SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
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長岡戦災資料館にて(その2)

2007年02月12日 00時00分01秒 | 長岡
息子二人との長岡ちゃりんこ道中記、最終記事です。

長岡が空襲されて焦土と化してしまった様子を再現した模型の話は先の記事で書きました。
その奥に横たわって陳列されているのがこの“焼夷弾の模型”です。
この中に38もの小さい爆弾(伝単といわれるらしい)を搭載して、これがばら撒かれるしくみになっているということのようです。

ホンモノはこれです。個人の方から寄贈されたもののようです。


こんなのが上からいくつも降り注いだとしたら・・・。言葉になりません。

防空壕が危ないということで家族・友達が助け合って移動していたとき、不運にも子供さんの頬をこの飛来物が直撃して“痛い”という一言も発することなく亡くなってしまったおかあさんの話が、書き置かれています。
その後立ち尽くした様子は想像できるのですが、もはや画面が映らないテレビ・音の出ないラジオのようなご心中ではなかったか・・・いやそんなものじゃすまないお母さんにとっての時間の流れが会ったのだと思います。

平易な文章だったので、子供に読み聞かせました。
涙目になって「ここにいるとそんなことにまたなるのか?」という次男に、「そういうことにならないようにみんな一生懸命頑張っている」と伝えました。

千人指、防火服、千羽鶴、寄せ書きの日章旗など展示されているさまざまなものを「なんだこりゃ?」と尋ねてくる息子に、できるだけ優しく答えてやったつもりです。

資料館入り口スペースの脇に置かれていた母子像・・・。


この姿はキリスト教でもおなじみのもののはず。
目前の焼夷弾を撒いていった兵士達は、その瞬間この全人類共通の姿を思い浮かべることはなかったのでしょう。
たとえ家族の写真をそのコクピットに搭載していたとしても・・・。

たぶん普通の人であるそれらパイロットに、疑問なく悪魔のような所業をさせうる戦争というシチュエーションは、やはり決して繰り返されてはならないものだと強く思いました。

この資料館は、本土にあって出征した兵士の無事を祈り、空襲によって狼狽した一般市民の目線で展示がなされているのが特徴であると思います。
そしてそれは得がたい着眼点である・・・そういった資料館ってありそうでないのです。

出征した人を讃えたり、ねぎらったり、戦死した方を弔ったり、その生前の思いを浮き彫りにしたりという施設はあります。
原爆記念館のようにそのとき惨事に巻き込まれた方がどうであったかという施設もあります。

知覧の特攻隊の記念館に行ったとき、青年(少年?)の張り裂けんばかりの胸のうちを綴った文章や、散っていった彼らの写真・遺品を目にしました。
他の施設では寄せ書き日章旗に血糊が撞いているものまで展示されてて、強烈な印象を受けた覚えがあります。
もちろん、長崎にいたときに浦上の原爆博物館には赴きました。片足鳥居など観光マップにも名を連ねた原爆被害の名残ですよね。

でも長岡戦争資料館には、物品として戦争を美化したり、徒に武勇を称揚したり、逆に悲嘆にくれさせるようなものは余りありません。
もちろん伝単をばら撒いた使用済みの爆弾とか、焦土と化した土地の模型とかありますが、あくまでも事実として淡々と展示されているのです。
そんなスペースにふと先に触れた空襲時の母親の手記が置いてあるのが、最もショッキングな展示といえるのでしょうか?

静かな展示物のひとつひとつが深く、戦場に赴くことになった方ではなく、当時の長岡市に住んでいた人々の想いを偲ばせて、私の心に語りかけてくるようでした。


《閑話休題》
大学生の頃ドイツ軍のUボートやらなんやらミリタリー関係の流行があったように記憶しています。
仲間内でも、ミリタリールックやら軍人用のベレー帽やらに造詣の深い、否、ファッションとして纏っているだけの奴らがいて、戦いそのものまでもファッションの道具として語っていたように思われます。

エンリケ・グラナドスが“ゴィエスカス”のオペラを演奏するための楽旅の船旅の帰途、ドイツの攻撃により夫人ともども海の藻屑と消えたことを想起するまでもなく、今にして思えば決してファッションで語られるようなものであってはならなかったのかもしれません。

