白雲去来

蜷川正大の日々是口実

アジア大会が面白い。

2018-08-27 14:52:05 | 日記
八月二十五日(土)晴れ。

朝、八時スタートのアジア大会男子マラソンを見た。恐らく二年後の東京オリンピックも、今日のジャカルタと同じような気温の中のレースになるに違いあるまい。スローペースでレースは始まり、酷暑の中でサバイバルレースのようになった。結局、最後の競技場での争いとなったが、ラスト百のスパートで井上大仁が競り勝って優勝した。二位となったバーレーンの選手と接触があったが、内側から割り込んで追い抜くのは宜しくない。終了後にバーレーン側が「走路妨害」と抗議したそうだが、通る訳もない。陸上競技のの幸先良いスタートとなった。

アジア大会での競泳が終った。池江で始まり、池江で終わった感がある。百年に一人のスーパー高校生だ。身長は百七十㎝、足のサイズは二十六・五㎝、リーチの長さは百八十四㎝とプロフィールにある。因みに私の身長は百七十六㎝、足のサイズは二十六センチ、リーチを測ってみたら、百七十㎝、何と池江選手よりも十二㎝も短い。凄いなぁー。二年後の東京オリンピックが楽しみである。

午後から、愚妻とみなとみらいの映画館へ、「ミッションインポシブル」を見に出かけた。ブルク13とか言う映画館で、同じ物を二館で別々に上映している。聞けば、一館は「アイマックス」とか言うとてもクリアな画面で、音響設備も抜群に良いとのこと。当然ながら料金が少し高い。前作も映画館で見た。数多く封切られる映画も、映画館で見たいものと、DVDが発売になってから自宅で見ても変わらないものがあると思う。「万引き家族」のようにストーリーを重視する映画は、失礼ながら家のテレビで十分だと思う。

、「ミッションインポシブル」は期待にたがわずとても面白かった。余計なことを考えずに画面に釘続けとなるような映画が好きだ。そして「アイマックス」半端ではなかった。上映終了後に、ラドマークプラザの「ティン・タイ・フン」という有名な飲茶屋さんに行きランチ。このお店は台湾が本店で、そのお店に何度か行った。上海に行った際にも行ってみたが、何となく台湾の本店が最高のような気がする。小籠包は中華街の入口にある北京飯店が一番好きだ。夜は、のんびりと過ごした。

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総合火力演習(総火演)の余韻。

2018-08-27 14:02:07 | 日記
八月二十四日(金)雨後曇り。

昨日、朝が早く、御殿場までの往復を運転したため、疲れて十時前に寝たせいもあり、七時に起きた時は、絶好調。朝食は、珍しく揚げ物がメインで、鶏のから揚げ、紅鮭、マツタケのスープにトロロコブ入れ。昼は、ソースチャーハンにナポリタン添え。夜は、豚肉とナス炒め、清風楼の焼売、大根のサラダ。

昨日の自衛隊の総火演は圧巻だった。家人などは、ずっーと耳をふさいでいた。その姿を見て思い出しことがあった。中国では観劇のことを「聴戯」(テンシー「劇を聞く」)と言うそうだ。中国研究家の竹中憲一氏の「胡同に眠る現代史」によると、「劇を聞くという言葉は、はじめは奇異に感じたが、京劇を見てはじめて納得できた。劇場に一歩足を踏み入れると、耳をつんざくような銅鑼の音、絹を裂いたような胡弓の音、喉の奥から絞り出し脳天を突きぬけてくる声が渾然一体となって耳の中に飛び込んでくる。しばらく我慢してこの『音』の世界に身を置いていると頭の芯がしびれ陶酔の域にいたる」。という一文だ。

総火演での戦車や自走砲?などの凄まじい爆裂音や機銃の発射音の中に身を置いていると「頭の芯がしびれ陶酔の域にいたる」ように感じられる。まあそれは、私が男だからかもしれない。

昨日は、処暑だった。言うまでもなく、立秋も過ぎて暑さも止り,いわゆる残暑の時期となる。しかし、この厳しい残暑、何とか早くおさまって欲しいものだ。愚妻に、ごく丁寧に、「帰りに黒霧島を一本買って来てね」と言えば、「後でお金頂戴ね」。何とかなだめて、おとなしく酔狂亭で独酌。

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自衛隊の総合火力演習へ。

2018-08-27 13:26:23 | 日記
八月二十三日(木)曇り後雨。

今日は、私の友人のお世話で、自衛隊の総合火力演習の見学に行った。何年か前に松本佳展君のお世話で行ったことがあり、これで二度目である。五時に起床、五時半に家を出て、一路御殿場へ。途中海老名のSAで朝食のおにぎりを買って行く。御殿場で降りてから、指定されている駐車場へ向かう。

颱風が近づいているせいか、富士山の頂きがすっぽりと雲に隠れていて、空が今にも泣き出しそううである。祈るような気持ちで演習場へ向かう。スタンドはE席。すごい人出である。社友の林雄毅さん親子や、岸田忠稔さん、中野光子さんたちが来ているそうだが、とても探すことなど出来ない。先着していた志村馨君や、いつも先生のお墓の掃除をして頂いている小田雄図史さんや同志の方々を発見。平塚の社友の皆さんも到着。十時から、迫力のある火力演習が始まった。世界に誇る10戦車から発せられる轟音は、私たちが座っているスタンドもゆらすほどだ。

十一時頃から、とうとう雨になった。志村君たちがカッパを差し入れてくれたので、なんとかしのげたが、雨が激しくなり午前中のみで撤収した。帰宅後は、早めに就寝。

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尊攘義軍七十三年祭。

2018-08-26 12:46:32 | 日記
八月二十二日(水)尊攘義軍七十三年祭。

「尊攘義軍」とは、昭和二十年八月十五日早暁、日本を敗戦降伏という未曾有の事態に陥れようとする元凶として、木戸内大臣を斃すべく立ち上がった尊攘義軍十烈士は、しかし事成らず次の手立てのために芝・愛宕山に立て籠もった。取り巻く官憲との攻防が熾烈を極めるなか、義軍の志士たちは天下の情勢を冷静に見極め「承詔必謹」の大義に殉じることを決めることとなる。義軍のその決意は「陛下の詔に反した罪の責任をとる」玉砕であった。しかし官憲は、解散を強く要求するなか、二十二日夕刻、義軍に対し発砲を開始する。そのとき、義軍陣地から数発の爆音が轟いた。烈士らは、相抱きあいながら、手榴弾を炸裂させ最期の時を迎えたのである。

自決された、飯島與志雄大人命の辞世
「一脈の正気留めて日の本の誇りとともに吾は砕けつ」
「神州の不屈をしめす此の正気継ぐ人あらば思ひ残さじ」

また、二十七日早暁には、義軍の二夫人が自刃場所を清めたあと拳銃自決をし夫君の義挙に殉じた。この義挙から今年で七十三年。中村武彦先生の衣鉢を継いで、民族革新会議の犬塚博英議長が同志と共に毎年斎行されている。

毎年参加しているのだが今年は、どうしても所用があり欠席。一門から、群青の会の大熊雄次、大悲会の志村馨の両君が出席。弘明寺の「花笠」にて、「蜷川政経懇」を開催。終了後は、有志にて関内へ転戦。二時間ほどで帰宅。

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世の中には、聖人君子だけがいる訳ではない。

2018-08-24 15:21:54 | 日記
八月二十一日(火)晴れ。

火曜日と言えば、すぐに頭に浮かぶのが「床屋さんが休み」ということ。そんなこととは関係なしに、目が覚めれば腹が減る。朝食は、鮭の粕漬、納豆、豆腐となめこの味噌汁。昼は、事務所で「緑のたぬき」。夜は、鶏の手羽元と大根の煮物、豚肉とナス炒め、マカサラ。「黒霧島」をお供に月下独酌。

機関誌『燃えよ祖国』の最新号のすべての発送が終った。毎月のことだが、機関誌の発送が終ると、本当にホッとする。機関誌を読んで頂く人たちに感謝しつつ、次はどんな特集を行おうかと、嬉しい悩みの日々を過ごす。しかしながら、一度も黒字になったことが無い。印刷機のリース代からインクや紙、封筒などの経費の他、一番頭が痛いのが郵送費である。それでも発行し続けるのは、気障な言い方をすれば、使命感と意地でしかない。街宣車や街頭に立って行うのも運動なら、機関誌を出すのも運動である。野村先生の思想と行動を風化させないためにも、機関誌を通して、志を同じくする方々と連帯して行きたいと思っている。どうかご支援の程をお願い致します。

アジア大会で、バスケの選手が、一杯入った勢いで地元のオネエサンと遊んだことがばれて、代表を首になり帰国させられた。まあ代表の象徴でもあるユニフォームを着たまま、遊び歩くと言う行為は、確かにとがめられても仕方がない。しかし、日本は、本当に本音と建前を使い分けている国である。全国にどのくらい麻雀屋があるのかは知らないが、お金を賭けないでやっている店がどのくらいあるのだろうか。もし賭けているとしたら、立派な賭博である。ソープランドで、本当に体だけ洗って帰る客などいるのか。数多ある風俗店もそうだ。バスケの選手も、「すみません。以後気をつけます」ぐらいで許して上げれば良いのにと思うのは、私だけだろうか。

売春や買春が、良いか悪いかは別として、世界には、体を売らなければ生活が出来ない人たちが大勢いる。そう言った人達の一人も救えないのが、現実ではないか。世の中には、聖人君子だけがいる訳ではないのだから。

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