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あるがままに、心のままに

METビューイングの「トゥーランドット」①

2016-02-29 16:24:40 | 音楽
今シーズンは桜木町コレットマーレ6Fのブルグ劇場で見ている。MMの東宝109が閉鎖されたためだ。MM109より、静かで、昼食持参のMET見物には駅周辺で食糧調達しやすく、気に入っている。しかも11時開演は助かる。今シーズンは、トロバトーレ、タンホイザー、ルルと4作目。会場で会うおば様たちみたいに、毎回見たいが何か野暮用でそうはいかない。おっととは、「映画なのでやだ」と、生意気なことを言っている。よほど贔屓の歌手が出ないと見ないらしいが、だれしも、最初から贔屓の歌手なんていない。聞いてみて、「おっ、彼女は、彼は」で贔屓になっていくのだ。「そんなに、しょっちゅうNYに行ってられないから、これが楽しみだわ」のおば様たちの方がミューズの神に愛されていると思う。そんなおっととだから、エリーナ・ガランチャが出る9作目以外は、次回、7作8作にオポライスが出ても、10作にニーナ・ステンメ(今回トゥー歌い)が出ても、私一人参加。これは支援すべき企画です。普通の映画より、料金は高いが、「スイーツを2回我慢すればよい」これは師のブログに載っていたフレーズで、ある女性コメンテーターの説得に使用されていた。全くその通りである。
さて、2月27日初日で、なおかつ土曜日で、ある程度の混雑は予想したが、それ以上の混雑ぶりには驚いた。いつもはガラガラでゆったり横に荷物などおけるが、前の2列を除いてぎっしり。METは当日券買いの私は、とりあえず右端を購入するも、前のはしは見づらいことが解った。それで本番前に真ん中に寄った。同じ行動を取る女性2人と男性1人グループと席を一つ空けて住み分けて、ゆったりかぶりつきを堪能した。最前列はさすがに誰もいない。終演後竿前列の真ん中に座ってみたが、これもいい。次回混雑した時はこれも候補に入れよう。
前置きが長くなった。METの演出は一般的にオーソドックスで解り易く、細部まで丁寧に作られている。バイロイトや、ザルツブルグのように、話題性を追って奇をてらったものや、舞台装置・衣装を簡略化したもの、時代背景を現代に置き換えたものはない。それらも個人の趣味に値するものだろうが、OPAのファンの裾野を広げることにはいかがだろうか。今回は、加えて絢爛豪華な趣味のゼフィレッリ演出で、湯水のように金を掛けた装置で、これぞMETである。
まず、初段の、謎解きに敗れた王子の処刑のシーン。身に着けた装身具を、取り巻く民衆に度胸を決めて分け与える、今まで見た中では、このシーンは初見だ。ただ、刑場に引っ立てられるシーンばかりだったが、処刑シーンを浮き彫りにしたここも、丁寧な作りの一つ。命を賭したが敗れて悔いなし、の王子の清々しさが哀れを誘うし、最後の別れの接見でも、ねぎらいの言葉もなく、処刑を促す姫の冷酷さを表現するには充分だ。
さて、冷酷な姫は一時さておいて、この物語の人気の一つが、命を懸けて愛を勝ち取る、これに生物的感覚が働いているのか。自然界でも、メスの獲得にオスは闘争を繰り返し、傷だらけの○生、闘争で落命もある。
人間とて、愛の対象物に向かうときは、ある意味、命がけのエネルギーを回転させているのかもしれない。
リューも、カラフを勝たせるべく愛に殉じた。姫も、カラフに運命を感じていたが、今までのいきさつからおいそれと愛を受け入れられないが、謎解きに失敗されて処刑したくない、謎を解いてほしいの期待があって、姫も愛を懸けていたのだ。だから、3番目の問題だけは、さあさあさあと、手をだし答えを催促しているようではあるが
、答えをほのめかすポーズとなる。(私の考察)おっととが帰ってきたので夕飯づくり。今日はこれまで。  
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飛んでった私の予定表

