石巻白梅ししの会便り

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 【特集】  生きている髙橋英吉『石巻学VOL8』・・・どんぐりさんからのお便り 

2023年10月22日 | 紹介

                                           

どんぐりさんから またまたお便りが来ました。新刊本『石巻学VOL.8』に掲載されている石巻出身の彫刻家「高橋英吉」の特集記事についての内容です。

以下に紹介いたします。

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〈新刊本紹介〉

『石巻学VOL.8』

【特集】生きている高橋英吉

 

2023年8月に刊行された『石巻学VOL.8』の特集は、「生きている高橋英吉」。丁寧に調べて書かれた原稿は、それぞれ読み応えのある充実した内容だった。

 

目次に並んだ原稿の書き手とその内容が、それぞれ的確であったことは、読んでみての第一の感想だった。恐らくこれまで高橋英吉を描いた書物としてはあらゆる角度から高橋英吉の時代と人を、そしてその後を取り上げていて、秀逸だろうと思われた。

作品の紹介は、見つかったときの状況など詳しかったが、美術としての評価にはあまり触れていない。これは美術評論家ではない筆者たちがあえて踏み込まないで、個人の評価にゆだねたからなのだろう。そう、人によって抱くイメージが違うだろうから。そしてこの若くして戦死した彫刻家は、生きていればどんな方向に花を咲かせていったか、その可能性まで見透かして語ることのできる人はいないということでもあろう。

もっとも、これまで高橋英吉だけを取り上げた書物がどれだけあったかは知らない。戦没画学生の1人として、または新聞記事として著わされたものが多かっただろうから、高橋英吉のエピソードというのは、これ以上は新しく見つからないだろう。これからは残された作品たちに語ってもらうほかはないだろう。

 

                                                     

                                        写真は、高橋英吉のコーナー  潮音 (海の三部作)

 

私が最初に高橋英吉を知ったのは、『祈りの画集 戦没画学生の記録』安田武・宗左近・野見山暁治著を読んで、だったような気がする。その本を手に入れた頃だから1977(昭和52)年頃のことになる。志半ばで戦場へ赴かなければならなかった画学生たちの遺族を訪ね、作品を借りて展示会を開こうとする3人の取材記が、戦没画学生の作品と、作品が生まれた背景、画学生その人を語っていた。

高橋英吉については評論家の宗左近氏が石巻を訪問、関係者に会って取材していた。ズンズンと心に迫る宗氏の文章が、英吉の彫刻に触れた感動を生々しく伝えていて、その文章に圧倒されたことを覚えている。宗左近氏が感銘を受けた英吉の作品を見てみたいと思ったが、それから20年以上たってから長野県上田の無言館ではがきを見たほかは、石巻市博物館ができるまで彫刻を見たことがなかった。

『祈りの画集』から46年ほどを経て、今また珠玉の英吉本が出来上がったというわけだ。さて今度の『石巻学』でどれだけ熟成された英吉像を構築しているか。それは読んだ方たちの読後感になるわけだが、読んでから石巻市博物館で英吉作品を見るか、見て知っているから本を読むか、どちらにしても英吉の作品に触れ、その魅力を知ったら、英吉作品を見る楽しさが倍増すると思う。

50年前なら「戦没画学生」という戦没者への哀惜の念が作品の評価に加わったかもしれないが、50年もたつとそういう世相も感情も薄れて、時代を超えた作品として見られるかどうかで評価をあおがなくてはならない。英吉の作品はそれでも人の心を揺さぶるか?

博物館で相対して、じかに問ってみよう。

 

『石巻学VOL.8』

特集 生きている高橋英吉

目次

海と仏像―高橋英吉小伝  大島幹雄

高橋英吉の手紙―石巻市博物館蔵「高橋英吉資料」をひも解く   泉田邦彦

石膏像との出合い  鈴木哲也

戦場からの絵ハガキ  大島幹雄

高橋英吉のガ島戦  天谷裕道

熱かった英吉顕彰運動  鈴木孝也

魂の格闘から生み出したレクイエム「潮音〈海の三部作〉」  本庄雅之

時の余白に    芥川喜好

こころの版画家 高橋幸子  大島幹雄

お月さま  佐々木眞理子

高橋英吉作品一覧  石巻市博物館

ほか略

 

                                                                                                                                               

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どんぐりさん、ありがとうございます。

髙橋英吉については、今年(2023 令和5年 9月22日)の河北新報の記事にもありました。

「石巻出身の彫刻家」「高橋英吉の木彫童子どこへ」 「遺族 原型石こう像を市に寄贈」『「仙台西島蔵」手がかり 』  

という見出しです。

「石巻学VOL.8」の表紙の像は石膏像で「童子和音」の原型とみられているのですね。

高橋英吉が子どもの頃から美術の才を示し、東京美術学校(現在の東京芸術大)で彫刻を学び将来を嘱望されたが、太平洋戦争に召集され、31才の若さで戦死した。石巻市の市博物館ではその作品は所在不明も含めて計76点の木彫り作品を把握しているそうです

英吉が作成した作品リストの中の一つ「童子和音」があり名称の下に「昭和15年9月作 仙台西島蔵」とあり、詳細は不明とのこと。 

 

市博物館がオープンした一昨年秋、英吉の長女幸子さん(82歳)から高さ47.5センチの石膏像の寄贈を受けた。像は戦時中、知人宅に預けられ2011年に返却されたとのこと。

英吉の業績を調査している鈴木哲也さん(55歳)はそれが「童子和音」の原型ではないかと助言したとのこと。英吉の作品作成の方法が 石膏像作成の後木像を完成させるスタイル。調査の結果、その可能性が高いことが分かったとのことで、石膏像には「笛ふく童子」とタイトルをつけて市博物館に展示しているとのこと。

鈴木さんは「仙台の西島さん」宅に今も木像が飾ってあるかもしれないと発見を期待しているそうです。

市博物館の学芸員泉田邦彦さん(33歳)は「『童子和音』が見つかれば調査が進むことになる。情報があれば博物館に連絡をしてほしい。」と  呼びかけている。

ということでした。

 

石巻が少しずつ文化的な部分が増えてきているいうに思います。

市博物館は旧石巻のはずれの方にあるので、たまに石巻に行ってもちょっと行きずらく残念なのですが、行かないのはもったいない気持ちになりました。

どんぐりさん、ありがとうございました。                

 

※ 今回、原稿からのコピペがいつものようにうまくいかず苦労した結果、一部フォントが違ってしまいました。でも、このくらいがとりあえず読みやすいのではないかと考え終わりにしました。

pcの世界はミステリアスです。

 

 

 

 

 

 


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