二月十五日(日)晴れ。
今日は、中学の先輩でその後も仲良くさせて頂いた山崎邦雄さんの墓参に、所縁の人たちと一緒に行った。山崎さんとは小学生の頃からのお付き合いで、中学の時に陸上競技を始めるきっかけとなった人だ。家も近くて山崎さんの家で良く遊んだ。山崎さんのことは、私の機関誌「燃えよ祖国」に「忘れ得ぬ人たち」として書かせて頂いたことがある。
山崎さんのお墓は、以前は京急の弘明寺駅の脇にある墓地にあったが、現在は泉区の昔は遊園地だった場所の墓苑に移された。山崎さんのご命日は明日だが、毎年命日に近い日曜日に墓参に行っている。毎年段取りをして頂くのは、ロイヤルパークの支配人だった山崎雅夫さんや、つい最近まで、市営地下鉄の吉野町駅のすぐ上で居酒屋「一銭」を経営していた尼野保さん、古い友人の水原広雅の皆さん。
市営の墓地は良く整理されていて、夏だったなら芝生の緑が目に眩しいに違いあるまい。しかし冬枯れの茶色い芝があるだけだった。皆で、お酒の好きだった山崎さんに持参したワインとビールに煙草を供えた。
その後、買い出しをして山崎雅夫宅にて直会。新築されたばかりの山崎邸は広々として、居酒屋などよりも居心地が良い。結婚されて近くに住む娘さんがお孫さんと一緒にご挨拶に来た。お孫さんから「おじいちゃん」と呼ばれているのを聞いて時の流れを感じずにはいられなかった。
亡くなられた山崎さんや、ロイヤルパークの山崎さん、水原さんが若かりし頃に伊勢佐木町のオデオンの前にあった「スタンドロック」というカクテルコーナーで働いていた。当然私も常連客だったが、後で聞いた話では、そのお店に結婚前の「やまと」のご夫婦が通っていたとのこと。世間は狭いものだ。山崎邸でしばらく飲んでから、その「やまと」に転戦した。
今日は、中学の先輩でその後も仲良くさせて頂いた山崎邦雄さんの墓参に、所縁の人たちと一緒に行った。山崎さんとは小学生の頃からのお付き合いで、中学の時に陸上競技を始めるきっかけとなった人だ。家も近くて山崎さんの家で良く遊んだ。山崎さんのことは、私の機関誌「燃えよ祖国」に「忘れ得ぬ人たち」として書かせて頂いたことがある。
山崎さんのお墓は、以前は京急の弘明寺駅の脇にある墓地にあったが、現在は泉区の昔は遊園地だった場所の墓苑に移された。山崎さんのご命日は明日だが、毎年命日に近い日曜日に墓参に行っている。毎年段取りをして頂くのは、ロイヤルパークの支配人だった山崎雅夫さんや、つい最近まで、市営地下鉄の吉野町駅のすぐ上で居酒屋「一銭」を経営していた尼野保さん、古い友人の水原広雅の皆さん。
市営の墓地は良く整理されていて、夏だったなら芝生の緑が目に眩しいに違いあるまい。しかし冬枯れの茶色い芝があるだけだった。皆で、お酒の好きだった山崎さんに持参したワインとビールに煙草を供えた。
その後、買い出しをして山崎雅夫宅にて直会。新築されたばかりの山崎邸は広々として、居酒屋などよりも居心地が良い。結婚されて近くに住む娘さんがお孫さんと一緒にご挨拶に来た。お孫さんから「おじいちゃん」と呼ばれているのを聞いて時の流れを感じずにはいられなかった。
亡くなられた山崎さんや、ロイヤルパークの山崎さん、水原さんが若かりし頃に伊勢佐木町のオデオンの前にあった「スタンドロック」というカクテルコーナーで働いていた。当然私も常連客だったが、後で聞いた話では、そのお店に結婚前の「やまと」のご夫婦が通っていたとのこと。世間は狭いものだ。山崎邸でしばらく飲んでから、その「やまと」に転戦した。