石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

一皇子神社のミステリー  「いづおんつぁんの謎」

2024年02月25日 | 紹介

                                 

 

タイトルは「海街さんぽ 石巻市・東松島市・女川町  海、街、人をめぐる海街さんぽ」のブログとひまわりさんのプログからお借りしました。

 

 ひまわりさん!どんぐりさん!グッド ニュース(?)です!

 2020年2月29日のひまわりさんからのお便り「いづおんつぁんの謎」という記事を覚えていますか?

 ひまわりさんの出身地石巻の湊の地域で毎年「いづおんつぁんのおまづり」と呼ばれるお祭りがあって、ひまわりさんは楽しみにしていたということです。

 屋台にあったハッカ飴や飴細工、そして小さな鳥居のそばには小さな舞台が造られ奉納演芸もあったとのこと、子どもながらにその中の芸人(?)さんのファンになったとか。子どもの頃の良い思い出になったようです。

 

 そのお祭りは、史実とは違う「一皇子宮(いちおうじみや)」のものでした。

 一皇子とは後醍醐天皇の一皇子の護良親王です。その一皇子が住んでいたんだよ。と教えられていたとのことです。

 そして、ひまわりさんは「へえ、こんなところに何故?」と思っていたとのことでした。

  境内の石碑には歴史的な経緯が刻まれており、この宮の存在理由が伝えられていたが、それは、教科書で習った史実とは反しているようだとのこと。どちらが本当なのか定かではないけれど、鎌倉には明治天皇が護良親王を祀ったとされる鎌倉宮がありますとのこと。

 

 ここで、ひまわりさんの想像は、食の内容になってきます。一皇子すなわち護良親王が逃れて大門崎という土地を選び、そこに住みついていたとしたらその理由は食べ物が美味しかったからだと、ガテンしたのでした。と書いています。

 そして、護良親王が数人の家来たちと逃れて大門崎で暮らした晩年は、美味しい食事に囲まれてなんという幸せに恵まれたことでしょうか!海の幸、山の幸、川の幸を豊富に食していたのではないでしょうか!(そもそもひまわりさんは、テレビ番組「天皇の食卓」の中で後醍醐天皇の好物がカエル焼であったという話から、出身地の湊の一皇子宮を思い出したのでしたから。食に繋がるのは納得です。)

 

 そうして、ひまわりさんは変な(?)確信を持ち、護良親王に初めて親しみを感じて安堵したと言っています。「一人勝手に納得して想像しました。いづおんつぁんは食に恵まれて幸せになれる運の良い神様かもしれません。」と。

 

 その話を聞いた私が友達に伝えると、「昔は情報網が発達してなかったから、誰かが自分は護良親王と名乗ってなりすましたんじゃないの」と言い、私も「ああ、そうかもね。」ということで終わっていた話だったのですが...。

 

  なんと、その真実(?)に近づくような書物に出会いました。

 少し前に古本市で購入した「いしのまき散歩」という本の中に「一皇子」という単元で記録があったのです。

 そして、さらに「 海街さんぽ 石巻市・東松島市・女川町  海、街、人をめぐる海街さんぽ」というブログにはそのことについての説明の他に所縁の場所や建物の写真までも少なからず載っていたのです。超巨大ミステリー!一皇子神社 | 海街さんぽ (umimachi-sanpo.com)

 

 「一皇子神社」の話は、日本の歴史の南北朝と言われる時代のこと。南北朝とは朝廷が南朝と北朝の二つに分かれていった時代のことです。

         

 ことの発端は、次のようです。

 力を合わせて鎌倉幕府を倒した足利尊氏と後醍醐天皇でしたが、後醍醐天皇が施いた天皇新政が失敗し、足利尊氏と争って吉野に逃れたのが始まりです。

  そして、後醍醐天皇の息子の一人が一皇子です。私が所蔵している「日本の歴史」によると、大変すぐれた王子だと書いてあります。

 その一皇子が南朝の実質的盟主だったが、足利直義により、鎌倉で幽閉され、やがて直義により淵辺伊賀守が殺害を命じられ、親王は殺害されたという歴史になっています。

 

 しかし、石巻に伝わる伝説では、一皇子は当時雄勝湊と呼ばれた現在の湊地区に逃れたということになっています。

 そして、湊にはそれらしい地名があります。

【御所の浦 (ごしょのうら)】(護良親王が海から上陸したと言われるあたり)

【御所入 (ごしょのいり)】(護良親王の住居があったとされる地域)

【吉野町 (よしのちょう)】(父、後白河天皇の『南朝』があった吉野にちなんで)

 

 ひまわりさん、そういう地名を聞いたことはありますか?

 

 また、大門崎にある一皇子を祀った「一皇子神社」の近くには、関係社寺がたくさんあります。

1 熱田神社  (写真あり)

 石巻への渡航の途中であった嵐の際、熱田神宮に祈ったところ暴風雨がおさまったことから感謝の意味を込めて建立したと言われる神社 (しっかりとした形の綺麗な平安式?の神社です。)

2 【朝臣の宮 (あそんのみや)】(写真あり)

 鎌倉から護良親王を守って共に石巻へやってきた家臣たち、日下、日野, 比羅塚、福原、遠山、志摩、岡本、淵辺の8人の霊を祀ったものといわれる。現在も、石巻にはこれらの姓を持つ旧家が残り、一皇子神社の神官も日野姓だとのこと。一皇子神社の境内にある。

 ブログの写真によると周りの建物がほとんどなくなってしまったが、ここだけ健在とのこと。社殿が新しくされたとのこと。

(私は一時渡波で勤務していたことがありますが、その時地域には日下さん、福原さん、日野さん、が居ましたし、知り合いで湊に平塚さんもおりましたし、同級生には岡本さん、そして遠山さんは湊ではなくても良く聞く名前です。)

3 【吉野先帝御菩提碑 (よしのせんていごぼだいひ)】(写真あり)