大和・武蔵・零戦・・・私も小さい頃ある種の憧れを持っていたのですが、それらの用途に関してはあまり意を用いておりませんでした。
玉砕というのは人が死ぬんだという意識が極めて希薄だったのです。
これが私だけの懸念ならいいのですが・・・。
今なら人の親になったことや身内を亡くすことを経験して、人が死ぬということがどういうことか体感できていますから。

知識は知識、ファッションはファッションで良いのでしょうが、後戻りが出来なくなってから、戦争の無残さに気づいても手遅れになるということだけは頭に入れておかねばなりません。

戦争の場ではいいも悪いも、正義も悪もない・・・。
ただ殺戮するという目的だけがある・・・そしてそれを実行する兵士達はそれが何のために必要なことであるかを知らないし、決して知らされない。
むしろ知る必要もないとされている。。。

そういうものだと思います。
そんなことができるのは、数知れぬ動物のうちでも人間という種族しかいないのではないでしょうか。
戦争は犬畜生にももとる行為ではないか・・・?
首謀者とそれに付き合わされる人たちの間にどのような関係が生じると、人間はそんなモードになってしまうのか?
過去の事例を紐解いて、よく研究をしないといけないのだと思います。


さてさて子供たちは帰った後もいつもと変わらない様子で騒いでいますが、食事のときもちゃりんこで出かけた先の事柄にふれ「戦争NO」の意思表示をしてくれています。
当たり前のことかもしれませんが、一旦頭の中で「どういうことが起こるのか?」をイメージした上での発言だけに連れて行った親としては目を細めたくなるのですけれど・・・。

本当は子供と一緒に行ったことで自分の親としての感性が少し敏感になっていて、独りで行ったら見過ごしてしまいそうなことに気づくことが出来たり、子供が尋ねてくれたことに答えること腑にで落ちたりしたことが多いというべきなのかもしれません。
むしろ、私が子供達に感謝しなくてはいけないんですよね。



長岡戦争資料館は、駅前の大通り(大手通)の駅から見て2つ目の信号を越えてすぐ左側にあります。駅から徒歩で3分もかかるかという距離であること、展示物も一渡り見るだけであればそれほど多くの時間を要しないだろうことから、ぜひとも長岡に来られることがあれば、また新幹線を何分も待つようなお時間が出来たならご覧になってはいかがでしょうか?

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6 コメント

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ガキ大将 (アル中のトスカ兄さん)
2007-02-12 21:39:36
アジアで勢力を広げている日本を野放しにしておくと、アングロサクソンの覇権がいずれ脅かされるかもしれない--。アメリカはそう考え、到底受け入れられない要求を突きつけたり、航空燃料の供給を絶ったりして、日本に対米戦を決意させたのではないか。

私にはこういう疑念が拭えません。本当にアメリカが日本を挑発したのであれば、日米戦争が始まった原因の一端はアメリカにもあるわけですが、実際はどうなのでしょうね。いずれにせよ、完膚なきまでにやっつけられた側に発言権はありませんが。

対米戦から日本が得た教訓は、政治・軍事的に最強と目される国には逆らうなということでしょうか。そういう国が多少理不尽な行動を取っても批判せずに受け入れるのが自国の安全を保つ道なのですね。卑近な例を持ち出すと、ガキ大将に従っていれば学校では平穏無事に過ごせるということになります。
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ジャイアンは・・・ (クラウディオ アラウ)
2007-02-14 21:29:52
のび太をいじめるガキ大将ですが、スネ夫、しずかちゃんを含めたソサイエティに対して、武力による外圧が加える勢力が現われたときには必死に戦って守ってくれる“ともだち”です。

また自分の歌声は最高だと信じてそれを誇示しようとするところもあるようです。

問題はのび太の側に便利な道具を使いこなせるドラえもんがいないこと・・・。

私にはむしろ、大戦以降ジャイアンに骨抜きにされたのび太くんが、何かしら格闘技を覚えようとしているのではないかという機運のほうが恐ろしいような気がします。
ほんと、のび太くんは学習効果が乏しいんだから・・・。
などとジャイアン以外の友達から言われることがないように祈りたいです。

