石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

「震災から早6年ということは、母と暮らして5年半…… 」  どんぐりさんからのお便り

2017年04月29日 | お便り

 

       どんぐりさんのお母さんのホームでの様子    一番下の写真は節分の時の鬼の出現の様子のようです。

 今年は、東日本大震災から6年経過という年です。大震災以来、日本ではそれまではあまり考えられなかったような天災等が次々に起こっています。それぞれが思いがけない事態に遭遇して以来、平穏な暮らしにもどるようにと日々努力が続けられていることを私たちは時に忘れていることもあるかもしれません。

 どんぐりさんのお便りは、そんな日々の暮らしの一面を知らせてくれました。

 私たちが子どもの頃、気軽に笑顔で声をかけてくれていたどんぐりさんのお母さんのこの頃を綴ってくれました。

 以下に紹介いたします。

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 震災から6年がたった。ということは、父ががんで亡くなって、石巻から東京に母を引き取って一緒に暮らして5年半になるということだ。あっという間だった気がするが、5年半というのはけっこう長い。 

 今年で母は90歳になった。石巻から出たことがなく85年を過ごし、年を取ってから全く違う土地に住んでいるわけだ。我が家に来て最初の頃は、石巻に帰るとしたらどこでどう生活するかという話をしていたのは3年くらい。温泉地や旅行にも一緒に行ったが、すぐ行ったことを忘れるから、どれくらい楽しい思い出になったのかはわからない。

 石巻の実家を取り壊してからは、帰りたいとはあまり言わなくなった。帰る場所がなくなったからかもしれない。石巻のきょうだいにも電話しなくなった。

  次の1年間は、脚を交互に骨折して、救急車で運ばれ、手術・入院2カ月、リハビリ入院3カ月を繰り返した。入院するたびに認知症が進んで、昔の時代に遊んだりしている。

 その次の1年は、私も意地でも元気に過ごさせたいと思ったし、母も一皮剥けたように生活を楽しんだ。都合の悪いことはみな忘れて、青春の頃を思い出しつつ結構楽しく過ごしている。 

 石巻で昔遊んだ友だとか、一緒に仕事をした人だとか、ちょくちょく話に出てくる。そんなわけないだろうと、私は母の意識を現実に戻そうと話の腰を折るのだが、全然負けてはいない。認知症の人の話を、現実に引き戻さなくてもかまわないそうだが、娘としてはあまり認知症を認めたくはなくてよく母の話を否定する。厳しい娘になる。 

  デイケアに行くのが一番の楽しみという母であるが、私としてはやはり行動にだんだん制約がかかり、あまり出歩く気にはならない。まあでも、人より行動しているほうかな。 

 東京に来て、片目だけ白内障の手術をした。もう片方は黄斑変性症で、手を付けられないとのこと。いろいろ病院を代わったが、3回目の病院で手術をしていただいた。石巻にいたら手術はできなかっただろう。これだけは母を呼んで一番親孝行できたことだったと思っている。

  震災がなくても、母を引き取っていたと思う。でも、震災がなければ石巻に思いを残すことはなかっただろう。震災後の石巻には思いが残る。母が同じ家に居るかぎりは、毎日石巻を気にしてぶら下げて生活している気もする。石巻の母のきょうだいたちは今どうしているだろうかとも気になる。  

  母にたずねると、今は刺激が多くて楽しいという。デイケアに行くのが家にいるよりずっと楽しいという。ほんとうにデイケアの若者たちはよくやってくれて、感謝である。いろいろ介護の問題も見えてくる。母の世話をしなかったらわからなかったことだ。 

 この調子だと母はどんどん90歳を更新して長生きするだろうと、夫と話している。今は自分のことは自分でできているが、できなくなるのはいつ頃だろうか不安ではある。  

 石巻を離れて5年半、90歳の母は結構明るく楽しく毎日を過ごしている。

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 どんぐりさん、ありがとうございます。

 東日本大震災後に、お母さまを自宅に引き取って一緒に暮らすようになった方は、たくさんいらっしゃいます。今では高齢になられている方も多くいらっしゃいます。友達の話を聞くと、どんぐりさんと同じようなことをよく話しています。親子の姿というのは、年月とともに変わっていくのですね。それが親孝行の姿なのかもしれません。たまには?厳しくしたりというのも実の親子だからなのかもしれません。

 どんぐりさん、お疲れ様です。お母さまを大事になさってください。お母さまも安心なさっていることと思いますよ。


ジョー君便り   メロリンさんから

2017年04月15日 | お便り

 

 

 ジョー君便りの第4弾?が届きました。UPがちょっと遅くなってしまいました。ごめんなさい。

以下、お便りです。

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 ジョービタキのジョー君は冬の渡り鳥です。今シーズンが到来して今回で三年目の冬、昨年の11月上旬に三度目の飛来を見せてくれたジョー君を見て涙が出るほど感動を覚えました。

  ジョー君がなぜジョー君なのかと言うと、ジョー君の鳴き声が丸こくて金属音のような澄んだ声である事と、いつものテラスの窓に飛びげりをする事でジョー君がジョー君だと特定することが出来るのです。が、今回はいつものジョー君の様子とは違いました。 

  森が減り施設や広い大きな駐車場ができ、ジョー君の寝床だった藪地の雑木も伐採され、ジョー君はいつもの寝床に帰って来なくなりました。環境が変わり過ぎたようです。残念で仕方がありませんでしたが、私はいつもの生活で石巻の実家へ行ったりで留守も多く、ジョー君の寝床を探す事もせずにいました。