  一皇子神社の近くにある【多福院 (たふくいん)】にある。柵には菊の紋章。

 この碑は後醍醐天皇崩御の悲報が伝えられた時に親王が近臣と共に建てられたという。

4 【多福院】の隣の【慈恩院】にある、鎌倉からやってきたといわれる家臣の一人平塚家の墓碑。一皇子伝説についても書かれている。

5 護良親王の墓と言われる盛り土が一皇子神社の裏にある。

 護良親王が何故石巻に逃れてきたのかについては、当時の東北地方はもともと南朝勢力の根拠地の一つであり、当時の石巻に居城していた葛西氏家は南朝派だったので、何等かの繋がりがあったとしても不可解ではないと書かれている。歴史が降って嘗て南朝の系列だった伊達藩になってからも代々藩主の中で藩主の「多福院」詣でが何度もあって藩主参詣の当日だけは多福院寺僧侶は着座格の身分で扱われたと記録されているとのこと。(いしのまき散歩より)

 

 随分一皇子の足跡があったのですね。でも、一番の足跡は「いづおんつぁんのおまづり」かもしれませんね。子ども心にしっかりと根付いていたのですから。

 「いしのまき散歩」では、一皇子は湊村に御所を構え世の形成を窺いながら志を果たせず、正平元年にその地でみまかられたられたというのが石巻に残る伝説だと書いてあります。

 一皇子の生活がどのようだったのかは定かではありませんが、一面ではひまわりさんの言う通り美味しい食べ物に恵まれた毎日であったことも考えられますね。カエルをたべたかどうかは分かりませんが。そう考えたほうが何かほっとします。

 

 湊にこんな秘話が存在していたとは思いもしませんでした。

 石巻には知られていない謎の歴史が結構あるのかもしれませんね。

 

 本当に驚きました。

 「いしのまき散歩」は面白い本です。まだまだ興味のある話が書いてあります。それはまた機会がありましたらお知らせしたいと思います。

 子どもの頃は「社会」の教科というと地理に興味がありました。でも、今では歴史が面白いと思えるようになりました。

ひまわりさん!ぜひ読んでね。

 

※参照文献 「いしのまき散歩」 二佐山連 著

      ブログ 「海街さんぽ 石巻市・東松島市・女川町  海、街、人をめぐる海街さんぽ」

      「人物探訪  日本の歴史」 第4巻「争乱の群像」

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 【特集】  生きている髙橋英吉『石巻学VOL8』・・・どんぐりさんからのお便り 

2023年10月22日 | 紹介

                                           

どんぐりさんから またまたお便りが来ました。新刊本『石巻学VOL.8』に掲載されている石巻出身の彫刻家「高橋英吉」の特集記事についての内容です。

以下に紹介いたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〈新刊本紹介〉

『石巻学VOL.8』

【特集】生きている高橋英吉

 

2023年8月に刊行された『石巻学VOL.8』の特集は、「生きている高橋英吉」。丁寧に調べて書かれた原稿は、それぞれ読み応えのある充実した内容だった。

 

目次に並んだ原稿の書き手とその内容が、それぞれ的確であったことは、読んでみての第一の感想だった。恐らくこれまで高橋英吉を描いた書物としてはあらゆる角度から高橋英吉の時代と人を、そしてその後を取り上げていて、秀逸だろうと思われた。

作品の紹介は、見つかったときの状況など詳しかったが、美術としての評価にはあまり触れていない。これは美術評論家ではない筆者たちがあえて踏み込まないで、個人の評価にゆだねたからなのだろう。そう、人によって抱くイメージが違うだろうから。そしてこの若くして戦死した彫刻家は、生きていればどんな方向に花を咲かせていったか、その可能性まで見透かして語ることのできる人はいないということでもあろう。

もっとも、これまで高橋英吉だけを取り上げた書物がどれだけあったかは知らない。戦没画学生の1人として、または新聞記事として著わされたものが多かっただろうから、高橋英吉のエピソードというのは、これ以上は新しく見つからないだろう。これからは残された作品たちに語ってもらうほかはないだろう。

 

                                                     

                                        写真は、高橋英吉のコーナー  潮音 (海の三部作)

 

私が最初に高橋英吉を知ったのは、『祈りの画集 戦没画学生の記録』安田武・宗左近・野見山暁治著を読んで、だったような気がする。その本を手に入れた頃だから1977(昭和52)年頃のことになる。志半ばで戦場へ赴かなければならなかった画学生たちの遺族を訪ね、作品を借りて展示会を開こうとする3人の取材記が、戦没画学生の作品と、作品が生まれた背景、画学生その人を語っていた。

高橋英吉については評論家の宗左近氏が石巻を訪問、関係者に会って取材していた。ズンズンと心に迫る宗氏の文章が、英吉の彫刻に触れた感動を生々しく伝えていて、その文章に圧倒されたことを覚えている。宗左近氏が感銘を受けた英吉の作品を見てみたいと思ったが、それから20年以上たってから長野県上田の無言館ではがきを見たほかは、石巻市博物館ができるまで彫刻を見たことがなかった。

『祈りの画集』から46年ほどを経て、今また珠玉の英吉本が出来上がったというわけだ。さて今度の『石巻学』でどれだけ熟成された英吉像を構築しているか。それは読んだ方たちの読後感になるわけだが、読んでから石巻市博物館で英吉作品を見るか、見て知っているから本を読むか、どちらにしても英吉の作品に触れ、その魅力を知ったら、英吉作品を見る楽しさが倍増すると思う。

50年前なら「戦没画学生」という戦没者への哀惜の念が作品の評価に加わったかもしれないが、50年もたつとそういう世相も感情も薄れて、時代を超えた作品として見られるかどうかで評価をあおがなくてはならない。英吉の作品はそれでも人の心を揺さぶるか?