もとより、ジャイアンのワンマンショーに付き合わされるのを嫌がる人たちをジャイアンが許さないのも相当にきな臭いところですが・・・。
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Unknown (ロイヤルトランペット)
2007-02-22 03:05:47
昨年、中公文庫の「日本の歴史」シリーズの25巻「太平洋戦争」が新装版でやっと出たので、読みました。昭和12年から昭和20年までの歴史で、それで日中戦争についてあらましを知りました。
太平洋戦争については色々と書かれていますが、満州事変から日中戦争の経過を読んでみると、太平洋戦争は誤解を恐れずに言えばその末尾のエピソードに過ぎないという気さえします。
その後読んだ本では中公新書の『日中戦争』か、河出書房新社の『図説 日中戦争』が良書です。
アメリカと戦う以前に中国との戦争からして日本の国力を超えたものであること、終戦時にも南方より多い百万の軍が中国にいたことなどは記憶しておくべき事柄だと思います。
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大東亜共栄圏??? (クラウディオ アラウ)
2007-02-22 07:50:23
っていうのは、なんだったのでしょうか?
その目的はどの程度果たされていたのか、その先に何を目指していたのか?
私の現在までの知識ではよくわからない・・・。
ご紹介の書籍などで勉強します。

いつか、きっと・・・。(^^)/

なぜか日本語が話せる人がいて、その方々には日本を恨んでいる人もいっぱいいる・・・、かと思うとひとつの思い出として笑顔で語っている人もいないわけではない・・・。

戦争に駆り出された兵隊さんにも、現地での生活があったわけで、彼が現地の方にどのように接していたかということによるのではないでしょうか。

人間として接した兵隊さんと出会ったアジアの人はそんなに日本を悪く思っていないのかもしれないけれど、そうでない方も残念ながら少なくなかったのでしょうね。

しかしそんな付き合いが出来る兵隊さんも戦場へ行くと・・・。
やはりそんな環境になる以前に、何が何でも食い止めないといけないのだと思います。

一時は永世中立国がいいのかと思ったりしたのですが、スイスの軍事に関する考え方を聞いて仰天しました。
永世中立国も甘くないというか、全然平和主義であるように思えないことにびっくりです。
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Unknown (ロイヤルトランペット)
2007-03-01 22:39:30
戦前の日本で理解に苦しむのは、なぜ謀略や戦争をしてまで中国に進出しなければいけないのかということです。それが国が栄える道と信じたのでしょうが。
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人間だもの・・・★ (クラウディオ アラウ)
2007-03-01 23:03:55
ヴェブレンという人の書いた“有閑階級の理論”という書があります。

その中には、
人間はある時点から道具を作り工夫して物を作り出すようになり、遂には余暇というものを作り出すに至ったこと・・・。
そして、その余剰の生産物を略奪するということが起こり出し、良くも悪くもいろいろなものごとの発達にも繋がった・・・文化文明といわれるもの全てはそこから発生しているという考え方(あくまでも私の受け止め方ですが)が記されています。。。

異端の経済学として、結構この世界では知られている書物のようです。
要するに信じてる人も多いということでしょうか・・・。

群れをつくって生活している動物の中で、サル山のボス以外にこのような感情にとらわれる動物は、人間(ヒトと言ったほうが適切でしょうか?)しかいないのではないでしょうか?

しかし、その感情をもちえたからこそ、いろんなことを発達させることができたのだとするならば、是非は問えないのかもしれません・・・。

心理学的にも人間の欲求の最高度のところに“人に認められたい”という欲求がおかれているのは周知のところですし。


それと引き換えに何を失うかをよく吟味できない状態のリーダーが“覇を唱えたい”と考えたときに、理解に苦しむ状況が現出するのだと考えます。

もしも資本主義、民主主義が他の思想より“いつでもどこでも”優位にあると思い上がった(勘違いした?)どこかの国の首長がいたとしたなら、何かとインネンをつけて他の国の正義を誤りと断罪するような形で戦争は起きるのではないでしょうか。
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