六月十六日(火)曇り。
まだ調子が悪い。何だか薬を沢山飲まなくてはいけないので、それだけでもうんざりする。体調が良い時は、目が覚めると、今朝の朝食はと、ウキウキするのだが、さすがにそんな気にはならない。それでも腹は減る。
こういう時こそ、姿勢を正して(横になったままでもいいのだが)読書でもしなければと、気合だけは入れたが、机に向かうとグデタマのようになってしまう。何か、スクラップの中に面白い物はないかと探したら、あった、あった。今から七年前の十月の「産経抄」に、若き日の勝海舟のとても良い話が……。
貧乏で本が買えなかった勝海舟は、もっぱら立ち読みを日課にしていた。函館の回船問屋の主人、渋田利右衛門と出会ったのも、行きつけの本屋だった。子供のころから本好きだった利右衛門は、商用で江戸に出てくるたびに、大量に本を買い込んで、地元で公開するのを、楽しみにしていた。二人はたちまち意気投合する。数日後、海舟のあばら家を訪ねた利右衛門は、「書物でも買ってくれ」と、二百両を差し出した。海舟の談話を集めた『氷川清話』にある有名なエピソードだ。二百両といえば、いまの一千万円を優に超えるだろう。
海舟の長崎遊学の費用も出した利右衛門は、自分がもし死んでも頼りになる人物として、灘の蔵元、嘉納治右衛門、紀州の豪商、浜口梧陵らを紹介する 治右衛門の息子は、柔道の創始者で、海舟に師事することになる治五郎だ。梧陵は安政南海地震の際、大量のわらに火をつけて避難路を示し、村人を救った「稲むらの火」の物語で知られる。海舟と利右衛門の因縁は、これにとどまらない。利右衛門の息子が函館で開いた貸本屋で、読書に目覚めた少女がいた。やがて上京して、海舟が支援していた明治女学校に入学する。そこの教師をしていた島崎藤村と結ばれ、藤村が作家として世に出るのを陰で支えたのが、最初の妻、冬子だ。(「産経抄」)
太公望と周の文王の出会いを詠んだ江戸時代の川柳に「釣れますか、などと文王そばに寄り」というものがあるが、海舟の場合は「読みますか、などと利右衛門そばに寄り」か。
飲み屋の前に立っている私に、「飲みますか」などと言ってポンと二百両ほども投げてくれる人はいないかねェ-。居るわけないか。あーあ熱が出てきた。