博物館で相対して、じかに問ってみよう。

 

『石巻学VOL.8』

特集 生きている高橋英吉

目次

海と仏像―高橋英吉小伝  大島幹雄

高橋英吉の手紙―石巻市博物館蔵「高橋英吉資料」をひも解く   泉田邦彦

石膏像との出合い  鈴木哲也

戦場からの絵ハガキ  大島幹雄

高橋英吉のガ島戦  天谷裕道

熱かった英吉顕彰運動  鈴木孝也

魂の格闘から生み出したレクイエム「潮音〈海の三部作〉」  本庄雅之

時の余白に    芥川喜好

こころの版画家 高橋幸子  大島幹雄

お月さま  佐々木眞理子

高橋英吉作品一覧  石巻市博物館

ほか略

 

                                                                                                                                               

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どんぐりさん、ありがとうございます。

髙橋英吉については、今年(2023 令和5年 9月22日)の河北新報の記事にもありました。

「石巻出身の彫刻家」「高橋英吉の木彫童子どこへ」 「遺族 原型石こう像を市に寄贈」『「仙台西島蔵」手がかり 』  

という見出しです。

「石巻学VOL.8」の表紙の像は石膏像で「童子和音」の原型とみられているのですね。

高橋英吉が子どもの頃から美術の才を示し、東京美術学校(現在の東京芸術大)で彫刻を学び将来を嘱望されたが、太平洋戦争に召集され、31才の若さで戦死した。石巻市の市博物館ではその作品は所在不明も含めて計76点の木彫り作品を把握しているそうです

英吉が作成した作品リストの中の一つ「童子和音」があり名称の下に「昭和15年9月作 仙台西島蔵」とあり、詳細は不明とのこと。 

 

市博物館がオープンした一昨年秋、英吉の長女幸子さん(82歳)から高さ47.5センチの石膏像の寄贈を受けた。像は戦時中、知人宅に預けられ2011年に返却されたとのこと。

英吉の業績を調査している鈴木哲也さん(55歳)はそれが「童子和音」の原型ではないかと助言したとのこと。英吉の作品作成の方法が 石膏像作成の後木像を完成させるスタイル。調査の結果、その可能性が高いことが分かったとのことで、石膏像には「笛ふく童子」とタイトルをつけて市博物館に展示しているとのこと。

鈴木さんは「仙台の西島さん」宅に今も木像が飾ってあるかもしれないと発見を期待しているそうです。

市博物館の学芸員泉田邦彦さん(33歳)は「『童子和音』が見つかれば調査が進むことになる。情報があれば博物館に連絡をしてほしい。」と  呼びかけている。

ということでした。

 

石巻が少しずつ文化的な部分が増えてきているいうに思います。

市博物館は旧石巻のはずれの方にあるので、たまに石巻に行ってもちょっと行きずらく残念なのですが、行かないのはもったいない気持ちになりました。

どんぐりさん、ありがとうございました。                

 

※ 今回、原稿からのコピペがいつものようにうまくいかず苦労した結果、一部フォントが違ってしまいました。でも、このくらいがとりあえず読みやすいのではないかと考え終わりにしました。

pcの世界はミステリアスです。

 

 

 

 

 

 


「仙台謎解きウオーク 街に願いを」2023年 1月~

2023年01月09日 | 紹介

仙台城跡 伊達政宗騎馬像

2023年(令和5年)あけましておめでとうございます。

今年は癸卯(みずのえう)四緑木星の年。全体的には「前進・発展」を後押ししてくれる年になるとものの本には書いてあります。そうなってくれることを願います。

昨年のようにびっくりして心臓がどきどきするようなことは起きてほしくないものです。ウクライナ戦争もなんとかはやくおさまることを祈るばかりです。

 

さて、新年早々嬉しい話題がありました。

 

仙台で面白いイベントが企画されているようです。

仙台の街を暗号やパズルを解きながら巡る「仙台謎解きウオーク 街に願いを」というイベントです。

3月1日から4月30日開催です。

プロデュースしたのは、俳優の佐藤健さんと神木隆之介さんでクリエーターの松丸亮吾さんに制作を依頼したものです。

謎解きは、架空の物語の中で、街や商業施設等に仕掛けられた暗号やクロスワードを制限時間内に解くイベントで、仙台では、参加者が配布される冊子で伝えられる『依頼人』の願い事を、観光地や商店街等を巡ってかなえていく設定とのこと。ヒントが無料通信アプリアプラインなどで届いたり、協力する「仲間」とつながったりするそうです。(うmmmm・・・・?ちょっとついていけなそうな雰囲気....。)

スマホ苦手な私には難しそうな気がする設定ですが、現代の若者?にとっては興味の持てる観光の一端なのかも....。

 

神木さんは、謎解きの魅力を「ストーリーや世界観に没入でき、芝居をしているような感覚を味わえる。ヒント機能もあり、初めての人でも楽しめる。」と話しているとのこと。そう聞くと、ちょっと興味が湧いてきます。

謎には、歴史や文化的な要素も含まれており、佐藤さんは「謎を解いて街を歩いていると理解が深まり、街への愛着が湧く。宮城や東北に興味を持つきっかけになればうれしい。」と願っているとのことです。

2人は昨年12月に仙台を訪れて謎解きのルートを下見した際、セリ鍋、牛タンなどの宮城の食を楽しみ、佐藤さんはセリ鍋がお気に入りで「根っこが特に美味しかった、食も楽しんで、ゆっくりと街歩きをしてほしい」と提案しています。

神木さんは「仙台駅が芸術的で謎解きに適している。歴史的な施設もたくさんあり、歴史の教科書の中に入った気分になる。謎解きのルートを離れてもいい。いろんな場所に寄り道して旅行感覚で楽しんでほしい」と呼び掛けたそうです。

なるほど、なるほど、こう聞くと単なる見物旅行ではなく歴史の中に入り込んで行動する気持ちになれるのかしらと、新しい旅行の仕方の一つのように思えて楽しそうです。

 

