白雲去来

蜷川正大の日々是口実

奇跡を信じたい。

2020-06-10 18:01:44 | 日記
五月三十日(土)晴れ。

長い付き合いのある、盟友がのっぴきならない病と闘っている。三月の前半に私の事務所の前でばったり会った時、「内臓に腫瘍ができているようで、これから検査に行く所。もう長いことないよ」と言うので、全く病気とは無縁のような彼の言葉を半信半疑で聞いていた。彼と知り合ったのは、お互いに二十代の頃。当時は、会えば挨拶をするという程度で、知り合い以上、友達未満といった感じだった。

その彼と、刎頸の交わりを持つようになったのは、私が平成二年の春に戦線復帰をしてからである。私は、野村先生の門下生として、某大手不動産会社の会長宅を襲撃、占拠して逮捕された。その大手不動産会社とのトラブルとなったのが、盟友の勤めていたS社で、そこの社長と野村先生とは、お墓を同じ場所に作るほどの中であった。S社も野村事務所も同じ赤坂のみすじ通りにあり、加えて、彼と私は、住まいが同じ横浜ということもあり、ほとんど毎日のように行動を共にしていた。

先生の写真集の撮影では、一緒にフイリピンのマタブンカイ・ビーチにお供した。その後の、社友との札幌旅行、沖縄の戦跡慰霊など、民族派の一員ではなかったが、私の周りの人たちとも仲良くして頂き、幾度も旅を共にした。その人柄から、誰からでも愛されていた。家族思いで、教育熱心。娘さんは外交官の妻として海外へ、ご長男はオリンピックの候補選手、奥さんは当然しっかりした方で、本人は認めないかもしれないが、奥さんの手のひらの中で、遊んでいたような気がする。

今日、(六月十日)、車に乗っていたら私の携帯に彼から着信があり、慌てて出たら、奥さんで「もう携帯を持っているのも、話をするのも辛い」と。悪い時期に悪い病気になて・・・。と話したら、突然、彼が電話に出た。「蜷川さん。長い付き合いを有難う」と。思わず、「何を言っているの、お礼を言うのは私の方だよ」と言ってから、言葉にならず、情けないことに、涙があふれて言葉にならず、せっかくかかってきたのに、電話を切った。車を路肩に止めて、声を上げて泣いた。無力感に苛まれた。奇跡が起きないだろうか。

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