2016-02-28 16:54:07 | 日記
2月分を消そうと思って、記事一覧で、私の予定表(2月16日)を下書き扱いにしたら、消えてしまった。復旧は望めそうもない。3月分4月分も思い出して書くには、今はめげているのでれも難しそう。かかることの為に、印刷をしておけばよかった。こういう、失敗談も後で読めば(笑)なのだろうが。Eメールだと、作製中に突然消えたメールは下書きに入っているので、そこをクリックして再生、続行できる。ブログはどこに入っていったやら。こんなことになるのなら、いじらずに、先に、そごう美術館の記事を書くべきだった。これを書かないと先に進めない。でも、師の関連ブログにあった、1951年生まれ男性の方のブログを偶然見たら、取り巻き連中のコメンテーターさんが「記事は時系列で書かずとも良い」とか、「・・・ねばならぬと思ったものは放棄しろ」とか、「書きたいものから書け」とかエールを送っている。この御方の問題は記事についてなのか。でも、参考になる。
今日の私みたいにテクノであたふたすることなく、いい環境にあろ。私のもう一つのネックはおっととが、いる時はPCに向かっていると不機嫌なこと。おっととはPCが嫌いみたい。男性でも、「PCは嫌いだ、苦手だ」と言う人が師のコメンテーターにいたな。
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104才×103才 対談 ③

2016-02-20 18:26:56 | つれづれ
②からだいぶ時間がたってしまった。体調の不調もあったが、向き合いの努力の少なさにはじねばならない。
まさしく、対談の中にもあった、「人間文化は迷い」「迷いと楽天的の間をいつもやりあう」ことかな。
しばらく書かねば書きたいことを忘れる。読者の記憶も薄れ感動も薄れるだろう。でも、少しくらいならいいかな?いずれ取り返せる。対談の中にもあった、これが自由と自堕落の関係か。
先生お二人の考えの違うところは②と、そのコメントに書いた。今回は、心に残った日野原先生語録をしたためておこう。
先生の一言で集約すると、「一生懸命、全力投球」だ。しかし、これはなかなか難しい。燃え尽き症候群を恐れるのか?この歳になるとパワー不足はいなめない。これは希望目標だ。
20台、40代、60台、各世代への提言あった。
先生のの若い時は、やりたいことはいっぱいあったが、今の若人がそう感じないのは、「楽しく写っていない老人の責任だ。」「独立心とわがままがあっても良い」なるほど、行く先の手本が見えてしまえばさもありなむ。そうなると、我々は頑張らねばなるまいが・・・。
40代には、エンカウンター、自分で出会い(人のことではない)やチャンスを求めること。これは我々とて同じ。
60台には、寿命を受け入れる心の広さ、生きることを許された与えられた命をどう生きるか、つくりだすこと、始めること、自分で心のカーテンを広げよう と、結ばれていた。これは大事なことですよ、もう自分は、歳だからとは思わず、チャレンジ精神を忘れない、ただ、体力の限界も忘れない。とのことでしょうか。
興味ある先生の、朝食はバナナ、オリーブオイル少々入れたジュース(おなかにいいそうだ)、昼食は牛乳とクッキー、夕食は普通に多い、これぞ長寿の食事か。
気持の若さと柔軟さはお二人の再開のシーンのハグハグや、手を取り合っての篠田先生の書展の鑑賞など、いいものだ。キリスト教や、外国の文化の影響を受けて生きてきて、枯れた(人間に深みが出たの意味で使用)感じがいい。
長らく書かねばならぬと思っていた記事を、このくらいで〆ていいものかとも思うが、これも、日野原先生のおっしゃる「あるがまま」の私。ご勘弁いただきたい。

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浄土真宗では葬儀の時に穢れを清めるために塩を撒くことはいたしません

2016-02-12 19:04:29 | つれづれ
上記の書き出しで始まる「私たちは清め塩をつかいません」との、書き付けが付いて、小さい塩袋が付かない,会葬御礼です。
表題の分に続き、以下、

仏教では決して死を穢れと受け止めることはありません
「死もまた我等なり」と受け止め 生死するいのちを
精いっぱいいきていくことこそ 人間としての
生き方であると示しています          合掌

と、書かれています。
ただ、葬儀にはいろいろな宗派の方の参列をいただくわけですから、人の気持ちはいろいろありましょう。今までの習慣をにわかに変えることができなくも、親鸞様は広いお心でお導きくださいます。
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父の従妹の旅立ち