ところで、そもそも二人は、これまで東日本大震災のボランティア活動や震災関連作品への出演で、被災地に何度も足を運んできたそうです。

そして、昨年3月、宮城の文化や歴史などを紹介する書籍「みやぎから」(NHK出版)を出版し、仙台七夕まつりの飾り作りを体験したり仙台3・11メモリアル交流館(仙台市若林区)を訪れたりした様子をつづったそうです。

(佐藤さんは被災地の貧困や弱者救済にフォーカスした映画「護られなかった者たちへ」の撮影で、神木さんは仙台市出身の岩井俊二監督の映画「ラストレター」の撮影などで、それぞれ宮城を訪れてきたのだそうです。)

そんなご縁から宮城に心を寄せてくださっていたのですね。知りませんでした。

そんなお二人がプロデュースし、松丸亮吾さんが代表のクリエイター集団が制作とのことですから、きっと若者及び子どもも楽しめる、そしてもちろん大人も楽しめる内容になっていることでしょう。

こんなふうにして、被災地ではありますが宮城の魅力を感じていただけるのはとても嬉しいことです。

 

そして、被災地の実情について、佐藤さんは「街は復興しているように見えても、普段の生活に震災が根強く残っているように感じる。被災者の力になれることがあれば、なんでもやりたいと思っている」と語っており、神木さんは「実際に足を運んで現場をみたり、被災者の話を聞いたりすると、震災の恐ろしさや備えの大切さを身に染みて感じる。多くの人に震災を肌で感じてほしい」と訴えているそうです。

このお二人の人気俳優さんがこのように宮城と関わってきたことを初めて知りました。そして心を寄せてくださり今回このような面白そうな企画を考えてくださったことをとても嬉しく思いました。このような方が話す言葉であれば、様々な人たちに届くのではないかと思いました。

 

ちょっと、参加してみたくなりました。

 

※「仙台謎解きウオーク街に願いを」は河北新報社などで構成する実行委員会主催で、3勝ち1日~4月30日開催。制作は松丸さんが代表のクリエーター集団「RIDDLER(リドラ)」が務める。参加者はローソンチケットで事前にチケットの購入が必要で、一人3900円、東北居住者に限り1月7日から先行販売している。一般は2月1日から。確実参加定員が設けられており、売り切れ次第終了。詳細は公式サイトで公表している。

【今回の記事は河北新報2023年(令和5年)1月8日(日曜日)の朝刊より】

 

 

 

 

 


クッキー 「サンファンバウティスタ号の里」

2022年11月25日 | 紹介

     

 

こんなふうに「サンファンバウティスタ号の里」のお菓子(クッキー)のパッケージをよく見たのは初めてです。

このお菓子はいつ頃からできていたかしら?昔(?)は実家から帰った時によく「遠島饅頭(としままんじゅう)」をおみやげに買って行ったものです。日持ちも良く結構おいしく、職場へのお土産として重宝でした。

ところが、この饅頭が製造停止となったのか販売されなくなり不便を感じていました。

そんな時、思いついたのがこの「サンファンバウティスタ号の里」のクッキーです。

 

実物大のサンファンバウティスタ号がなくなった今、このパッケージの絵は何か感慨深いものがあります。

平成25年には全国菓子大博覧会で「厚生労働大臣賞」を受賞しているのですね。

ただ、今回買ったら5枚入りで750円。あれ、少し値上がり?

でも、とりあえずまずまず手軽に使えるお土産ではあります。

 

石巻のふるさと納税の返礼品にもなっています。

 

このお菓子が買えるお店は、調べてみたら「風月堂(ふうげつどう)」でした。

なんと陸前山下駅から徒歩1分の、以前ササニシキアイスクリーム等珍しい味のアイスクリームを売っていたあの菓子店です。

☎ 0225-96-4713   FAX 0225-96-4717  です。

「お問い合わせの場合は『みやラボ!をみた』とお伝えいただければ幸いです。」と紹介には書いてありました。

 

「サンファンバウティスタ号の里」クッキーは、アーモンド、ごまの2種類

アイスクリームは130種類以上の味を用意しているとのこと、であればきっと「サンマアイスクリーム」もあるでしょうね。

その他、初めて聞きましたが、「ひとめぼれの恋」黄味、ゴマ味のものもおすすめとしてのっていました。どんなお菓子なのかなあ?

 

お店・スポットからのメッセージがあります。

「寛永5年に和菓子店として創業し、現在は洋菓子を主にして販売しております。人気の『サンファンバウティスタ号の里』は、すべて手作用で丁寧に二度焼きしています。こだわりのアイスは13種類以上。感動して頂けるようなお菓子を用意しております。」

そうですか。手作りなんですね。味わっていただかないといけませんね。そして歴史があるお店なのですね。開店当時はどんな和菓子を売っていたのでしょうね。

 

このクッキーで石巻をPRしよう!!

 

  

 


「食材王国みやぎマルシェ」

2022年10月23日 | 紹介

 

 

始めの写真は左上は「ほやマドレーヌ」、右上は「ほやパイ

左下は「のりパイ」、右下は「海苔のりクッキー

2番目の写真は、「ほやパイ」

 

先日、宮城県庁を訪れると「食材大国みやぎマルシェ」というイベントが開催されていました。

入口を入るとまず「宮城県十三浜名産 わかめ」の看板のれんが目に入ります。

 

      

ここは、「マルナカ遠藤水産(石巻市)」です。

☎ 090-7797-2902     HP   https://13hama.jp  

昔、石巻に住んでいた頃、時々海藻等の行商の方が訪れて、「今年の海苔は○○(地名)のものが良くできてとても美味しい」等と、話していたことが思い出されます。

また、暮れにもなると、東京の親戚に毎年海産物をたくさん贈っていたものです。そして、石巻の海藻は東京で売っているものと違ってとても美味しいと言われていました。

さっそくお徳用のわかめと海苔を購入!その後とりあえず見てまわることに。

 

少し行くと、「東松島市」ののぼりが。

ここには、初めてお目にかかる様々なものがありました

始めの写真の「ほやクッキー」等、海のものを練り込んだ洋風のお菓子。どんな味がするのかと思い購入しました。

                  

その他「のりうどん」やそのつゆ。ここは試してみたいものがたくさん。

 

そういえば、〇十年前から「サンマうどん」等が石巻にはあったと思いますが、今はどうなっているのでしょうか?それから、「ササニシキアイス」「さんまアイス」その他さまざまな味覚のアイスクリームを販売していたお菓子屋さんが陸前山下駅のそばにあったのですが、現在もあるのでしょうか?

何はともあれ、海の幸、山の幸その土地の特産品が様々な食品に活かされるということですね。

 

写真左から二つ目の商品「のりうらら(多分佃煮のり)」は石巻専修大学の季ゼミナールからの出品です、

説明書きには、「のりうらら」は東松山市のブランド化を目指すプロジェクトの第一弾として開発されたとのことです。

「この『のりうらら』をお召し上がりいただき麗らかな気分になって欲しいという願いが込められています。」ともあります。そう思いながらいただくとちょっとほっとするかもしれません。(近頃の不穏な世相の中でも)

美味しい食べ方の例としてパンやサラダ、パスタ等様々な料理の一工夫として活用できるとのことです。

 

ここでは、のりうどんとのりの佃煮(アイザワ水産)を購入。(のりうどんはまだ試食していません。のりの味がするのかな?)

東松島あんてなしょっぷまちんど」と題してブースを出展していました。

  ☎ 0225-83-3391   HP  https://www.machindo-higamatsu.com/

 

次は、丸森や山元町等ですがその他のブースもチラ見でスルー。

ぐるりと回ってまた、十三浜のわかめの方に来ると、

 

華寿司」(仙台市)がありました。「宮城県の金華鯖とササニシキをお寿司にしました。」とのこと。

でも、鯖寿司は持ち歩けないのでパス!金華鯖の缶詰があったのでこれを購入!

HP https://www.hanazushi.com/

 

少し進むと、今度はこんなかんばんが。「いわし餃子

              

国産のいわしすりみ山形屋商店のタレ島金商店の皮を使用した、石巻の具材にこだわった『いしのまき餃子』です。タネにしっかり味がついておりますので、そのままでも美味しくお召し上がり頂けます。」

と書いてあります。美味しそうですが、これも持ち運びに不安があるのでパス!

 

次に行くと、またまた、昔にはなかったような商品がずらり。酒の肴に良さそうなものがたくさん!

  

ここでは、レトルトの石巻金華スープカレーを購入!これもまだ試食していません。楽しみです。

☎ 0225-24-1529     HP  http://www.hitakamiichiba.com

それにしても「牡蠣のリッチフレーク」、「金華パスタ」等洋風のものがあると思ったら、地元の食材を生かした洋食シリーズなのだそうです。現代にマッチした食品作りが進んでいるのですね。金華マークも作られています。

   右が金華マークです。              

 素敵なマークですね。

 

ということで、東日本大震災から10年余りが過ぎた現在、これまで様々な工夫が続けられてきていたことを目の当たりに見て感じることができました

そのうち、今度は別のものを購入してみようかなと思いました。みなさんもご賞味いただけたら、新鮮で懐かしい味覚に出会えるかもしれませんよ

 

   

ロビーに飾られた生け花。    県庁入り口から見たロビーの手前の様子

                         

県庁入り口のそばの松、松葉の美しさに感激!          県庁入り口そばの白萩!


仙台育英優勝おめでとう!! ありがとう!!

2022年09月11日 | 紹介

 昨日(9月10日)の一番町のアーケード内の横断幕です。

本当は、全国高校野球選手権大会の深紅の優勝旗の写真をあげたかったのですが、できなくなりました。

藤崎本館で9日、10日、11日の三日間 優勝旗等の披露が行われていました。

その優勝旗の写真をぜひ、皆さんにご披露をと思い、昨日12時過ぎに藤崎に行ってみました。

すると、一番町側の入り口に大勢の人の塊があり、並んでいます。「もしかして....。」 と思いながら、並んでいる人に何の行列か尋ねると、案の定「優勝旗の展示の列です。」とのこと!

横に7・8人は並んでいそうな込み具合で、しかも後ろを見ると、次の入り口を空けてその後ろにまた大きな人の塊が....。そちらに行ってみると、さらにさらに大きな塊の列は続いています。整理しているスタッフの人に尋ねると、6百人ぐらい並んでいて会場に入れるのは3時間後くらいとのこと!

「ひえーーーッ」と心の中の叫び!! 聞けば北海道から来ている人もいるとのこと。

「うーーん、そうだったのか。」と自分の甘い考えに気づいたのでした。

「3時間も立ちっぱなしで待つのは身体のさわる。老人?にはきつい!」と思い、帰ることにした。そういうと、スタッフの人は「そう言って帰る方も多いですよ。」とのこと。「そりゃそうでしょうね。」と納得。朝は何時から並んでいたのか聞くと8時半とのこと。お店は10時開店だから1時間半待ったということですね。

ならば、明日の朝にチャンスが.....!とは思って去ったのですが.....。

 

その日はちょうど久しぶりの晴天でしかも3年ぶりの定禅寺ジャズフェスティバルも催されていて、街はお祭り気分!