 こんな小さな野鳥の寝床が解るわけもない。途方もない事…。そう思っていました。それなのに、まさかジョー君の寝床を知ることになるなんて。

 3月16(木)この日、心の思いが天に通じたような嬉しい出来事がありました。 

 (いえ、そんな大袈裟な事ではなく、ほんの些細な事ですが) 

 近頃では、行動範囲が変化したジョー君はたまにしかうちへやって来ません。以前は毎日何度もやって来ていました。ですから、ジョー君が庭へ来た日はとても幸せを感じるものです。

  「♪君と会ったその日から、なんとなく幸せ。こんな気持ち初めてなのさ。別けてあげたいこの幸せを。なんとなく、なんとなく、なんとなく幸せ♪」井上順さんのこの歌覚えてますか?懐かしい歌。この歌ジョー君にピッタリ。 

 

 それは3月16日の夕方の事でした。

 

  それは3月16日(木)の夕方の事でした。夕食の仕度にと土に埋けてある泥ネギを取りに庭に出てしゃがんだ時の事、背中の後方でピンピンピンピンとカン高いジョー君の声がする。久しぶりのジョー君の声。思わず振り返りました。いつもの声よりもひときわ大きく響く声で、まるで金属棒を金槌で叩くような声。どこで鳴いているの?どこだどこだ、ふと電線を見上げる。いない。屋根にもいない。庭木?まさかこんな近くに?あっ、いた、いた。尻尾が動いた。尾羽根が縦にチョンチョンと揺れる。かわいい。元気そう。その時、倉庫で作業中の夫が二三歩歩いて動いた姿に驚いて、ジョー君は小枝で逆上がりを見せて飛び去った。倉庫ではラジオの音が大きく、夫はジョー君には気づかなかった。私は夕食の仕度を投げ出してジョー君のあとを追いかけた。 

「♪追いかけて、追いかけて、すがり付きたいの。あの人が消えて行く、雨の曲がり角♪」ザピーナツ笑。 

 ジョー君は自分の羽でスーッと飛んで行く。できることならば私も一緒に飛んで行きたい。が、私は年老いたこの二本の足でモタモタと追いかけた。それでも駈け足なのか?なんだか遅い。心は逸る。焦る。ジョー君は裏の北側に飛んだ。そこには約二千坪程の畑地に二年前に出来たメガソーラーシステムがある。ぐるりと囲まれたフェンスの上にジョー君は止まっていた。あら、そこにいたのね。見つけた。あ~ぁしんど。まだ午後五時前。ジョー君はフェンスから飛び降りたり又飛び乗ったり元気に遊ぶ。エサでもあるのかな。まだ元気たっぷり。それから辺りがゆっくり暗くなり、だんだんジョー君の動きが鈍くなりました。そうしてジョー君はフェンスの上で体を膨らませてじっと動かなくなりました。しゅんとして静かに休んでいる様子。シャッターチャンスがありました。フェンスの下は土手になっていて、その脇に道がある。右へカーブする細い道は舗装されている。家からは40メートル程の場所で杉の木立が長く続いていて藪もある。 

 ジョー君はその後、その藪の中へ入って行った。つまり、そこが寝床らしい。?んっ?私は今日ジョー君に導かれたのかしら。思いがけず、偶然にジョー君の寝床を発見出来ました。嬉しい発見でした。 

ジョー君お休みなさい。有り難う。 

 次の日もその次の日も朝晩私はジョー君に会いにフェンスに行きました。 

 写真は3月18日の夕方にシャッターチャンスをとらえたものです。フェンスの上に膨らんだジョー君がいます。ズームして見て下さいね。

 ジョー君はいつもそこにいました。楽しい日々でした。 

 最後にジョー君を見たのは3月20日の事でした。朝、もう今日はいないだろうかと思いながら歩いていくと、いつものフェンスにジョー君がいるではないか。(あら、まだいたの)と心の中で呟いたとき、ジョー君はびくっとしました。 

 その日が最後でした。21日は一日中本降りの雨ばかり。会いに行きませんでした。22日はもう会えませんでした。あヾ行ったなぁ。下界は雨でも雲の上は日本晴れ。風を読み、気流に乗って日本海をひとっ飛び。あんな小さな体で。又来いよ。又来てね。

 ジョー君が去って数日後鳥インフルエンザの発生ニュースがありました。ガッカリですね。とても不安です。 

 ジョー君が病原菌にも負けず、北朝鮮のミサイルや原爆実験にも負けずに、又元気にやって来ますように。来シーズンは今年の10月~11月でしょうか。

 

 取り合えず、フェンスの上にジョー君がいます。ズームして見てね。

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    ズームするとこうなります。フェンスの上にとまっているジョー君、みつけましたね。

 少し前のことになりますが、3月に確かに宮城県と千葉県で鳥インフルエンザ騒ぎがありました。宮城県では、なんでも鳥小屋の一部に小動物が通れるような穴があり、ネズミの糞もあったとかで、どうやらネズミが鳥インフルエンザのウィルスを持ち込んだようだとのことでした。それにしても、元は渡り鳥による感染なのでしょう。大変な世の中になりました。でも日本ではいち早く対策をとって、間もなく完全に収束しました。

 それにしても、ジョー君の存在は大きいですね。小動物が元気に過ごしていると、幸せな気分になります。家にも小動物のペットがいますが、その元気な姿を見たいがために現在動物病院の一日に3度~4度投薬を続けています。アレルギーがあるようです。

 来年も、ジョー君が来れるような自然環境であってほしいものですね。