薩摩川内市皿山の平佐焼窯跡を紹介します。川内川左岸側の山あいにあります。
民家の横から小川を山側へ行きます。
平佐窯は、平佐領主本郷家が天草や肥前から陶工を呼び寄せて築いた磁器窯です。
民家の裏に屋根のある窯跡が見えます。
1780年代に創業し、椀や皿などの日用品から、高価な美術品まで生産しました。
平佐焼の原料は、天草産の陶石と地元産の粘土で、釉(うわぐすり)にはイスノキの皮を焼いた灰を用い、青味がかった色を帯びていました。
川内川に近い、山あいのここに窯を築いたのは、原料や製品運搬の水運がいいのと、燃料の薪を手に入れやすかったからと思われます。
窯跡です。ここ以外にも多くの窯があり、薩摩焼史上最大の規模を誇り、欧州へも輸出されていました。
薩摩焼といえば美山が有名ですが、こんなところに大規模な薩摩焼の窯があったとは意外です。
昭和12年が最後の窯入れとなりました。窯跡は草が生え、劣化が進んでいます。
入口のアーチはパイプで支えられ、崩落しそうです。
内部。ここもパイプで支えられ、いずれ崩落するかもしれません。
隣の窯はシートで覆われ、ここも劣化しているようです。
案内板の平佐焼です。
次回は、隣の皿山天主堂跡を紹介します。