絵はイメージです。
以前、石巻市博物館についての記事を載せたと思いますが、その博物館の一角に展示されている毛利コレクションについて、2月1日(金)の河北新報で紹介されていました。
(以前(60年くらい前)に石巻に住んでいた方は住吉の方にある毛利コレクションという言葉を聞いた方があるかもしれません。
私は中学生の頃、バスケットシューズを購入する時に「毛利運動具店」というお店で購入したように思いますが、苗字が同じで住まいも住吉なので親戚なのでしょうか?)
その毛利コレクションの一部が開成地区の市博物館に展示されているとのことです。
毛利コレクションとは、石巻市の石巻信用金庫の理事長を務めた毛利総七郎(1888~1975)が生涯にわたって集めたもので、江戸期から昭和初期までの庶民生活を伝える10万点を超える収集品です。
その存在は戦前から国内外の専門家に知れ渡りました。刀剣、つば、甲冑、家具、和紙、染織といった分野の知の探究者たちが収蔵品を見るためたびたび石巻を訪れ、学術的な価値の高さを物語っているそうです。
毛利総七郎は石巻の素封家だった毛利家の父里総治、母たねの次男として生まれた。少年時代に石巻市の内湾、万石浦近くの沼津貝塚で矢尻を見つけ考古学に興味を持ち、その後多方面にわたる資料の収集に没頭するようになったそうです。
硯と筆を一つに収める携帯筆記用の矢立、印鑑や巾着に付ける根付、きせるなどの喫煙具。医薬品やマッチのラベル、江戸期以降の引札(ひきれい、広告チラシ)包装紙等々....。
膨大な収集品は毛利の死後遺族が管理し、2010年10月に石巻市へ寄贈されました。
保管先だった旧石巻文化センターは東日本大震災の津波を受けて取り壊されましたが、1階にあった収蔵品は扉を頑丈なものに交換したばかりだったので浸水は床上2センチほどにとどまり、収蔵品は被害を免れたとのことです。(なんてラッキーだったのでしょう。)
2月1日には国立アイヌ民族博物館の3人の学芸員が訪れ、毛利が集めた710点を調査し、一人の学芸員は「個人が収集したアイヌの資料としてはめったに見られない多さだ」と言っていたそうです。毛利が残した多くの書簡から買い付け時期や経緯が分かる点が貴重だということです。
民族博物館は今秋に全国のアイヌコレクションを紹介する展示会を開く予定です。研究学芸部長の藪中剛司さんは「もっと多くの人に知られれば新たな発見につながる」と、毛利コレクションが秘めた価値を評したそうです。
今回の記事により、以前耳にしていただけの「毛利コレクション」について少し詳しく知りました。展示を見たら素人の私でもきっと新しい発見があることでしょう。そのうち訪れてみたいと思いますが、次々に姿を変えるコロナウイルスや頻発する地震等々で、.なんとなく出鼻をくじかれるこの頃です。世界情勢も気になり、なんとなく落ち着きません。
そんな騒がしい世の中でも、桜はいつものようにこの春日本各地で咲いていて心が和みます。仙台は今が満開です。昨日一昨日と真夏のような晴天と暑さの中、西公園は随分にぎわったようです。
落ち着いた情勢の中で、じっくり「毛利コレクション」を鑑賞する日がくると良いと思います。
※ 余談になりますが、旧門脇小学校も4月3日から公開が始まりました。校舎内部には入らず、鉄筋3階の外部通路を設け、校舎内を間近で見学できるようになっているそうです。これもその内見学に行ければと思っています。
下の写真は現在の宮城の春の様子の一部です。ついでに紹介させてください。
むかしむかし、『日高見?』という商店会の地方誌だったかな、あれでインタビューを読んだような気がする……。
行ったら、そのアイヌの収集品など、見てみたいです。
今年は行けるかなあ。
晴れた日にドライブがてら行けたら最高です!
コロナ対策もだんだん変わってきているし。と思いながらも第7波がちらちら頭をよぎります
内緒の「見てきた良いもの」?ぜひ伺いたいものすね
でも、やっぱり自分で見てくるのが一番かな