あちらの店もこちらのレストランも順番を待っている人達....。

せっかく久しぶりに訪れた仙台中心街でしたが、賑やかな街並みをさっさと急ぎ足で帰途につく私でした。

 

それにしても、この優勝旗の行列を目にして、物の価値というものは、人の想い(思い入れ)によって重みが違うものなのだとつくづく感じさせられました。

私のように、「今年も甲子園の高校野球の季節がきたか」程度の認識での優勝旗見学に来るミーハー的なファンもいれば(写真を撮りたかったのですが)、優勝旗を直に見て涙ぐむ方や北海道から駆けつける方にとっては、その優勝旗に込めた想いがとてつもなく大きく胸に響く一生の宝?のような価値を持っているのかもしれません。

そして、そのような想いを持っている人は幸せな人なのではないかと思いました。

優勝旗ではなくても、そのような大切な想いの籠ったものを持っている人はきっと人生の中であるもの(こと)に夢中になって満たされた瞬間を深く味わったのだろうと思いました。

 

そんな訳で残念ながら皆さんには全国高校野球選抜大会の深紅の優勝旗の姿はお見せできず残念です。

 

今年の育英高校の甲子園での試合は、いつものようにあまり勝ち進めないのだろうと思っていた私でしたが、2回戦からのあまり危なげない勝ち進み方でした。良いピッチャーの人数が多いからかな等と思っていましたが、まさか決勝までいって、あのようなすごい(満塁ホ-ムラン)勝ち方をするとは思ってはいませんでした。

しかも、試合中も無理や力みが感じられず自然体で力を出し切っている印象を受けました。

優勝旗の白川越えを目指しあと一歩というところで逃してしまった2・3の試合は今も記憶に残り、東北のチームが優勝することが如何に難しいのかを感じさせられていたのに、今回は危なげなく勝ってしまいました。

でも、須江航(わたる)監督の言葉やそれまでの練習の進め方、生徒たちへの指導や取り組み方の話を聞くにつれ、この優勝が決して偶然ではなく一つの理想的な指導が積み重ねられた結果なのだと分かりました。

 

優勝直後のインタビユーで語った言葉は普段の優勝インタビューでは聞かれなかった内容がたくさんありました。

インタビュアーの

ー初優勝おめでとうございますー に対して

「宮城のみなさん、東北のみなさん、おめでとうございます」

これが第一声でした。

私たちに対してのお祝の言葉です。

普段だったら「有難うございます」となるところだと思いますが、全く違い新鮮でした。

東北の人たちの待ちに待った優勝旗だったことを強く意識していたからだと思いますが、それだけ多くの人の想いを背負っていた強い気持ちの表れなのでしょう。

 

ー今年の3年生は入学した時から、新型コロナウイルスの感染に翻弄されてきました。それを乗り越えての優勝。3年生にどんな言葉をかけたいですか。ー

に対しては、

「入学どころか、多分おそらく中学校の卒業式もちゃんとできなくて。高校生活っていうのは、僕たち大人が過ごしてきた高校生活とは全く違うんです。青春って、すごく密なので。でもそういうことは全部ダメだ、ダメだと言われて。活動してても、どこかでストップがかかって、どこかでいつも止まってしまうような苦しい中で。でも本当にあきらめないでやってくれたこと、それをさせてくれたのは僕たちだけじゃなくて、全国の高校生のみんなが本当にやってくれて。

 

例えば、今日の下関国際さんもそうですけど、大阪桐蔭さんとか、そういう目標になるチームがあったから、どんなときでも、あきらめないで暗い中でも走っていけたので。本当に、すべての高校生の努力のたまものが、ただただ最後、僕たちがここに立ったというだけなので、ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います。」

という温かい言葉を語っています。

    (インタビューの文章抜粋は「朝日新聞デジタル2022年8月22日掲載より」)

 

とても後味の良い今年の全国甲子園選抜野球大会でした。

写真は、市役所正面の横断幕

この記事は書き始めたのは9月11日でしたが、書き終わったのは13日でした。そういうわけでupした日は優勝旗披露の日程が終わって2日ほど後になります。ご了承ください。

 


2022 仙台七夕まつり

2022年08月03日 | 紹介

 

   

 

やっと、3年ぶりに「仙台七夕まつり(協賛会主催」が6~8日に開催されます。

そんな時、用事で郵便局に行ったところとても綺麗な七夕祭りの記念切手が目につきました。なんでも、毎年新しい「仙台七夕まつり」の切手が発売されているのだそうです。

今年の切手は上の写真のものです(曇りの時に撮影したので色がぼんやりしています。後で良い写真に差し替えたいと思います。差し替えたのですが。あまり変わり映えしません。何故かな.....?)

日本郵便東北支社の発売で、1シート84円切手10枚で1330円。仙台七夕まつりの飾りつけ審査で入賞した作品や、地元の子どもたちが作った飾りをデザインしたとのことです。

仙台市内の一部の郵便局で販売しており、準備した700シートがなくなり次第終了となるそうです。

台原郵便局ではまだ2シート位あったので購入できました。

 

・・・・・・・・・

仙台中心部のアーケード街を彩るのは例年の7割強に当たる222本の七夕飾り。新型コロナウイルスによる売り上げ減などから参加を見合わせる店があるものの伝統文化の継承を願って初めて飾りを出す企業もあり、これまで通りの内容が確保されそうだとのことです。

地元の大手企業「アイリスオーヤマ」は「3年ぶりの通常開催」を応援しようと、クリスロード商店街の一角に初めて大型飾りを出すそうです。テーマが「生命の輝き」社員が来場者が元気になるよう明るい基調の意匠を考案したとのこと。

その他、子どもたちが作った「子竹飾り」が一番町4丁目商店街に設置されるなど、子どもたちの願い事も飾られるそうです。

発売を記念して東北支社から切手を贈られた協賛会の会長は、「立派なデザイン。七夕切手が貼られたはがきが全国に広がってほしい」と述べたそうです。(河北新報8月2日の記事より)

・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が買った切手はどなたへの手紙に貼られるのでしょうか?若かりし頃に比べると手紙を書くことはめっきり?減りました。届いた手紙に貼ってある記念切手を眺めておしゃべりしたころが懐かしい気がします。

この記念切手で仙台の魅力を伝える機会があったら嬉しいものです。

 

今年はどんな七夕飾りが見られるのでしょうか?

