白雲去来

蜷川正大の日々是口実

開港バザー

2015-06-16 18:37:40 | 日記
六月七日(日)晴れ。

朝食の後に、今年大学生になった上の子供が、横浜公園の前にあるYMCAで行われる「英語検定」のスタッフのアルバイトに行くと言うので送って行った。愚妻曰く「甘やかせるな」。まあこちらとしては、車の中で、子供ともろもろの話をする時間が楽しいだけだ。横浜公園に着けば、恒例の開港記念バザーが行われていた。横浜開港記念バザーは、一九二〇(大正九)年から続く「横浜みなと祭り」の行事の一つである。私が子供の頃は、尾上町の交差点から、今の横浜スタジアムに向かう道路のわきに「見世物小屋」が出ていた。お化け屋敷や怪しげな看板の「ろくろ首」などの小屋が並び、一番覚えているのが、竹で編んだ丸い地球儀の中をオートバイで縦横無尽に走る。すごい迫力だった。公園内にあった野外ステージで、横浜出身の歌手である渡辺はま子のショーがあり、出口で人が将棋倒しとなり、大勢の死傷者が出たこともあった。

当時は、横浜公園のバザーや縁日での灯りは、まだ電球ではなく「カーバイト」を利用した灯りを点していた。その匂いも懐かしい。自宅に戻り、和室の障子の張り替えをやった。本当は暮に予定をしていたのだが、冬の結露で毎年、障子がシミになってしまう。折角張り替えてもすぐに駄目になってしまうので、この二、三年は梅雨の前に行うことにしている。日用品の量販店で障子の紙を買って貼るのだが、今は便利な物で、アイロンを当てるだけで上手に貼れる。後は霧吹きで水をかければピシっとなる。大小の障子六枚を張り替えただけで部屋が明るくなり、気持ちが良い。

四時に、バイトに行った子供と合流。人生初のアルバイトの報酬で、コージコーナーのケーキを買ってくれた。愚妻が感激していたが、こちらとしては高い物につきそうなので戦々恐々。バザーをひやかして、社友の古谷喜久男氏らのキッチンカーを探すが出ていなかった。一時間ほどで帰宅。夜は、皆で、自宅の近くのお好み焼きの「鶴屋」にて夕食。

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