白雲去来

蜷川正大の日々是口実

戦争映画が好きだ。

2015-02-23 17:47:30 | 日記
二月二十日(金)晴れ。

先日、山平重樹氏の「高倉健と任侠映画」を紹介したが、個人的には人に語るほど任侠映画を見てはいない。それでもあの時代の任侠映画はほとんど見ているが、Vシネマが全盛期となってからは興味が薄れて見なくなった。好きな映画のジャンルは戦争映画である。それも潜水艦物と飛行機物が好きだ。

思い出に残る飛行機物の戦争映画でベストは、「撃墜王アフリカの星」「空軍大戦略」「雷撃隊出動」「燃ゆる大空」「青島要塞爆撃命令」などであろうか。靖国会館がまだ改築される前に、「青島要塞爆撃命令」で使用された複葉機が天井に飾られていたことを覚えている。あの飛行機はどうしたのかなぁ。後、スピットファイヤーが美しかった「ダーク・ブルー」という映画も良かった。日本の戦争映画で好きな物は、戦前に作られた「ハワイ・マレー沖海戦」が白眉だと思う。新東宝の「明治天皇と日露戦争」や「日本の一番長い日」、「太平洋の翼」「太平洋の嵐」「日本海大海戦」「南の島に雪が降る」「轟沈・印度洋潜水艦作戦記録」など。まあ思い出すままに書いたので、忘れている物もあるかもしれないが、潜水艦の映画はどれもあまりハズレがない。戦争映画はほとんど持っているが、まだ見ていない物もかなりありボチボチと集めてみるつもり。

先日もアマゾンで購入したのが、「暁の出撃」(イギリス)「殴り込み戦闘機隊」(イギリス)「撃滅戦車隊3000粁」(イギリス)「空爆大作戦」(イタリア・アメリカ)の四本と何とDVDが十枚もセットになっているアメリカの戦争映画である。さすがに十枚もセットになっていると何枚かは見た物があるが安いので買ってしまった。暇な一日、肴を用意して好きな映画を見る。至福の時ですな。さあこれから始めますか。

>※写真は「ハワイ・マレー沖海戦」の昭和十六年公開時のポスター。strong>

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『燃えよ祖国』を鋭意製作中です。

2015-02-23 17:47:30 | 日記
二月十九日(木)曇り後晴れ。

調子の悪い時は、こんなに寝ていられるのかと思うほど、目が覚めなかった。お陰様で熱は下がり昼過ぎから事務所で仕事をした。私が編集発行している『燃えよ祖国』の第二百十号を編集中である。今回の特集は、イスラム国に殺害された二人の日本人の事件について保守の方や民族派の活動家の皆さんに書いて頂いた。

群青の会の大熊雄次氏、國の子評論の横山孝平氏、大行社の小針政人氏、栃木在住の人見仁氏、神職の中村徹氏、郷土史家で作家の堀雅昭氏の六氏の方々である。それぞれの視点で、今回の事件の所感を書いて頂いた。また先日の十四日に行った野村先生の生誕祭の祝詞や請願詞、民族革新会議の犬塚博英議長からの連帯の挨拶も掲載する。鋭意製作中である。『燃えよ祖国』の読者でない方の投稿も受け付けておりますのでご遠慮せずにお送りください。しかし匿名はお断りいたします。

夜は、昨日の今日なので、深酒をせずに「黒霧島」を梅干入りのお湯割りで軽く飲んで早めに寝た。

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風邪をひいた。

2015-02-23 17:40:37 | 日記
二月十八日(水)雨。

朝起きると、どうも体が熱っぽい。しばらく安静にしていたのだが熱が下がらないので、近くの医者に行った。心配していたインフルエンザではないとのことで風邪薬を貰って帰宅。

今日は、午後から私が役員の末席を汚している大行社の幹部会議があるので出席するつもりだったが、体調が悪く欠席した。身体は正直な物で、薬を飲んで布団に入っていたら、そのまま夕方近くまで寝てしまった。夕食は、大事をとってお粥にした。食後、薬を飲んで再び布団に入った。