ちなみに昨年はコロナ禍のため、七夕飾りの展示だけの「七夕まつり」でした。

飾りは手が届かないように、上の方でひらひらと風にそよいでいました。

 

これが昨年の七夕飾り。

 

今年の七夕飾りが楽しみです。

 

 

 

 

 

 


「毛利コレクション」石巻市博物館の展示

2022年04月14日 | 紹介

 囲炉裏の部屋のイラスト2

 

                         絵はイメージです。

 

 以前、石巻市博物館についての記事を載せたと思いますが、その博物館の一角に展示されている毛利コレクションについて、2月1日(金)の河北新報で紹介されていました。

(以前(60年くらい前)に石巻に住んでいた方は住吉の方にある毛利コレクションという言葉を聞いた方があるかもしれません。

 私は中学生の頃、バスケットシューズを購入する時に「毛利運動具店」というお店で購入したように思いますが、苗字が同じで住まいも住吉なので親戚なのでしょうか?)

 

 その毛利コレクションの一部が開成地区の市博物館に展示されているとのことです。

 毛利コレクションとは、石巻市の石巻信用金庫の理事長を務めた毛利総七郎(1888~1975)が生涯にわたって集めたもので、江戸期から昭和初期までの庶民生活を伝える10万点を超える収集品です。

 その存在は戦前から国内外の専門家に知れ渡りました。刀剣、つば、甲冑、家具、和紙、染織といった分野の知の探究者たちが収蔵品を見るためたびたび石巻を訪れ、学術的な価値の高さを物語っているそうです。

 

 毛利総七郎は石巻の素封家だった毛利家の父里総治、母たねの次男として生まれた。少年時代に石巻市の内湾、万石浦近くの沼津貝塚で矢尻を見つけ考古学に興味を持ち、その後多方面にわたる資料の収集に没頭するようになったそうです。

 硯と筆を一つに収める携帯筆記用の矢立、印鑑や巾着に付ける根付、きせるなどの喫煙具。医薬品やマッチのラベル、江戸期以降の引札(ひきれい、広告チラシ)包装紙等々....。

 

 膨大な収集品は毛利の死後遺族が管理し、2010年10月に石巻市へ寄贈されました。

 保管先だった旧石巻文化センターは東日本大震災の津波を受けて取り壊されましたが、1階にあった収蔵品は扉を頑丈なものに交換したばかりだったので浸水は床上2センチほどにとどまり、収蔵品は被害を免れたとのことです。(なんてラッキーだったのでしょう。)

 2月1日には国立アイヌ民族博物館の3人の学芸員が訪れ、毛利が集めた710点を調査し、一人の学芸員は「個人が収集したアイヌの資料としてはめったに見られない多さだ」と言っていたそうです。毛利が残した多くの書簡から買い付け時期や経緯が分かる点が貴重だということです。

 民族博物館は今秋に全国のアイヌコレクションを紹介する展示会を開く予定です。研究学芸部長の藪中剛司さんは「もっと多くの人に知られれば新たな発見につながる」と、毛利コレクションが秘めた価値を評したそうです。

 

 今回の記事により、以前耳にしていただけの「毛利コレクション」について少し詳しく知りました。展示を見たら素人の私でもきっと新しい発見があることでしょう。そのうち訪れてみたいと思いますが、次々に姿を変えるコロナウイルスや頻発する地震等々で、.なんとなく出鼻をくじかれるこの頃です。世界情勢も気になり、なんとなく落ち着きません。

 

そんな騒がしい世の中でも、桜はいつものようにこの春日本各地で咲いていて心が和みます。仙台は今が満開です。昨日一昨日と真夏のような晴天と暑さの中、西公園は随分にぎわったようです。

 落ち着いた情勢の中で、じっくり「毛利コレクション」を鑑賞する日がくると良いと思います。

 

 ※ 余談になりますが、旧門脇小学校も4月3日から公開が始まりました。校舎内部には入らず、鉄筋3階の外部通路を設け、校舎内を間近で見学できるようになっているそうです。これもその内見学に行ければと思っています。

 下の写真は現在の宮城の春の様子の一部です。ついでに紹介させてください。

 

 

 

 

 


「石巻学 6号」が発売されています

2021年09月17日 | 紹介

     まとめ】海のフリーイラスト素材集|イラストイメージ

どんぐりさんからお便りが届きました。

以下に紹介いたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『石巻学』6号紹介

『石巻学』6号が刊行された。特集は「海を渡った人々」。

石巻と言えば、遠くに・迅速に・大量に、という運送手段がまだ船しかない時代の、仙台藩や北上川を利用する南部藩などの米の積出港として、海の要衝だった。

この地に生まれ育った男で毎日海を見ていれば、海の向こうに何があるか、国内であろうが国外であろうが、海を渡って違う土地に行ってみたい、今と違う人生を生きてみたいという夢を抱いたに相違ない。

まあ、単純には言えないだろうが、鉄道や自動車や飛行機が日本中をくまなく結ぶようになるまで、日本の各港と、どんな国かはわからないが海の向こうの世界と、つながる可能性があったのが石巻の港だった。

海にはロマンがあった。たしかに板子一枚下は地獄だが、石巻の男なら、一度は海に漕ぎ出してみたいと思ったことだろう。女性は絶対思わないだろうが、女は女でそんな男に魅力を感じたことだろう。

 

新田次郎が著わした『アラスカ物語』の主人公フランク安田は海を渡った成功例の典型だろうが、誰もが成功するわけではなく、途中で挫折したり、海で亡くなった人のほうがはるかに多いと思われる。

また若宮丸で遭難してたまたまロシア船に助けられ、望まなかったにもかかわらず世界一周して戻ったり、かの地に住み着かざるを得なかった乗組員たちもいる。

支倉常長は伊達政宗の命を受け、遣欧使節としてスペインの王やローマ教皇に謁見しながら、帰国後は不遇のうちに亡くなっている。

この本には、石巻をめぐる海の男たちの人生模様と、海にこぎ出たあとの余波と言おうかその後の周辺の話を知ることができる。

うまく海にこぎ出ても、未知の世界はさらに困難が待ち受けていたのは当然で、困難に、あえて石巻から船出する人たちの物語は、読みだしたら最後までひきつけられて、途中で気を抜けない。一気に読んだ後は人生をいくつも経験したような疲労感が残る。男たちと一緒に、何度も海に漕ぎ出るのはかなり疲れる。

