先刻、姫様の御成りがあり「顔抜きの銭型を掲載せよ」とのありがたいお達しを賜ったために、ローリング・ストーンズを聴きながらこの記事を書いています。
冒頭写真は青梅で見つけた「蹲(つくばい)」であります。
細かい説明は抜きにして、まずは姫様の御成りを歓迎して心をこめた御花でお迎えせねばなりますまい。
この花は“蹲”の傍らに姫様のように可憐に・・・・・でもそこらじゅうにわんさか・いっぱい咲いていた福寿草です。
福寿草って「あっ、こんなところに!」ってところに姫やか、否、秘めやかにちょっぴり咲いているのが普通ありがたいんですけどねぇ・・・まぁ、綺麗だからいいですけど。
ところでこの“蹲”ですけれど、銭型ですよねぇ~。(^^)v
この記載の文字がタイヘンに凝っているのですが、わかりますでしょうか?
簡単に言えば「読めますか?」ということになります。
上から右回りに 五 ⇒ 隹 ⇒ 止 ⇒ 矢 と漢字が並んでいるように見えますよね。これだけでは「なんじゃらほい?」なんですけれど、これよく見てください・・・銭型のまんなかに四角い穴が開いているのがミソなんです。
そうです。これを漢字(部首)の“口”と読むとそれぞれは、
五 ⇒ 吾
隹 ⇒ 唯
止 ⇒ 足
矢 ⇒ 知
となります。
そして、これを続けると「吾(われ)、唯(ただ)足るを知る」という風に読めるのです。
これですよ、これ!!
こういうユーモアに出会ったときこそ“欧米か!”ではできない、日本人(中国人でもいいけど)なればこそのウイットを感じるというか、ホントに日本人でよかったなと思う瞬間ですね!
それもありがたい教えの言葉であるというところなど、これこそ小さなことですけれども「美しい日本」が実現されている例ではないかと思うのです。
この“蹲”自体はあの石庭の竜安寺にも同じ文言が記載されていたものがあったと思うので決して珍しいものではないはずです。きっと、姫様のご覧いただけるところにもあるのではないかと思いますよ。
これも“蹲”の近くで咲いていた花ですよん。
姫様、お気に召していただけましたでしょうか!? (^^)v
もし私の至らなさでご不満な点があったとしても、この“蹲”の銘を思い起こしていただければ幸いに思います。
すなわち“吾唯足知”。
遺教経という教えに「足ることを知った人は何事にも不平不満が無く、心豊かでいることができるけれども、足るを知らない人はもし富んでいても、貧しい心持でしかいられないものだ」というようなことが記されています。
簡単に言えば、お達しの答は「これで(満足できなくても)勘弁してね!」ということです。(^^)v
冒頭写真は青梅で見つけた「蹲(つくばい)」であります。
細かい説明は抜きにして、まずは姫様の御成りを歓迎して心をこめた御花でお迎えせねばなりますまい。
この花は“蹲”の傍らに姫様のように可憐に・・・・・でもそこらじゅうにわんさか・いっぱい咲いていた福寿草です。
福寿草って「あっ、こんなところに!」ってところに姫やか、否、秘めやかにちょっぴり咲いているのが普通ありがたいんですけどねぇ・・・まぁ、綺麗だからいいですけど。
ところでこの“蹲”ですけれど、銭型ですよねぇ~。(^^)v
この記載の文字がタイヘンに凝っているのですが、わかりますでしょうか?
簡単に言えば「読めますか?」ということになります。
上から右回りに 五 ⇒ 隹 ⇒ 止 ⇒ 矢 と漢字が並んでいるように見えますよね。これだけでは「なんじゃらほい?」なんですけれど、これよく見てください・・・銭型のまんなかに四角い穴が開いているのがミソなんです。
そうです。これを漢字(部首)の“口”と読むとそれぞれは、
五 ⇒ 吾
隹 ⇒ 唯
止 ⇒ 足
矢 ⇒ 知
となります。
そして、これを続けると「吾(われ)、唯(ただ)足るを知る」という風に読めるのです。
これですよ、これ!!
こういうユーモアに出会ったときこそ“欧米か!”ではできない、日本人(中国人でもいいけど)なればこそのウイットを感じるというか、ホントに日本人でよかったなと思う瞬間ですね!
それもありがたい教えの言葉であるというところなど、これこそ小さなことですけれども「美しい日本」が実現されている例ではないかと思うのです。
この“蹲”自体はあの石庭の竜安寺にも同じ文言が記載されていたものがあったと思うので決して珍しいものではないはずです。きっと、姫様のご覧いただけるところにもあるのではないかと思いますよ。
これも“蹲”の近くで咲いていた花ですよん。
姫様、お気に召していただけましたでしょうか!? (^^)v
もし私の至らなさでご不満な点があったとしても、この“蹲”の銘を思い起こしていただければ幸いに思います。
すなわち“吾唯足知”。
遺教経という教えに「足ることを知った人は何事にも不平不満が無く、心豊かでいることができるけれども、足るを知らない人はもし富んでいても、貧しい心持でしかいられないものだ」というようなことが記されています。
簡単に言えば、お達しの答は「これで(満足できなくても)勘弁してね!」ということです。(^^)v
今から深夜入りなのに、、、、寝なきゃならんのにコメントを残してやろう。
ふぉふぉ・・わらわは心優しいhimeじゃからのぅ!
で、む・・む・・。
「吾(われ)、唯(ただ)足るを知る」
む・・む・・・・む・・・。
これは一本やられたようであるのォ~
お見事じゃ!!
あっぱれ、さらに励むが良いぞ!!
これを、京都でも見ることができるとは、知らなかったので、嵐山あたりに出没したときは、探してみます☆竜安寺ね。行ったことがあるのに、気づかなかったなぁ・・・。いい事教えてもらった。ありがと~~♪
それがし、いささか加齢臭は漂ってまいり申したが、まだまだハゲむ余地は充分にあると心得まする。
姫のお言葉を胸に、ますますハゲむほどに努力したいと存知まする~。
またのご光臨をお待ち申し上げておりまするぅ~。