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白雲去来

蜷川正大の日々是口実

中東情勢は、複雑怪奇。

2015-01-22 15:28:03 | 日記
一月二十一日(水)雨。

中東情勢は、複雑怪奇。私のようなノミの脳みその持ち主には何が何だか、どれがどうなっているのか良く分からん。シリアとイラク、イスラム国にヨルダン、エジプト。あーあめんどくさい。こんな時間に何食べてんの?「夜だん」だから「アンマン」だよ。そんなもの食べないでイラクじゃなかったイクラを持って来い。アンタ何どさくさに紛れて、どこ触ってんのよ。「シリヤ」。こんなことしか頭に浮かばん。・

その昔にユーゴラスビアと言う国があった。第二次世界大戦ではドイツ、イタリアに支配されていたが、戦後にパルチザン勢力を率いる指導者のチトーによって独立を達成する。この国は後に「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」といわれるほどの多様性を内包していた。すなわちスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、コソボ、モンテネグロ、マケドニアである。ユーゴラスビアの解体を知った時に、まるで缶詰を開けたら色々な物が入っていて驚いたと同じような印象を持った。

そのサラエボで冬季オリンピックが開催されたのが、一九八四年の二月のこと。当時はまだユーゴスラビアで、そのボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで行われた。テレビで見て美しい町だとの印象がある。この時の冬季オリンピックで話題をさらったのが、東ドイツのカタリナ・ヴィット。綺麗な人だった。彼女は四年後のカルガリーオリンピック・女子シングルでも金メダルを獲得した。そのサラエボが民族対立で廃墟のようになった。この時も、何が正義なのか、どちらが正しいのか良く分からなかった。紛争をしている当事者のどちらにも正義があるからややこしい。中東の紛争もこれと一緒で良く分からない。考えてみれば、イラクのフセインをアメリカが倒したことから、今日の中東の混乱が始まったのではないか。

夜は、後輩から連絡があって保土ヶ谷駅の近くの「どれでも三百円」のお店で軽く飲んでから、一度行ってみたかった西横浜の「加一」という店に転戦。これが大正解。飲み助好みの店で、癖になりそうだ。雨の中を後輩に見送られて早めに帰宅。

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日本人が人質になった。

2015-01-22 15:03:36 | 日記
一月二十日(火)晴れ。

うーん二日酔いだ。結局、午前中は仕事にならなかった。風呂に入って、汗を沢山かいて、水を沢山飲んで、ようやく意識がはっきりしたのが昼過ぎ。作家の大下英治さんから電話が入り、何か「右翼」関係の本を出すとのことで、資料が欲しいと言われた。今月の大行社の新年会でお会いするので、その時に詳しい打ち合わせをしましょうということになった。

午後のニュースで、イスラム国を名乗る集団が、日本人二人を拉致し、解放の条件として二億ドルの身代金を要求していると言う。安倍総理の中東訪問のタイミングに合わせたことだろうが、面倒なことになった。恐らく、日本政府は身代金の要求には応じないだろうが、もし人質に何かあれば「見殺しにした」と言われかねない。無責任なことは言えないが、無事に解放されることを祈るばかりである。

色々な人たちの意見を聞いていたら、なぜか中島みゆきの「世情」が頭に浮かんだ。

世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする。
変わらないものを 何かにたとえて
その度 崩れちゃ そいつのせいにする

シュプレーヒコールの波、通り過ぎてゆく
変わらない夢を、流れに求めて
時の流れを止めて、変わらない夢を
見たがる者たちと、戦うため

世の中はとても臆病な猫だから
他愛のない嘘をいつもついている。

包帯のような嘘を見破ることで
学者は世間を見たような気になる

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朋、近郊より来たり。

2015-01-22 13:09:30 | 日記
一月十九日(月)晴れ。

最近、野毛が見直されている。その昔は完全な労働者やオヤジ専門の町だったが、最近では、若い人たちが集まり、当然ながら、若い人向けのお店も増えている。しかし、私は、横浜に長いこと住んでいるが、野毛に馴染みの店がほとんどない。唯一、中学の同級生が経営する小料理屋の「弥平」があるくらいだ。歳なりに何軒かのお店には行ったことがあるが、正直言って好みの店がない。まあ野毛の店をすべて知っている訳ではないので、良いお店があるのかもしれないが、何度も行ったことのあるお店は「弥平」の他には、「鷹一」という料理屋くらいか。