しかしそれだけ読みごたえがあった。

私個人としては、幕末に蝦夷地に向かう開陽丸が石巻の海の水平線に見える姿を何度も連想する。北海道という新天地に、なんらかの活路を見いだしたいと石巻(折浜)に集結して乗り込んだであろう、敗残の兵となった幕府軍の人々を、開陽丸が乗せたという歴史が強烈に印象に残り、それらの人々の一人一人の人生模様を知ることができないだろうかと興味をいだくのだが……。

たかだか北海道の箱館では海を渡った人たちにはなり得ないだろうが、それなりに北の新天地を目指した人々ではあった。

番外編で誰かに書いてほしかったなあ。細かい記録がないだろうから難しいか。

 

それでは本の主な内容を列挙しておこう。

 

日本の漂流記について……吉村昭

紺色の衣服の行方

石巻若宮丸漂流民の会二〇年の‶航路″

極北アラスカ フランク安田残照

ハワイに渡った元年者、牧野富三郎

希望と絶望と鎮魂の航路―三度、大海を渡った高橋英吉

北洋漁業の大恩人平塚常三郎

慶長遣欧使節のドラマをいま

阿部豊―ハリウッドに渡った男

加藤九祚半生を語る—シベリア大学、出会い、そして石巻

ホヤパイ、海を渡る

船乗り人生を振り返る

 

このほか、連載ものの本間家蔵出しエッセー⑥の「祖父のアメリカ日記」は、日記という本人直筆の資料で構成されているので、状況がよくわかって、興味深かった。

 

連載はほかに、

石巻さかな族列伝⑥

岡田劇場物語⑥

 

『石巻学』6号

2021年8月20日発行

発行=石巻学プロジェクト(代表・大島幹雄)

発売=(有)こぶし書房

定価­­=(本体1500円+税)

本は、本屋さんでもネットでも直接大島さんでも買えます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どんぐりさん、ありがとうございます。

この紹介文を読んだだけでも、いろいろなことが頭に浮かんできました。

 

私たちも海を渡らないまでも、海に関する体験をたくさんして来ています。

遊覧船に乗って潮風に当たりながらの旅(?)はいつもワクワクドキドキしていました。

青い大きな海は身近で魅力的でした。そんな海に漕ぎ出した強者(つわもの)達の話はどんなでしょうか?私も読んでみたいと思います。

                            かわいい太陽と海


「仙台せんべい 小萩堂」

2021年08月29日 | 紹介

 

上の左写真は、おせんべいです。上は仙台七夕の絵が描いてあり、下は大崎八幡宮の絵が描いてあります。

 

先日、いつものようにお花を買って有料駐車場に向かっていた時、いつもは視界に入っていなかった一つの看板が目に入りました。(この手前の方向から歩き、店の手前が駐車場で、お店は目立たなかったのですね。)

「たばこ」とその上の「仙台せんべい 小萩堂」という看板です。(小さすぎますが写真中央上の部分です。)

 

お店とは気づかないような一昔風(?)の普通のお家のような設えです・「仙台せんべい」という言葉につられて入ってみることにしました。

店内にはいると、どうやらたばことせんべいしか扱っていないようです。

店内はなんとも自分が子ども(幼児)の頃にタイムスリップしたようなレトロな雰囲気。

 

金魚鉢のように透き通った入物に、これも昔懐かしい形や色のせんべいが入っています。

 

最初の絵柄の他に、「仙台城」「政宗」「萩」等があります。

 

味噌せんべいやイカせんべい生姜せんべい、小豆せんべい等々....。味も形も様々です。

「ビンズせんべい」という豆がたっぷり入ったものもありました。

  

 

写真2枚はビンズせんべい        次の写真  左上は生姜せんべい(甘辛く美味しかったです。)

 右上は小豆せんべいかな?(これもちょっと甘くて美味しい。)

 

いろいろ買って食べてみました。添加物のあまりなかった頃の素朴だけどしっかりした味がして食べ応え満点、後味も良いので気に入りました。

シニアのおやつにも良さそうでお土産にもよさそうです。

 

ちなみに、2回目に来店した時に応対した奥様(?おばあさん?)の話によると、このお店は100年も続く老舗で今でもせんべいは自分のお店で焼いているのだそうです。(せんべいとはいっても食感は普通の味噌せんべいのようにわりと柔らかめなのです。)

自宅工場だから豆いっぱいの「ビンズせんべい」もできるんですね。

 

そして、なんとこの方は石巻出身で門脇小学校・門脇中学校の卒業生だったのです。私たちよりちょっと年上です。中学校では入れ違いという感じです。

門脇や南浜町の道路が随分変わった話などをしました。

世間は狭いですね。

 

ところで、中でもびっくりしたせんべいは、

 

 

このせんべいです。ケースの表に「憲法9条せんべい 1項 2項 読めます。  5枚入 150円」と書いてありました。

そしてせんべいを出すと、上右の写真のようにせんべいに印字してあります。

ちょっと読みにくい部分がありますが大体は読めます。

このお店のご主人の思いがこもっているのでしょうか?

 

ウサギの暖簾が可愛いです。

 

 

というわけで、知っている仙台名物が一つ増えました。ネットで調べると「仙台せんべい」として、カレーせんべい等いくつかが紹介されていますが、パッケージからしてもおそらく味は小萩堂の方が添加物などが少なくせんべい本来の味がしているのではないかと思います。そして面白いです・

 

場所は宮町で東照宮の近くです。   青葉区宮町3-8-10     ☎  022-2223569

                  営業時間   7:00 ~ 19:00      です。

 

 

余談ですが、東照宮では、毎月第4日曜日に「仙台 古民具 骨董市」を開催しているとのこと。ちょっと興味あります。

 

まだまだ仙台の古き良きものがあるのですね。歴史ある地域ですものね。

 

下の写真はショウウインドウ?手細工のものが飾ってあります。