goo blog サービス終了のお知らせ 

カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

中学校時代の恩師との別れ

2019-01-10 10:49:00 | 日常あれこれ
 一昨日の句会の帰りに、中学校の同級生であった女性から当時の担任の先生の逝去の知らせを受けた。

 葬儀会場と日時を聞いて、昨日は葬儀に参列した。

 101歳とあったが、満年齢でいえば99歳とのことである。

 昭和と平成の二度の大合併で、村名も村名を冠した学校も亡くなって久しいが先生達との思いではきっちり残っている。

 子沢山の時代だったが、もともと小さな村だったので小学校から中学校まで顔見知りの友達ばかりの少人数の学校だった。

 先生との関係も濃密で、2クラスあって私達の担任は女性で、もう一つのクラスは男性の先生だった。

 男性の先生が通勤に使っていたオンボロ自動車が、学校の上り坂でエンコしそうになると、後ろから付近の子供達がたむろして押し上げるというのが日課になっていた。

 どちらのクラスの先生とも親しく交わり楽しい思い出しか残っていない。

 クラスの友達と会え、先生とも会える学校に行くのが楽しいという恵まれた期間を過ごした。

 同窓会も5年に一度開催していたが、5年は長すぎるというので私が幹事代表になった15年くらい前からは、3年毎に開催している。

 男性の先生が亡くなり、そして一人だけ参加して貰っていた女性の先生も昨日亡くなった。

 私が下手な文章でも、抵抗なく書けるようになったのは、この先生が夏休みの日記帳を褒めて下さったのが切っ掛けになっている。

 葬儀会場は、阿蘇が煙をあげているのが直ぐそこに見える場所にあった。

 

 ゆっくりあがる阿蘇の煙が、先生の教職一筋にかけてこられた情熱の最後の穏やかさを象徴するような気がした。

 そこから目を少し北東の方向に向けると、鞍岳が外輪山の一角に連なりながら一際高くそびえているのが見える。

 先生達と共に全校生徒が遠足で登った1118mの山で、この麓に学校があり校歌にも歌われている象徴的な山である。

 

 実は今年は、この鞍岳の麓にある施設を利用して1泊の同窓会を計画立案中だったのだ。

 芝生の広場を利用したグラウンドゴルフとか、元気な者は簡単な登山コースにチャレンジしてみるのも良いだろう等と、勝手にアイディアを捻って、近傍の皆に図ったらおよその賛同は得ていた。

 現地確認のため、相方と二人で登山と施設見学を目的に昨年暮れに山に登ったのだが、相方が下山中に転倒して骨折し、とうとう施設見学どころか病院に直行することとなって、私は炊事洗濯等一切の家事を担任することになるという物語の発端だったのだ。

 先生達の思い出や、故郷の山や川は皆が多分死ぬまで共有しながら生きることになるだろう。

 ちなみに今年の年賀状の中には、ちゃんと先生の賀状もあったのだ。

 先生への感謝の念と共に、ご冥福をお祈申し上げたい。

 
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「誰でも自由に」の本のコーナーにて

2019-01-09 09:48:45 | 日常あれこれ
 ウオーキングをするとき、折り返し点は図書館のある町の「情報交流センター」にしている。

 幾つか歩くコースは定めているが、どのコースを辿っても折り返し点は同じである。

 コースの最終目的地は出発点である自宅だから、将来認知機能が異常をきたした場合でも、無意識にでも帰いて帰ってしまえるかも知れない。

 図書館からは年間を通じて本を借りているので、わが家には一年中何冊かの図書館の本がある。

 借用日・返納日以外は図書館の横の、交流センターの休憩コーナーで一息ついて引き返す。

 この部屋の一角に、いつの頃からか書棚が設置され、町民が読み終わり不要になったと思われる本が置かれるようになった。

 その場で読んでも、持ち帰って読んでも自由である。

 あらゆるジャンルの本が渾然一体と並んでいるが、先日からは異色の全集が登場した。

 