2016-02-10 18:28:49 | 家族・親族
父の従妹にあたる女性が、この世を去った。77歳、心筋梗塞で急逝した。もともと体はそんなに丈夫ではなく、最近は体力の衰えから、あまり外出もしなかったようだ。でも、昨秋のマチャ叔父の告別式に参列して、妹の話では、「あの時お会いしたのが最後になってしまった。」母の見守りから、私と妹が一緒に外出することが不可能で、マチャ叔父の葬儀も、私は通夜に参列、妹は告別式に参列と分けていたので、私は会えずじまいで寂しさを覚えた。
母と父が結婚した時は、戦後の混乱期で、親族が、広い敷地の中に、それそれ住んでいたので、その彼女と、マチャ叔父の妻(当時独身)と母の3人は中が良く、その中で生まれた私はだいぶかわいがられて(事実写真を見ても人形のようにかわいい、今から遡ってもさもありなん)だっこさせてとか、おんぶさせてとか、多かったらしい。彼女は美容師になりたいと美容学校に入った。この、美容学校の学生の時、よく、年端もいかない私にパーマをかけて練習していた。「パーマかけていい?」と聞かれるとそんな環境で育った私は子供心に熱意を感じていたのだろう「いいよ。」で、父がいつも彼女をおこっていたような。
私が成長して、再開した時は、一人娘だっだから婿取りをして父の叔母の薬局を継いでいた。この婿さんは父の叔母のメガネに叶った人で、薬局をよく盛り上げたできた人だ。それで、彼女は「うちの人より、先に死にたい。残されたらあとの始末が大変、何もできない私は困る」と言っていた。確かにそのような、御嬢さん育ちで上品な美人だけれど、自分で前に出張って行く人ではない、でも、気立てはよく、若くして長男に先立たれ、次男は音楽のバンドに凝って店の後継者はなく、それなりの苦労もしてきたが、「過去は振り返らない」と前向きに俳諧に勤しんでいた。ご主人も、大体、男は妻より先にと望んでいるが「妻をみとってから、私は・・・」と殊勝なことを話していたようだ。その願いはかなえられたのだ。
「 過ぐる日を 切り放しけり 初日の出 」今年の年賀状に載っていた句である。最初の5と7に、人生に対する強い意志を感じた。今日もまた、同じなれど別の感慨を覚えた。新しい光を目指して、旅立たれたのだろう。
美しく生きた父の従妹を、感謝と称賛をもって、お送りします。そして、冥福をお祈りします。合掌
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まだまだしぶとい、インフル

2016-02-09 17:48:19 | 健康
昨夕、クリニックの医師に℡して、吸入薬をしたものか訊いた。吸入薬の治療は初日の分で終了で。症状緩和の投薬のみ処方する由、陽が落ちた中、5分歩いて行くのもかったるい。よって、薬はやめて様子を見た。寝しなに、病院の主治医から処方されている、抗炎症の薬を飲んた。症状緩和には一晩でも、良く効いた。
対談③の記事を書いて、中断したら消えてしまった。記事のコピーを取った何もしないで〆た様である。メールなら、下書きに置いておけるのだが、その技に達していない。いずれなんとかなるかな。長く放置していた宿題もとりあえず完了。道は遠く、荷は重たいが、陽は暮れていない、おなかも空いていない。皮下脂肪の蓄積は充分ある。
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意外にしぶといインフル

2016-02-08 14:05:34 | 健康
今日から、本格的に外出できる日なのだが、朝食後寝てしまったら、13時過ぎまで寝てしまった。
昼食を取ろうとの意欲もなく、朝にヤクルト叔母さんから購入のヤクルト4002本とアイスクリームで、この状態と記録しようとここに書く。おっとっとさんは、いつの間にか出かけたようだ。
母と妹から、夕方には顔を出してと、手伝い要請があったので、このまま午後も寝腐ることは許されない。
かかる状態では、明日の朝は、クリニックに連絡して、吸入薬をもう1回しようかと思う。
それとも、まだ、社会活動は周辺に迷惑なので、もう少し謹慎しろ、との神の罰か。孤独な戦いを再開するか。
戦い5日目の途中で、のどの渇きを痛く感じる。他に渇きを覚えるもの・・能力、愛、よくばり女には、いっぱいありそうだ。
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十数年ぶりのインフル