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「高倉健と任侠映画」。

2015-02-23 16:34:12 | 日記
二月十七日(火)曇り後雨。

朝食は、お世話になっている方から頂いた大好物の、御殿場の「二の岡ハム」の「ボロニアソーセージ」にキャベツの千切りと目玉焼き。思わず、ふふふと笑みがこぼれる。私はソース好きなので、我が家にはいつも何種類かのソースが常備してある。まあほとんどが頂き物なのだが、神戸長田の「バラソース」や静岡は浜松の「トリイソース」といったものである。もちろん「ブルドックソース」やキッコーマンの「デリーシャス・ソース」などは欠かしたことがない。それらの種類の物を料理に合わせて使い分ける。ささやかな贅沢な一時である。

今日は、日頃からお世話になっている徐裕行氏のご尊父が逝去なされ、その通夜式に出席した。場所が不案内なので大熊雄次氏と御徒町で待ち合わせて一緒に行って貰う。横浜から御徒町までの車中に山平重樹氏からご恵送頂いた「高倉健と任侠映画」(徳間文庫カレッジ刊・)を読んだ。高倉健、菅原文太といった東映の任侠映画を支えた二大スターが相次いで亡くなり、その人たちが活躍していた頃の映画が再び注目されている。そういった中で、この山平さんの「高倉健と任侠映画」は正にタイムリーであり、任侠映画の解説、あるいはガイドブックとしては最高の本と言える。この本を読むと読まざるとでは任侠映画の楽しみが全く違うものとなってしまうのではあるまいか。

特に任侠映画の全盛期、それは七十年安保の時代でもあった。革命と言う言葉が過去の物ではなく未来のものとして語られた熱い時代でもあった。その時代の風景と映画の持つ時代性。これを語らしたならば山平氏の右に出るものはいないのでは無いだろうか。時間があったならば、山手線に乗り換えてもう一周しようかと思うほど、本を閉じてしまうのが惜しかった。引かれるほどの髪の毛はないが、本当に後ろ髪を引かれる思いで電車を降りた。

葬儀場のに着くと、偶然にも山平重樹氏と合流した。祭壇の写真は徐さんとうり二つ。親子なので当然かもしれないが、これほどよく似ている親子というのは珍しいのではないか。徐さんにお悔やみを言い、ご焼香を済ませた。祭壇には岐阜の細川先生や隠岐康氏の生花が供されていた。葬儀場を後にして、大熊氏の奥方のお店で弔いの酒。このお店に来るのは初めてだが、料理の美味しいのにはたまげた。それも、こんな値段で良いのと思うほど安いのだ。これには山平氏も驚いていた。大熊氏に、「こんな値段で大丈夫なの」と余計な心配をすると、「いつも値段設定のことでケンカになるから、もうあきらめています」。ナルホド。「黒霧島」を一本半空けてから解散。

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取材を受けた。

2015-02-23 16:12:02 | 日記
二月十六日(月)晴れ。

夕方の五時に作家の大下英治氏と関内駅にて待ち合わせ。「修羅の群れ」や政治家の伝記小説といった作品の多い大下英治氏が、右翼・民族派に関する本を執筆中ということで、私のインタビューとなった。

大下氏、いつも車の後部座席に座っているらしく、私の運転する車の助手席に乗って頂いたが、シートベルトの締め方や車のトランクの開け閉めを知らなかったのには面食らった。私のような貧乏右翼とはえらい違いである。私の事務所にて二時間ほどインタビューを受けた。終了後に打ち上げを中華街の「安記」にて行った。

一杯、一杯復一杯と紹興酒がすすみ、大下氏が熱っぽくマルクスに付いて語るのに、アホな私はついて行けずお開きとなった。大下氏と別れてから「サリーズバー」へ。ご常連さんたちと飲んでいるうちに、石山晋一郎氏を呼び出して一献。その後、「小町」というお店に転戦してから十二時近くに帰宅。

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