野毛をテーマにしたガイドブックや専門誌を読んで、気になった店を何軒か訪ねたが、一度行けば結構という感じだった。新しい店を探すのも面倒なので、結局慣れた店に通うことになる。

東京から友人が来訪した。友人氏は、肉類が苦手ということで、「食べログ」で適当なお店を探して待ち合わせをした。場所は駅に近い懲りずに野毛へ。やっぱり駄目だった。安いから仕方がないと言えばそれまでなのだが、残念だった。結局「やなと」に転戦。カメちゃんを呼び出して盛り上がった。

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白菜が色っぽい。

2015-01-22 11:31:33 | 日記
一月十八日(日)晴れ。

冬菜の名前でも知られる「白菜」が安い。大きなものが百五十円で売られていた。行きつけの八百屋でも白菜の漬物が、半分で二百円。私は、この白菜の漬物が好きで、見るとムラムラっとしてつい買ってしまう。なぜか分からないが、私は白菜の漬物は、軟らかい葉の方が好きで、白い芯の方をいつも残してしまう。愚妻は反対で、この芯の方が好きで、それもマヨネーズをつけて食べる。見ていてどうも気持ちが悪い。白菜のおしんことマヨネーズという組み合わせが理解できないのだ。

キムチは反対に葉の方より芯が好きだ。多分、芯の方が辛さが沁みにくいのでアッサリ食べられるからかもしれない。スープなどに使う場合は、芯の方は、繊維に沿って切る方が好きだが、子供たちは、繊維を断ち切るように四角く切ってと言う。切り方によって食感が違うので、料理によって楽しめる。白菜をざく切りにして、市販の「塩昆布」で漬ける。隠し味にはパックの「鰹節」。重石をして冷蔵庫で半日。結構美味しくなる。白菜の白い部分は、娘さんのお尻のようで色気がある。そう言えば、最近は漬物にする白菜を干す家を見かけなくなった。「白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふん肩を並べる」とは俵万智『サラダ記念日』の歌。

子供が、センター試験から帰るのを待ってから「お疲れさん会」を催した。といっても我が家で、私の手料理だが・・・。そんな訳で、酔狂亭の一日が終わります。


  

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新年会。

2015-01-22 10:55:36 | 日記
一月十七日(土)晴れ。

阪神の大震災から二十年か。朝起きてテレビを点けたら、どこかの町が燃えていた。横浜はほとんど揺れなかったし、早朝と言うこともあって大地震との実感が全くなかった。時間が経つにつれ災害の大きさに驚いた。寝ている時に、こんな大地震がきたならば、我が家などはひとたまりもないだろう。この震災を契機に、我が家でも重い箪笥から簡易なものにしたり、書棚などを固定したりと、いつか来る震災に備えた。

二日後くらいに、某団体の新年会が熱海にて行われ、普段なら関西の団体の方が大勢参加するのだが、この時ばかりは新年会どころでは無かったのだろう欠席が目だった。当時は村山内閣。左翼のおっさんの無能ぶりがあらわになった。お亡くなりになった方に合掌。

今日と明日に、大学入試センター試験がある。上の子供は朝早く出かけて行った。子供の日頃の努力を見ているだけに、良い成績を取って貰いたいものだが、親としてはただ祈るほかに方法もない。

夜は、野村先生の奥さんを囲んでの新年会を川崎の「恋さん」にて開催。豪華な手料理と良い酒を堪能。つい気が緩んで九時過ぎまで楽しんでしまった。松本佳展君に送って頂き帰宅。

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