 美術の全集で、並んでいる番号では32号まである。

 番号は中抜けしたしていて、持ち主だった人が抜いたか誰かが借りているのかわからない。

 大体においてこの手の書籍は高額なのが特徴だ。

 一巻で3800円の表示があったから、ざっと計算しても12万1600円もしたことになる。

 実は全集はもっと巻数があるなどという話になれば、ビックリ金額になる。

 この本がここに置かれたのには、それなりのドラマがありそうだ。

 持ち主が他界したとか、存命でも動けるうちに断捨離を始めたとか・・・などなど。

 番号の中抜けは、持ち帰って見ている人がいるのだろうか、とても重くて大変だったろうと思う。

 私は、歩きながらも持ち運べる傑作な本を1冊借りてきた。

 

 「大愚問」という題も面白そうだが、表紙の横にちょっこっと書いてある「なぜ昆布は海の中にダシが出てしまわないのか?」という文句と、素朴な疑問探求会{篇}という部分が気に入ったのだ。

 世の中、誰もが笑って取りあわなかったり、判りきった常識として軽く扱っていたものを、熱心に研究しノーベル賞を貰った人だっているわけで、ニュートンもリンゴをボ~ッと見ていたわけだろう。

 「ボ~ッとして生きてんじゃねえよ!~」とチコちゃんも言っているではないか。

 映画館の肘掛けは、左右どちらが自分の領分か?など、ぼ~っと考えていると領土の問題の解決に繋がるかも知れない。

 正月から、またまたお後がよろしいようで・・。

 
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

句会の当番・・疲れました

2019-01-08 21:34:23 | おでかけ
 噴煙吟社の1月の句会に参加しするため、会場の市民会館に向かった。

 今日は、句会の当番だったので準備のため早めに車で家を出た。

 道が混んでいることも考慮しての早めの出発だったが、道路はまったく混んでいなくてスイスイと走れてしまった。

 混むときは、1時間近くかかることもあるが、今日は25分で着いてしまった。

 
 (会場の市民会館)

 句会は午後1時30分からで、会場の申し込み時間は午後1時からと表示されていた。

 30分くらい早いので、隣の国際交流会館を覗いてみたり、熊本城の様子を覗ったりして時間を潰す。

 
 (熊本城)

 工事用のやぐらがなくなって、クレーンがなければ遠目には被災前の熊本城のように見える。

 もう暫くすると、工事の様子もあわせて見ることが出来る見学通路が出来る筈である。

 外は寒いので市民会館の中に入ると、もう何名かがロビー付近で待っていた。

 予約の15分前に受付で名前を記入し、会場の入口の鍵をもらって準備に取り掛かった。

 当番というのは、会場の準備だの投句の回収だの、披講の際の脇取りや記録・進行だけかと思っていたら、なんと当日の席題の決定や、選者の指名までするのだと聞いて驚いた。

 席題は無理矢理でも何とか決めることは出来るが、選者はお願いするのがなかなか難しい。

 とうとう困り果てて、先月も選者をやったという人にお願いしたら、快く引き受けて頂いた。

 当日の席題の選者決めはなかなかトリッキーで、以前初めての句会に参加したとき、席についた途端に「はい、あなた選者」と指名されて、「私初めて句会に参加したもので、要領もよく判りません」といったら、「誰でも最初ははじめて・・・」などと強引に指名されたことが思い出された。

 きっとあの時も、当番の苦肉の策で私が指名されてしまったのだと、今頃納得してしまった。

 句会そのものは、秀句×1句、五客×1句、平抜き×6句で、なななんと全句を抜いて貰った。

 句会の後は、吟社の運営に関する意見交換会があったが、抱える問題は何処の文化関係の組織も同じ悩みを抱えているなと痛感するものだった。

 高齢化、会勢の維持・拡大、運営資金の問題等がジワリと改革を迫ってくるパターンである。

 誌の質の問題もあって、両立にはかなり知恵がいるようだ。

 
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七草粥を食べて初詣で

2019-01-07 19:13:01 | 日常あれこれ
 今日は1月7日、七草粥を食べる日である。

 スーパーなどでも七草粥セットが売られているが、何というかう~ん美味いと思ったことがない。

 今年は菜園の野菜+葉大根・人参・里芋などを加えていたら8草セットになってしまったが、結果的に非常に美味しかった。

 しばらく聞かなかったスズメの声が、朝からチュンチュンと聞こえてきて清々しい朝を迎えた。

 新聞を取りに表に出ると、スズメが何羽も庭をとび跳ねていた。

 ふとその原因に気がついた。

 

 注連飾りの稲穂がスズメの目当てだったのだ。

 毎年のことなのに今年は遅いな等と噂をしていたところだった。

 

 それは、まさしくまき散らすという具合にドアの外は籾殻が飛び散っていた。

 ただ毎年のセレモニーなので、この迷惑行為がないとかえってスズメの行く末が心配になる。

 そこでセレモニーの一つである初詣にまだ行っていないことに気がついた。

 せめて松の内に終わらせないと、神様に申し訳ないので急いで初詣に出かけた。

 
 (惣領木神神社)

 町内の神社に先ずはお参り。

 震災で倒れた鳥居も新しく再建された。

 
 (菊池神社)

 ここは、相方との結婚式をした神社だし二人の子供もここで七五三のお参りをした。

 去年頂いていた破魔矢を納めて、ことし猪バージョンの破魔矢を頂いてきた。

 
 (破魔矢)

 何年も前から、床の間のこのコーナーが定位置で、ただ立て掛けているだけである。

 地震の際も、タンスが倒れ仏壇が飛び出すなど大騒ぎの最中に、この矢はまったく定位置にそのままの状態で立っていた。

 置く場所がなくて便宜上立て掛けていただけの話なのだが、地震以来自信をもって立て掛けるようにしている。

 ところで、「松の内」に間に合うようにと初詣でをしたのだが、「松の内」とはいつまでという疑問が湧いてきた。

 本当は毎年同じ疑問をもって、調べたりもした事があるのだが、すっかり忘れてしまっていた。

 調べたら、関東では7日まで関西では15日までと期間が違っていた。

 まあ最短の関東の7日にも間に合ったので由としよう。

 多分第2日曜の13日が、子供会行事のドンドヤなのでお飾りやしめ縄などを一緒に焼いてもらう。

 7日に松の内を終わっていないと、神様がまだ各々のお家に居るうちに撤収して追い出してしまうことになる。

 まあ、習わしというやつは時代と共に変わっていくのだろう。

 「おめでたや無神論者も初詣」

 
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

粘りと根性で車に貼り付いたロアッソ熊本のリボン

2019-01-06 10:30:00 | スポーツ
 当地の「ロアッソ熊本」は、J2リーグの降格争いを2シーズンにわたり演じていたが、とうとう今シーズンはJ3で戦うことになってしまった。

 あまり嬉しくはない話なのだが、取り敢えず1年でJ2に復帰するのだという意気込みを買って、今年もシーズンシートを予約した。

 

 くまモンもユニホームを着たりして度々スタジアムに顔を出していたが、さて今年はどうだろう。

 多分去年より力を入れて来てくれるかも知れない。

 ただ、チームで一番得点を稼いでいた3名が揃って他のチームに移籍してしまうし、とにかく失点の山を築いた守備の強化は未知数だし、なにかと不安材料には事欠かないが、かえって若手の奮起を促し、しがらみのない伸び伸びとしたプレーが出来ればかえって良い結果が出るかも知れないなどと、春の淡雪のような思いを抱いている昨今である。

 根性で頑張って欲しいと思っていたら、根性で頑張っているものが身近にあった。

 

 車の後部に「ロアッソ熊本」の磁石付リボンを貼り付けていたら、剥がせなくなってしまった。

 購入した時の説明文の中に「1週間以上は連続して貼りっぱなしにしないで下さい」のあったのを、夏場もずっと貼りっぱなしにしていたためだろうと思う。

 車を洗うときもそのまま洗っていたが、時々は剥がして下の方も洗ってやるか等と思って剥がそうとしたら取れなかった。

 力を入れて引っ張ったら千切れた挙げ句に、磁石の部分に表面の材料が残ったままで車にくっついて剥がれ所が残ってしまった。

 後で溶剤か何かで剥がずしかないのだろうが、素人がやって車の塗装まで痛めては拙いので、剥がしたリボンをそのまま元の位置にくっつけたら、残った磁石の部分の力でそのままくっついた状態になった。

 多少みっともないが、その粘りと根性は見上げたもので、今シーズンのロアッソを占うような出来事としてJ2昇格までとっておくことにした。

 この、負け惜しみ的な発想が如何にも今のロアッソに似ている気がして、自分ながら呆れてしまう。

 しかし、スタジアムに応援に駆け付け、ここまで楽しめるスポーツチームは今のところロアッソしかないのである。

 関西の虎ファンの心情が十分理解出来るようになった。

 
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お正月は読書週間

2019-01-05 15:34:21 | 本と雑誌
 図書館も正月休みに入るので、例年年末になると何冊か余分に本を借りてくる。

 今年は家事手伝いどころか、家事本業になることは判っていたので、3冊しか借りなかった。

 しかも字数が少なかったり、写真の方が多かったりといった本ばかりに絞った。

 
 「田中清光詩集」「千度呼べば:新川和江」

 田中清光詩集は、収められている詩の篇数が多く2段組になっていてちょっと時間がかかったが、千度呼べばの方は、1ページに数える程しか字がないので、すいすいと読めてしまった。

 自分の心情ばかりを表現するものより、社会や自分の心根の矛盾なども含めて表現する詩の方が私は好きである。

 まあ詩の方は年前にあっさりと読んでしまったのだが、写真入りの探訪ガイドには手こずった。

 
 「神話ゆかりの地をめぐる・・古事記・日本書紀・・探訪ガイド」

 これにはかなり頭を悩ませられた。

 主として古事記に由来する土地を71箇所選定し、見どころを紹介しながらなおかつ記紀の内容もピックアップして説明してあるが、その説明に登場する神々の名前と関係が覚えられないのである。

 登場する神々は、ほぼ一度は聞いたことのある名前ではあるのだが、人間関係というか神々関係というか、神々の系譜がややこしいのである。

 ロシアや中南米や東欧などの翻訳本に登場する人物名と、その相関関係などを把握しながら読むのも骨が折れるが、この日本の神話に登場する神々の名前のややこしさと、相関関係に比べればどうってことはない。

 しかも、系譜を追って話が進むならまだしも、探訪スポットと物語の時代が微妙に前後しているし、登場する神々も断片的に登場したりするので、まあ偉い神様がこの神社には祀られているのだと思う程度で読み進めるなら苦にはならない。

 ところが探訪スポットの紹介より、むしろ記紀神話との関連性の方に興味が湧いてしまって、なかなか前に進めない。

 以前読んだ「神々の流竄」が頭にちらついたりするのだ。

 
 「神々の流竄」梅原猛(著)1983.1集英社(刊)

 36年前に買った本だが、引越のたびに本などを処分してきたのに、この本はずっと引越荷物と一緒に移動してきた。

 私としては、当時一冊2000円の本を買って読むなどということは、とんでもない話だったのだ。

 ただ、お陰で目からウロコが何枚かポロポロと落ちたのを覚えている。

 内容もポロポロものだったが、記紀が著された時代そのものに目を向けるという切り口がポロポロものだった。

 特に物語性の強い「古事記」については、誰が編さんを命じ、読者として誰を想定したのかなどが推理されている。

 古事記編さん当時の権力構造と、権力者の先祖神及び古事記の中の神々の系譜との符合や、関係性などが推理されていく。

 36年前に読んだ本でも、細かい内容はともかく著者の意気込みのようなものは今でも印象に残っている。

 とても面白い物語ではあるが、たぶん大河ドラマには不向きかも知れない。

 
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屠蘇気分を吹っ飛ばす地震

2019-01-04 10:41:14 | 熊本地震
 2019年の1月3日は、久々の青空が顔を見せた清々しい一日だった。

 夕方まで概ね晴天が続きよく乾いた洗濯物を取り込んで、夕食の支度をした。

 

 洗濯物も良く乾いていて、夕食は準備に手抜きの出来る焼き肉を選定。

 いい気になってビールなどを飲んでいて、確か缶ビールを3人で4~5本空けた頃だった。

 突然「緊急地震速報」と同時に家が揺れ始めた。

 揺れた時間は短かったし、揺れの程度は体感で震度3~4程度だと思った。

 震度については、熊本地震で震度7を2回、震度6弱や5強は10回以上、4程度は約2ヶ月ほど続いたので、目眩のように体が揺れる地震酔いの状態が暫く続くほどたっぷり経験させてもらったので、体が震度を覚えている。

 熊本地方とくに熊本市や益城町は、半年前の発表では今後30年間に震度6弱以上の地震の起きる確率は26%以上と高確率になっていた。

 今回の震源地は約20キロ以上離れた、江田船山古墳などで有名な和水町であり、熊本地震の余震ではないという話だ。

 まったく確率の対象にもなっていない場所で地震は起きた。

 私がつらつら出来の良くない頭で考えたのは、確率ということと活断層ということである。

 東海地震が叫ばれてからもう半世紀以上が過ぎている。

 東日本大震災以降は、東南海地震に連動する以外には想定しにくくなったとある。

 地震学でいうところの確率の問題は、想定の基礎になっているものの設定の仕方で変わってしまうのだ。

 熊本地震の後、各所で実際のボーリング等による地質調査が行われた。

 
 (布田川断層と日奈久断層)

 当初の震度7は日奈久断層の益城寄りの部分の横ズレによる。

 二度目の震度7は布田川断層の益城直近の部分のズレによるものと発表されている。

 
 (地震後に益城町の直下にあると推定された断層3本)

 これは布田川断層が益城町の東部で分岐して、川の支流のように3本に別れ県道を中心に西進している断層。

 
 (我が町の中心部の断層)

 大まかな新聞発表図だったので、地図上に私が勝手に展開した図面である。

 途切れているのは、まだ現在調査中であると記されていた。

 その後調査が進み、最近の国土地理院が実測データとして公表しているものを見ると半端ない。

 断層の線が途切れていたり、空白があってその先にまた線が続いていたりするのを見ると、その空白部分を繋いでみたくなるのが人情だ。

 どこかの大学の断層に詳しい先生が言うには、断層はホウキの先のように逐次細かく枝分かれして行くそうである。

 益城で枝分かれした3本は熊本市東部で北に方向を変えている。

 立田山断層というのが熊本市を南北に走っているが、その断層の東側を北に伸びているのである。

 立田山断層といい、布田川断層の分岐から北進する断層といい一般方向は今回の地震を起こした県の北部を向いている。

 震度4~5の観測点を結ぶと不明瞭ではあるが一定の線が見えてくる。

 熊本地震の際も、やはり被害の大きかった地域や建物は、それらを結んだ線上に多く、断層のながれに沿っていた。

 これは被害の大きかった地域を調査した結果判ったもので、そもそも益城町直下の3本の断層も地震後に発見されたものである。

 本来の布田川断層は、町の2キロくらい南の山沿いを走っている。

 今回のような確率の低い地域での地震に遭遇すると、確率は安心材料では無いというのと活断層はどこを走っているかよく判っていないということが言えると思う。

 地震の専門家というのは、地震後は沢山登場させられるが、地震前にはほぼひっそりとデーターなどを整理していればいいという扱いで、あまり出てくると町の発展を阻害する等と言われかねないものである。

 

 復旧作業に余念が無い傍らで、全体が地盤沈下したあおりでそこだけが取り残されて30センチ以上も飛び出したままのマンホールが今も地震の様相を我々に伝えている。

 小さな震災遺産は、まだ目の前にある。

 
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青空・健康・復興・春・・・待ち

2019-01-03 10:40:40 | 日常あれこれ
 大学対抗の箱根駅伝も復路の平塚あたりを走っているようだ。

 たすき中継地点あたりになるとアナウンサーの声が一段とヒートアップし、トップチームのたすきリレーともなると、サッカーのゴールシーンといい勝負の盛り上げ方となる。

 当地はやっと朝から太陽が出た。

 初日の出は今日だったのだが、私は見逃した。

 ちょうど隣家の間から遠くの山が見えるが、その山の端に太陽が顔を出していたのだと相方が言う。

 で、今日はスッキリした青空が広がっている。

 

 「早く、太陽が出ているうちに、洗濯物を干さないと・・」、と相方が自由に動く口を動かして指示をする。

 洗濯機を仕掛けておいて、朝食の支度をする。

 朝食が終わると、洗濯物を干し、その後朝食の後片付けをする。

 この生活のパターンも2週間が過ぎて、少しは慣れて来たがなにせ正月は台所の洗い物が多い。

 私は、相方の一日も早い回復を待つが、災害地も復興待ち状態で正月休みである。

 

 地震後に、通れなくなった橋は多いが通れる橋でも重量制限が掛かっている所が多い。

 この橋は入口付近が少々怖い。

 橋の標柱と欄干がズレてしまっているのだ。

 

 両側と中央の橋脚部分と、橋の上部構造の部分が平行に左にずれている。

 幸い橋脚の幅が余裕を持たせた構造なので、ぎりぎり橋脚の上に乗っている。

 重量制限無しの橋に戻るのはいつのことだろう。

 さて、雨戸を開ける音に直ぐさま反応して隣の猫がやってきたが、寒いのに入れて貰えないと判ると直ぐ引き返していった。

 今朝は氷点下2度、青空になってやっと気温が少し上がってきた。

 これから本格的寒さに突入するのに、もう暖かい春が待ち遠しくなる。

 
 

 江津湖のシラサギも、その隣の動物園のキリンも首を長くして春を待っている。

 そして私は、相方の口数が減って、そのかわり手が治って、口と同じ程度に動く日が、一日も早く来ないかと待っている。

 洗濯物を干すための青空待ちなど、正月早々としては寂しい話ではないか。

 「太陽の下で平成背伸びする」

 
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫が新年のご挨拶に・・。

2019-01-02 10:48:19 | 日常あれこれ
 新年を迎えたが、まだ人には会っていない。

 年賀状を出していない年上の人から年賀状がやって来て、慌てて書いてポストまで投函に行っただけである。

 隣り近所の人にもまだ合っていないが、ちゃんと元旦に向こうから挨拶に来た者もいる。

 隣の猫である。

 

 カーテンのすき間から、「おめでとうにゃ~ん」と新年の挨拶にやって来たらしい。

 ガラス戸のロックを外して中へ招待してくれと手を伸ばしているが、それはないだろうと断った。

 
 

 園芸用の土や、肥料などを入れている箱の蓋の上で、しばし佇むのが最近の日課になっていて、日に3~4回はやってくる。

 

 にゃ~ん等となれなれしく鳴いているが、油断は禁物。

 時々噛みついたりするのである。

 なれなれしく擦り寄ってくるので、撫でていたら途中で興奮して噛みつかれて怪我をした。

 相方はご丁寧に2度も嚙まれている。

 庭を歩いていて、足元にじゃれつかれていてスリッパの上から嚙まれたのと、ミニ菜園に小松菜を採りに行って横にやって来た猫にジーパンの端を嚙まれた。

 幸い2度とも物の上から嚙まれたので怪我は無かったが・・。

 猫のような柔らかさという感じはなくて、堅肥りの猫で足元に擦り寄るときもドーンと頭からぶつかってくる。

 大型の骨太で、極端な甘えん坊のわがままという、まったく勝手気ままに我が世の春を謳歌している猫である。

 わが家をセカンドハウスに設定したい意向もあるようだが、それは無理筋というもの。

 せいぜいが日当たりの良い肥料箱の上で休憩の一時を過ごす程度に願いたい。

 出来れば幸せの招き猫として、今年一年を通じて温和しくお付き合い願いたいものである。

 「窓際の置物になる日向猫」

 
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元旦狂騒曲

2019-01-01 12:10:40 | 日記
 2019年の新年を迎えた。

 平成31年で5月に迎える新元号に、この元号は引き継がれる。

 昨夜の新年イベントの後片付けをして寝たので、今朝の起床は七時を回っていた。

 

 門柱に国旗を立てて、郵便受けを覗く。

 川柳誌「ふんえん」と、年賀状の葉書ではない年賀状が1枚、それに以前と同じ準備中に調査したが宛先に該当する人はいないという返送された私が出した年賀状が1枚入っていた。

 たぶん31日に配達されたものらしく、今年の年賀状などはまだ一枚も配達されていなかった。

 山のように配達される元日の新聞は、新聞受けには入らない量なので、門柱の横に段ボール箱を置いておいたのだが、予定通り山のように配達されていた。

 さて、今年の目標というべきものはつらつら考えるに4つ程ある。

 

 一つは、川柳を作り続けること。

 「ふんえん」という川柳の同人誌の同人として、毎月の投句や編集などの手伝いをしたり、雑誌や新聞に投句をすること。

 

 二つ目は、ロアッソ熊本の応援をつづけること。

 今シーズンはJ3なので、対戦チームは様変わりだが、J2復帰を目指して頑張って貰うため、今年もシーズンシートを申し込んだ。

 ロアッソの試合と競合する行事は不参加とさせて頂く可能性はかなり高い。

 

 三つ目は、小学校から中学校にかけての同窓会を計画実施すること。

 現役の頃は、帰省する正月に計画していたが、ほぼ定年を迎えた以降は3月初旬に計画していた。

 今回は、よる年波を考慮してもう少し暖かい4月を予定したいと思っている。

 屋外で体を動かすイベントが出来るのも今年くらいまでと見積もって、グラウンドゴルフや軽登山を選択肢に入れたい。

 四つ目は、自身の健康管理である。

 相方の骨折で、どちらかが具合が悪くなった場合の負担はかなりなものであることが実感できた。

 私自身も術後の定期検査でPSA値が高めになっていたため、2月には再度「骨シンチレーション」と「CT」の検査を受ける。

 去年も丁度2月に検査して、様子見を選択したことを思い出す。

 結果によっては、投薬などの処方を決断する事態となるだろう。

 命あっての物種だし、人間をやめる気は今のところ更々ない。

 五つ目の目標は、私の密かな願望でもある。

 頭が正常に働く活動余命も、アディショナルタイムに突入寸前の感じがする。

 密かにスイッチをONにしようと思っている。

 ・・・・・・・・・・・・・

 今年は久々に元旦早々に、真面目は雰囲気を漂わせてしまった。

 年賀状も先ほど配達されてきた。

 そして今年も、出していない人からもチラホラ・・・。

 「神様が辞令をくれるまで生きる」

 
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする