物でもない。『大川周明全集』、『大右翼史』、みすず書房の『国家主義運動史』、『北一輝全集』などは恐らく出版社も再販はしないだろう。5・15事件や2・26事件のいわゆる「昭和維新運動関係」の本や資料などは、スペースがあればいずれ花房東洋先輩が計画している「昭和維新運動資料館」に寄贈するつもりでいる。野村先生の本は、現在電子書籍化を進めている。※東条英機揮毫の扇子。

 


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「雪害」と「熊害」。

2022-02-09 13:11:40 | 日記

2月6日(日)晴れ後曇り。

札幌などでは記録的な大雪が降っているそうだ。札幌在住の社友のブログには、道路の両脇に崖のように雪が積もり、雪のトンネルのような道を人が歩く写真があった。また雪で道が狭まりあちらこちらで渋滞が発生しているとのこと。そんな大雪など経験したことがないので、ただ驚くばかりである。ニュースでそれを「雪害」と言うらしい。横浜などにいると本当にたまにの雪は、神様がくれたロマンティックなプレゼントのように感じることもある。たかだか5センチ、10センチ積もると都市機能がマヒし、転倒などして救急車で運ばれる人が多くなる。雪国の人から見たら、こちらの方が驚きのニュースかもしれない。

神奈川県で、自然の「害」と言えば、台風などによる水害、水不足による干害の二つが頭に浮かぶ。北海道には、今回の雪害の他に、熊による「熊害(ゆうがい)」と言うものがあるということを、以前読んだ吉村昭の『羆嵐(くまあらし)』(新潮文庫)で知った。大正4年12月9日から14日にかけて北海道苫前郡苫前村三毛別(現・苫前町三渓)六線沢で発生した熊害で、ヒグマが数度にわたり民家を襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った事件である。三毛別羆事件とも呼ばれている。(Wikipedia)

現在でも、北海道だけではなく、開発によって棲む場所を奪われた熊が市街地に出没し、農作業中に人が襲われるということがある。幸いに東京や横浜のビル街を熊が駆け回るということはないが、山里などに暮らす人たちには深刻な悩みかもしれない。天気予報では、10日、11日あたりに関東地方では雪となるそうだ。せめて雪害とならぬようにと祈るばかりである。

 


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コロナ禍で全く音沙汰がなくなったものは。

2022-02-08 14:02:32 | 日記

2月5日(土)晴れのち曇り。

のんびりと起きた。朝食は家族そろって、納豆、筋子、鮭、わかめの味噌汁。昼は抜いた。夜は、鶏手羽の蒸し物、豚肉とキャベツの炒め物。下の子供が高島屋のフードコートで買ってきてくれた能登屋の玉ねぎ天、もやし揚げ。酒を切らしたので、わずかに残しておいた「森伊蔵」をいとおしく飲む。

コロナ禍で全く音沙汰がなくなったもの・・・。飲み屋のおねえちゃんからの「そこに愛はあるのんか」の営業電話と、マンションのチラシか。あれだけ毎日のようにポストに入っていたマンション販売のチラシが、ここの所、ずっーとない。以前。、余りにも様々な会社のチラシが入るので閉口したことがあった。2,3日家を空けたならばチラシの量で留守と言うことが分かってしまう。玄関で、チラシ配りの人を見たので、「入れないでくれよ」とぎっちり言おうかと思ったら、いかにもくたびれた感じのご同輩で、仕事を取ってしまったら可哀そうかなと思って、知らんふりしてあげた。何でも、最近は投機筋もあってマンションの値段が高騰し、以前のバブル時代以上だそうだ。

またリフォームする材料が入らず、売る人も少ないことも高騰に輪をかけているという。ラジオで知ったのだが、バカップルではなくてスーパーカップルと言う人たちがいるそうだ。夫婦共働きで年収が2千万、3千万以上の人たちが都心、あるいは近郊の高層マンションの広い部屋に住んでいる人他のことを言う。みなとみらい地区のマンションなどは、設計の段階で即売すると建築関係の友人が言っていた。浪人暮らしの私としては、まるで実感のない話である。野村先生ではないが、「老後のために今は我慢して貯金する。まあそれもいいが人間、老後どころか5分先のことさえ分からない。5分先のことが分かれば、交通事故で死ぬ奴はいねぇよ。老後の心配をするなとは言わないが、今を大事に楽しく生きなければ」。全くその通り。