2016-02-06 11:34:14 | 健康
書きたい記事二つを先送りして、今後の為にしたためておこう。
3日の夕方、近くのクリニックでA型と判定された。昼から急にのどの痛み、だるさ、熱を悪寒が感じられた。人形の教室でも、みんなから大丈夫かと心配されるほどのていたらくだった。彼女らのその後が心配でもある。
インフルだったら、早く治療をしなければ周辺に迷惑をかける。私が蔓延させるわけにはいかない。素人判断はやめて、クリニックの閉館30分前、駆けつけた。その時間になると客はいない。でも、診察室ではなく、いきなり処置室で検査していいか聞かれた。もちろん望むところだ。ナースさんがてきぱきと、鼻から喉の検体を長い綿棒でこすって採取する。これは経験しているのでこわくない。一時痛みが走るだけだ。結果が出るまで処置室から出ないようにと、指示有で、やがて医師が診察室から入ってきた。父の主治医だったので気心はしれている同い年くらいの先生だ。風邪のときは、妹も。おっとっとさんも見てもらっているかかりつけの先生なのだが、3月で閉院するらしい。事情を聴きたいが、病人の分際で問えない。「A型ですよ」に、えー。インフル混合をしているのに。用心深い先生は。私の背後から、背中をまくって、聴診器を当てた。肺炎は起こしてない。でも、保健所に報告してカウントされて何人とニュースの題材になるのかあー。今までも。予防接種をしても感染はしていたらしいが、検査で結果が出るようになったのは華麗(加齢)なる人生のなせるわざか、これからは、油断しないこと、罹ることも覚悟しよう。
治療は①イナビル吸入粉末剤を薬局でその場で吸入4回、これが、A型、またはB型ウィルスをやっつける薬
②総合感冒薬③炎症の緩和薬④頓服の解熱剤の投薬を処方された、今日で3日目だが、まだ完治とは言えない。症状開始から5日間、解熱(37度以下)後、2日間は自宅待機が原則とのメモをもらっている。お薬手帳に貼っておこう。
昨日のニュースであらゆる年齢層に蔓延が拡大された、と、報じられていた。学童や若人向きの専売特許ではなくなってきている。私は明日(7日)いっぱい謹慎だ。86歳の叔母の訪問も断った。おっととサンは山手の教会にバッハのコンサートで出かけた。ノルマン風の雰囲気あふれる教会で、ついでに山手十番館の2階で食事などもいい。おっととさんや、明日、ロッシーニのコンサートに出かける友人をうらやましく思う、冬の昼下がりに、私の分まで楽しんでほしいと願った。 
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104才×103才 対談 ②

2016-02-01 19:24:30 | つれづれ
夕方のニュースで、長野県の雪道で、雪で重くなった樹木の枝が折れて、道がふさがれたため、孤立している集落があると報じられていた。これも雪害だ。雪道を別荘の往復に通行する友を思うと、身近なニュースになる。わが団地内でも昨朝から庭師さんたちが、常緑樹の枝払い、葉払いを始めていた。落葉樹までとはいかないが、空かれた木々たちは薄着で寒そうでかわいそうだと思ったが、なるほどニュースを見て理解した。枝が折れないまでも、雪が溜まると、ドサッとたびたび落ちる。半裸のような木々たちには、さほど雪も積もらないだろう。落葉樹の枝みたいに、水滴が凍って荷に光る、団地内にそれらの仲間がふえるだろう。
表題から、それた感があるが、前置きが長くなった。
人間も自然の一部であると考えるが、多大な自然の猛威の前には無力にならざるを得ない。これも神のおぼしめしか。日野原先生のキリスト教的考えでは、「人間は生かされている、神にこれに感謝」先生は身を持って体験、よど号事件の乗客だったのだ。当時私は20歳、飛行機の旅の経験がなかったので、漠然とした空への憧れ、両親から、「離陸の時は背中を押されるようだよ」そのくらいの認識しかなかったが、ハイジャックされる危険があることを知らされた。解放されて機体が空港に帰って来た時の青いランプの誘導路がいやに美しかった。また、それてしまったが、ハイジャックされた機内の日野原先生は…我が家の事情で③に続く。
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