有明海に向かって伸びる宇土半島の付け根あたりに住吉自然公園がある。
かつては島だったらしいが、今は小さな丘のようになって陸続きになっている。
その海に面した側の道路沿いにグルリと紫陽花がとりまく。
丘の頂上には灯台と神社がある。
▲(金峰山系の山々と風流島)
緑川が有明海にそそぐ河口付近に位置していて、目の前には金峰山系と直ぐ近くに風流島が見える。
紫陽花は5分咲き程度で、こらから見頃を迎えることになりそうだった。
▲(有明海を隔てて、島原半島・雲仙の山々)
▲(風流島)
島の名前は幾つもあって、本名はどれかと聞きたいくらい。
はたれ島・たばこ島・はだか島などなど・・・。
小さな岩ばかりの島だが、波の浸食は殆ど受けていないそうで古来からこの形を保っているそうである。
熊本への海からの進入路に位置していたため、古来からの各種の文献に登場するらしい。
伊勢物語:六十一段・・・「名にしおはば あだにぞあるべき はたれ島 波のぬれぎぬ着るといふなり」
枕草子:百九十段・・・「島は八十島 浮島 はたれ島 絵島 松ヶ浦島 豊浦の島 まがき島」
この他、各種の文献に登場している。
清少納言の父は、肥後国司として中央から派遣されていた人物。
伊勢物語の在原業平の義父である紀有常は肥後権守で従兄弟の在原も肥後国司に任ぜられている。
肥後への海からの接近経路上の明瞭な目印として重宝されていたようである。
てな事を書いている間に、突然飛び込んだ訃報と通夜への出席で本日これまで・・。
1000年の昔を振り返ってみると、人の命の儚さが際立つ。
「友引の葬儀が二度も続く謎」・・・しろ猫
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