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裕ちゃんの歌で、慎太郎さんを悼む。

2022-02-06 14:03:24 | 日記

2月4日(金)晴れ。

久しぶりに「みなとみらい」まで車で出かけた。石原慎太郎さんの死を悼んで、弟の裕次郎さんのCDを聞きながらのしばしのドライブ。私にとってとの裕ちゃんの一曲と言えば「赤いハンカチ」に尽きる。その歌が発売されたのは昭和37(1969)年の10月。私は中学の1年生だった。その歌のヒットで、翌年に映画化された。横浜が舞台のアクション映画だが、映画を見たのは、ずっと後のことである。劇中の山下公園の前にあるニューグランド・ホテルの街路樹に寄りかかって上階を見上げる裕次郎。今でもそこを通ると、街路樹に寄りかかりたくなるが、当時はなかった、囲いが出来て、その中に入って、裕ちゃんになりきることが出来ない。又、今はなくなってしまった野毛山の動物園の前にあった遊園地など横浜生まれの私には懐かしい映像が沢山あって、それを見ているだけでも楽しい。

随分前のことだが、網走にある国定公園の能取岬に行ったことがあった。品行方正で2級になった者たちへのご褒美の遠足である。上下ジャージに野球帽をかぶって、他人が見たらどこかの会社の野球チームと思われるかもしれない。オホーツク海を見渡すその断崖に立って、ふと空を見上げた時、なぜか「赤いハンカチ」の歌がその景色と重なったのである。「北国の春も逝く日、俺たちだけがしょんぼり見てた、遠い浮雲よ」・・・。もう30年以上も前の出来事だが、今でもはっきりと思い出すことが出来る。

裕ちゃんは昭和62(1987)年の7月に52歳で世を去った。その二年後に美空ひばりも亡くなってしまった。裕ちゃんと同じ52歳だった。昭和天皇の崩御もあって、本当に昭和が終わったと実感した。その翌年の春に私は戦線復帰を果たす。裕ちゃんのヒット曲を聞きながら慎太郎さんの死を悼む。※写真は能取岬。また行ってみたい。


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家呑みで二日酔いか。

2022-02-05 16:23:03 | 日記

2月3日(木)晴れ。

何と昨夜、家呑みして二日酔いとなった。我ながら情けない。「群青忌」の25年祭のDVDを見ていたら色々な思いが重なり、眠れなくなった。焼酎のソーダー割から、梅干しを入れたお湯割りに変えたら、ウララ、ウララで、もうどうにも止まらない。結局、「三岳」の四合瓶が空いてしまった。布団に入ったのが一体何時なのか記憶にない。目が覚めたのは11時過ぎ。やっちまったぜ。寝室の天井に「反省」の二文字が浮かび、更に阿部勉さんの「数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん」の歌が聞こえた。早朝から労働に勤しんでいる労働者階級の皆さんに平身低頭、スマン、スマンのオスマントルコである。

昼、テレワークで自宅にいる下の子供に「いつまで寝ているの」と怒られ、居候のように、こそこそと朝食を兼ねた昼食。レトルトの「銀座カレー」にメンチカツ2個のせ。マルちゃんの小ワンタンスープ。食後、いたたまれずに事務所へ。ノートパソコンを愚妻にあげてしまったので、事務所に行っても仕事にならず、亡くなられた石原慎太郎さんの『ある行為者の回想』の原稿を探した。「野村先生関連掲載誌」のスクラップの中にあった。事務所が寒いので自宅に戻る。仕事をしているふりをするのも中々つらいものだ。

夕食は、チキンカツに焼売。さすがに休肝日とした。


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