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白雲去来

蜷川正大の日々是口実

開戦の日。

2021-12-18 13:21:29 | 日記

12月8日(水)雨。開戦記念日。

十二月八日・月曜日〔晴〕暖かい静かな開戦日。待ちに待ったその日はついに来た。午前三時というに自然と目は覚め、起き出て一服していると、当直でかつ航空掛かりの佐々木参謀が大急ぎで飛び込んで来て「三時十九分(ト)連送です」(注・真珠湾攻撃の際に「全軍突撃せよ」の暗号無電)。と報告す。すなわちハワイに近迫せる機動部隊の第一回攻撃部隊の飛行機約二〇〇機が、真珠湾に対し突撃を下令せるなり。飛行機の電を直了せるところ、鮮かなるものなり。(宇垣纏『戦藻録』より)

あれから80年。この攻撃に参加したほとんどの方が亡くなっているのだろう。野村秋介先生が、平成五年に朝日新聞社にて自決なされた際に、同志らに宛てた「檄文」とも言うべきものが「天の怒りか、地の声か」という文章である。その末尾には、こうある。「ちなみに、神風特攻機は二千八百四十三機飛び立ち、二百四十四機が敵艦に突入したと記録にある。英霊よ、安らかに眠れ。いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真なる意味が何であったのかは、後世の史家が明らかにしてくれるであろう」。と。そして野村先生の辞世の歌は、「さだめなき 世なりと知るも 草莽の 一筋の道 かはることなし」。

夜は、雨の音を聴きながら酔狂亭にて独酌。  

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