skyのホームページ

あるがままに、心のままに

父の従妹の旅立ち

2016-02-10 18:28:49 | 家族・親族
父の従妹にあたる女性が、この世を去った。77歳、心筋梗塞で急逝した。もともと体はそんなに丈夫ではなく、最近は体力の衰えから、あまり外出もしなかったようだ。でも、昨秋のマチャ叔父の告別式に参列して、妹の話では、「あの時お会いしたのが最後になってしまった。」母の見守りから、私と妹が一緒に外出することが不可能で、マチャ叔父の葬儀も、私は通夜に参列、妹は告別式に参列と分けていたので、私は会えずじまいで寂しさを覚えた。
母と父が結婚した時は、戦後の混乱期で、親族が、広い敷地の中に、それそれ住んでいたので、その彼女と、マチャ叔父の妻(当時独身)と母の3人は中が良く、その中で生まれた私はだいぶかわいがられて(事実写真を見ても人形のようにかわいい、今から遡ってもさもありなん)だっこさせてとか、おんぶさせてとか、多かったらしい。彼女は美容師になりたいと美容学校に入った。この、美容学校の学生の時、よく、年端もいかない私にパーマをかけて練習していた。「パーマかけていい?」と聞かれるとそんな環境で育った私は子供心に熱意を感じていたのだろう「いいよ。」で、父がいつも彼女をおこっていたような。
私が成長して、再開した時は、一人娘だっだから婿取りをして父の叔母の薬局を継いでいた。この婿さんは父の叔母のメガネに叶った人で、薬局をよく盛り上げたできた人だ。それで、彼女は「うちの人より、先に死にたい。残されたらあとの始末が大変、何もできない私は困る」と言っていた。確かにそのような、御嬢さん育ちで上品な美人だけれど、自分で前に出張って行く人ではない、でも、気立てはよく、若くして長男に先立たれ、次男は音楽のバンドに凝って店の後継者はなく、それなりの苦労もしてきたが、「過去は振り返らない」と前向きに俳諧に勤しんでいた。ご主人も、大体、男は妻より先にと望んでいるが「妻をみとってから、私は・・・」と殊勝なことを話していたようだ。その願いはかなえられたのだ。
「 過ぐる日を 切り放しけり 初日の出 」今年の年賀状に載っていた句である。最初の5と7に、人生に対する強い意志を感じた。今日もまた、同じなれど別の感慨を覚えた。新しい光を目指して、旅立たれたのだろう。
美しく生きた父の従妹を、感謝と称賛をもって、お送りします。そして、冥福をお祈りします。合掌
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする