カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

世界遺産(明治の産業遺産)「三角西港」

2024-05-30 14:10:33 | おでかけ

 テレビの洗濯情報では洗濯日和になっていたが、当地は全天雲に覆われている。

 相方は洗濯を干し終わるり、友人とデパート詣でにルンルン気分でおでかけ。

 朝は湿度も低く快適だったが、午後からはだんだんと蒸してきた。

 アイスでも舐めながら、昨日の続きのブログでも書くことにする。

 

 ▲(三角西港)

 住吉自然公園の紫陽花を見た後、もう一つの目的の魚料理の「浜ん小浦」を目指した。

 その前に、世界遺産(産業遺産)に登録されている「三角西港」に立ち寄る。

 明治の産業振興策で、オランダ人の技師からこの地が港の適地であるとの進言を受け築港された。

 前方の三つの丘は、左が天草上島側の岬で中央と右側の山は二つの島である。

 この中央の三角形の島は、深い海峡になった部分の中央に位置する。

 

  三角(三角西港の石の桟橋と倉庫)

 石の桟橋は5~600mくらいはあるようだ。

 当時の倉庫は、レストランとして活用されていたが、現在改装工事中で閉まっていた。

 遠方の橋は天草の上島と宇土半島を結ぶ天草五橋のうちの1号橋。

 

  ▲(三角西港:商館や海事学校跡)

 かつて若い頃は相方と二人で、後方の山へ登って中腹の遊歩道を歩いたものだが、遠い昔の話になった。

 今は平地を歩くのも難儀するお粗末さ。

 

  ▲(廻船問屋の建物跡)

 明治時代殖産振興で港が賑わっていた頃の廻船問屋の建物である。

 内部は出入り自由だった。

 

  ▲(廻船問屋の建物内部)

 見学者のために、戸は開け放たれ照明も点けられていたが、人は誰も居なかった。

 説明板も入り口に由来が書いてあるだけで、屋内の利用の形態等は各人の想像におまかせ。

 付近にはデイゴの花やアコウの木などもあって、何となく南国風。

 

  ▲(デイゴの木)

 

  ▲(アコウの木)

 ガジュマルに似ていて、枝を支えるために設置した木製の支柱に根が巻き付いていた。

 枝なのか根なのか、すっかり支柱を飲み込んだように絡め取っているものも・・

 

  ▲(巻き付く根と一円玉)

 道路の直ぐ脇まで伸びた太い枝は切断されていたが、その先端付近にも根が巻き付いていた。

 隙間には、かなりな数の一円玉が挟んであったが、既にキッチリ巻き取られてしまっているものもある。

 明治も後半になると、鉄道も延伸され半島の先端付近にトンネルが掘られ、現在の三角港付近に駅が出来た。

 以降この西港の役割は三角港に移行していく。

 その事が、乱開発等から免れて産業遺産として当時の面影を残せたというわけである。

 さて、倉庫跡のレストランも観光案内所・物産館も改装工事中だった。

 昼がやって来て、さて魚でも食べるぞと張り切って向かった「浜ん小浦」も「定休日」でギョ!!

 慌てて、三角の町の魚を食べさせるような店を探したが、何処も定休日ばかり・・。

 なんとラーメンやちゃんぽんの店以外は、駅前食堂まで定休日。

 午後の漂泊はここから始まったが、そのお話はまた明日のこころだァ~。

 「唯一人記憶の海へ船出する」・・・しろ猫

 そう言えば、この西港は大河ドラマで連合艦隊が出港するシーンの撮影現場だった。

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