石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

穴の向こうには何が...!? ・・・・・「石巻の芸協」 ・・・

2020年06月25日 | ニュースから

                     (この写真はイメージです。)

この穴の大きさは直径4㌢。

この穴を覗く人は1人。

時間は3分~10分。

覗けるのは午後1時~5時。

期間は6月中旬から7月26日までの毎週日曜。

1時間当たり1~3回。

会場  「石巻のキワマリ荘」

入場無料。

要予約 連絡先は「石巻劇場芸術協会」 ☎ 090 (3983) 2121

 

   河北新報(令和2年6月23日)で面白い企画の舞台上演のニュースを見たのでお知らせします。

 

 現在国内では、新生活様式として「三密」を避けることが前提の生活になっています。

 石巻にもコロナ禍は襲っています。

 そこで、それを逆手にとって企画されたのが「覗き穴劇場」です。

 「穴から見る新たな演劇」と題しての記事です。

 

 市内中心部にある木造2階の民家を改装したアートスペース「石巻のキワマリ荘」において、4畳半の部屋に木製の仕切りを置き、観客は仕切りに開けた直径4㌢の穴から舞台を覗く。(つまり、穴の向こうは舞台で演劇が行われているのです。)

 観劇可能人数は1公演につき1人。上演作品も1人芝居か2人芝居で、時間も3~10分と短く設定することで、長時間の密集や密閉を回避します。 

 期間中計4作品の上映を予定しており、作品紹介の意味も兼ねて事前収録した動画を、上演1週間前からオンラインで配信します。

 6月14日の上演作品は「忌(き)」で東日本大震災の石巻で暮らす夫婦の日常生活を表現した戯曲で、当日が初演。事前動画とは展開を変え、生の舞台の魅力をあらためて感じてもらえるように工夫を凝らしたそうです。

 新たな試みに挑戦した出演女優の三国裕子さん(69)は、「コロナのため舞台ができず打ちひしがれていたが、思いがあれば伝わるという演劇の基本を実感した。新しい手法で表現の場をつくってくれてありがたい」と話していたそうです。(三国さんはたしか白梅の私たちの同級生です。頑張っているのですね。)

 観客の反応としては、「最初は気恥ずかしかったが、役者の表情がはっきり見えてエネルギーが伝わってきた」とか「自分1人のために、大勢を前に上演するのと同じクオリティーで演じてくれて、ぜいたくだった」など感激した様子だったようです。

 石巻では2016年から、演劇で地域を活性化させる「石巻演劇祭」が開かれていて、今年も11月に5回目の開催を予定していたがコロナ禍で来年に延期にせざるをえなくなってしまったそうです。

 演劇祭に関わってきたメンバーが「石巻の演劇のともしびを絶やさない」と新しい芝居の形式を考案したのです。

 演出した矢口隆太代表はコロナの時代にできる演劇の可能性を模索したと語っていたそうです。

 

 「覗き穴劇場」の発想は新鮮ですよね。ちょっとスリルも感じるし、現在の状況ではまさにケガの功名のような思い付きだと思います。ナイスアイディアですね。

 石巻で以前開催されたリボンアートフェスティバルでの芸術作品の一つを思い出しました。(以下の写真)

 この楕円形のような形の物も作品として置いてありますが、表面の白く見える穴をのぞくと、

 中にこのような美しい模様の作品が見えるのです。

 

 「覗き穴劇場」の上演作品のオンラインでの紹介、そのうち見てみようと思います。

 みなさんも良かったらどうぞご覧になってみてください。

 

 

 


「2020東京五輪・パラリンピック」の副賞「ビクトリアブーケ」に被災地の花!!

2020年01月10日 | ニュースから

   

 ひまわり              バラ                 バラ

 

 新年おめでとうございます! 今年が皆様にとって良いお年になりますように!!

  また、世界中にとって良い年になりますように!!

 2020年、 令和2年、始まりました。

 様々な想定外や驚くニュースの多い昨今ですが、その中でも明るいニュースというのが、今年は「2020東京オリンピック」ということになるでしょうか?

 そして、復興オリンピックと言われた今年のオリンピックの具体的なことが着々と決定しつつあります。

 その中で、昨年決まった嬉しいことの一つに、大会のメダリストに副賞として贈られる「ビクトリアブーケ」が、東日本大震災の被災地3県の花が中心に使われると発表されたことがあります。

 宮城県からは、五輪用にはヒマワリ、パラリンピック用にはバラ。(初めの写真)

 福島県産のトルコキキョウ。 福島産のナルコラン

 岩手県産のリンドウ。 等々。

その他東京都のハラン  等を中心に作成される予定です。(写真はイメージです)

 

 副賞にブーケが採用されるのは14年ソチ大会以来で、記念品として自国に持ち帰るようにそれぞれに大会マスコットのぬいぐるみがとりつけられます。

 五輪用はミライトワ、パラリンピック用はソメイティの大会マスコットが取り付けられます。

 

 ちなみにソチ五輪までは基本的にブーケがつかわれており、16年リオデジャネイロ夏季五輪は、木製の記念品、18年平昌冬季五輪ではマスコットだったそうです。そしてセレモニー大会会場ではオブジェを渡したとのこと。

 そこまで気をつけたことはなかったけどいろいろ国によって工夫があったのですね。

 そういえば、日本でも初めは、何か日本らしいものということで焼き物が良いのではないかとの案があったようです。

 それが、被災地産の花中心のブーケとなったことは、今回のオリンピックの意味をよりはっきりと世界に発信することにもなり私たちにとっても嬉しいことです。

 

 

 ブーケ作成には、ブーケのデザインを提案した日本花き振興協議会も協力します。

 日本花き振興協議会の磯村信夫会長は、

「ブーケの花は東日本大震災の被災地で生産されている花を活用して制作することにより、震災に際して、世界の皆さまからいただいた温かい心遣いに対し、感謝の気持ちを伝えるとともに、被災地の皆さまへの励ましの一助になればと思っています。東京2020大会期間中、約5000個に及ぶビクトリアブーケを作成し、毎日の表彰式会場に確実にお届けするため、日本花き振興協議会は引き続き花き業界一丸となって取り組みを進めてまいります」とコメントしています。

 大会が始まったら表彰式毎にぜひ「ビクトリアブーケ」にも注目したいと思います。

 

 宮城県のオリンピックの競技会場としては、利府町の宮城スタジアムのサッカー競技場があります。

 利府駅から競技場までの道のりに、外国からのお客様のための「お・も・て・な・し」の企画をさっそく考え始めているようです。

 どういうことができるのでしょうか?良いアイディアが浮かぶと良いのですが...。「予算がどれくらいおりるのか...?」と関係者の方はおっしゃっていました。

 その頃利府街道はますます混むのでしょうね。

 

 昨年のラグビーワールドカップの試合会場となっていた釜石では、大型台風の直撃を受け、試合は中止になってしまったのですが、試合に参加するはずだった外国の選手たちが、あのがっちりとした逞しい身体で被災の後始末を手伝ってくれたのです。住民の方々は本当にありがたく心強く思っている様子でした。

 釜石の住民のある方は、外国の選手の皆さんにあげようと、手作りのティッシュケースをたくさん作っていて差し上げました。飾りもつけた手をかけ真心のこもったものでした(確か着物の生地で作ったものだったような気がします。)いただいた外国の選手の皆さんも珍しい日本らしいものを興味深く眺め嬉しそうでした。

 素敵ですね。

 でも、それは岩手らしい感じがします。

 宮城らしいおもてなしにはどんなものが考えられるでしょう???

 

 平和の祭典「オリンピック」。

 平和の中で開催されてほしいです。

 

 

 

 


「ツールド東北2016」開催!!

2016年09月16日 | ニュースから

 

 今回の写真は、○十年前の石巻市の渡波(当時は石巻市ではなかったかもしれません。)の海岸の松林の中でのキャンプ?の時の写真。

 当時はキャンプ場などがあったかどうかはわかりませんが、テントを張って何とか食べるものを作ればキャンプができたのでしょう。大した準備もせずに部活動の一環として海で泳いだり遊んだり...レジャーという感じでした。(マネージャーの方たちが一生懸命準備してくれたのかもしれません...。)

 そんな自然環境満点の景色の中を颯爽と自転車で駆け抜ける「ツールド東北2016」が開催されるのです。(今日開催されました。この記事を書き始めたのが昨日なのでちょっと時世の一致が崩れていたらごめんなさい。)

 コースは17日の第1日目が「牡鹿半島を一周するコース(100キロ)」だそうです。10人前後で走るとのことです。

 牡鹿半島といえば、私たちが若い頃に「コバルトライン」とか「ブルーライン」等の道路ができて、大いに観光コースとして賑わったものです。あの景色の美しさはおそらく現在も変わらないことでしょう。

 カーブを曲がって突然パッと広がる、陽の光を反射しながらきらきら輝く海の美しさは、今も忘れられません。

 晴れていれば、心地よい汗を流しながらその景観を満喫できるのですから、絶好のスポーツの秋となることと思います。 晴れなくても自然の中での自分の力を感じることのできる素晴らしい機会となることと思います。

 クローバーさん、覚えていますか?高校1年生の時、部活をサボって2人で女川まで自転車でツーリングしましたよね。あの時は疲れをさほど感じず楽しかったですよね。(翌日、部活の先輩からお説教されたけど良い思い出になりましたね。)

 2日目は、石巻~気仙沼間ライド開催です。(「気仙沼フォンド」、「南三陸フォンド」、「北上フォンド」、「女川・雄勝フォンド」「気仙沼ワンウェイフォンド」)

 2日目には、キャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使が復興支援の公務として、3年連続で参加をします。

 ケネディ大使は、5コースのうち、気仙沼市内から石巻の専修大に向かう気仙沼ワンウェイフォンド(95キロ)を走るそうです。コースの途中で児童と教職員84人が犠牲となった石巻市の大川小学校を訪れ児童の遺族2人から当時の状況説明を受け献花をするそうです。

 2日間で、全国から約3700人が出場し、順位やタイムを競わないファンライド方式で完走をめざすことになっています。

 主催は、株式会社河北新報社、ヤフー株式会社です。

 石巻専修大学の会場には、様々なブースがあります。様々な協賛企業や店舗等で作っています。中には「応’’縁’’飯ブース」というものもあり、何か楽しそうです。 

 各コースについては、沿岸地域を含み、三陸の雄大な自然の中を走りながら、被災地域の「今」を見て感じることのできる設計にしたとのことです。

 素晴らしい企画ですね。リアス式の海岸線は本当に東北独特のものではないでしょうか。(20代の頃、山陰の日御碕灯台のあたりに行って遊覧船に乗った時、初めて松島等の景色の繊細な美しさに気づいた気がしたものです。)

 今日と明日、晴れることを祈りたいと思います。http://tourdetohoku.yahoo.co.jp/2016/info/

 

 もう一つ、石巻の昨今のニュースをお知らせします。

 以前、石巻市立病院の建設が進んでおり、もう少しで開設されるとお知らせしましたが、今月1日から再スタートしました。石巻駅前の市役所の隣に建設され交通の便も良くなりました。

 その開設を祝ってシンディ・ローパーさんから寄贈されたピアノで仙台市出身のピアニストの小山実稚恵さんの演奏が行われました。

 演奏に使われたグランドピアノは、被災して痛んでしまったものを米国の歌手シンディ・ローパーさんが購入し、修理を依頼して石巻市立病院に寄贈したものなのです。

 ピアニストの小山実稚恵さんも、何度も演奏にきてくれ、復興のための支援をしてくださっています。前日は石巻専修大学で、無料のコンサートを開いてくれました。聴きに行った方の話によると、本当に素晴らしい演奏で癒やされたと感動していました。

 震災から5年半経過しましたが、まだまだ復興の途上にあり、支援も続いています。

 でも、「ツールド東北」のテーマ「応援してたら、応援されてた。」のように応援することによって力をもらえたら素敵ですね。

 

 

 


石巻 復興マラソン

2015年06月30日 | ニュースから

 季節は梅雨に入ったけれど、石巻では6月27日、28日の2日間にわたって「復興マラソン」が行われました。

27日には、雨の降りしきる中、東京の国立競技場から一時貸与された聖火台にアテネ五輪ハンマー投げ金メダリストの室伏広治さんが点火しました。

 27日の復興マラソンでは、親子連れや中学生、社会人等たくさんのランナーが参加したとのことです。競技も「ファミリーA親子」とか「3キロ中学生女子」同じく男子等だれでもが楽しく参加できる工夫がされていたようでした。雨と強風という悪天候の中にも関わらず復興へのエールの思いを込めて元気に走り、それぞれがそれぞれの充実感や達成感を感じていた様子が報じられています。

 28日の「復興マラソン」にはメーンのハーフ、10キロの部が行われました。市民総合運動公園が出発点となり、仮設住宅の並ぶ開成地区等を失踪し、仮設住宅の人達も沿道に出て応援し、お互いの気持ちが触れ合う熱い場となったようです。

 参加者の中には中国・温州市の選手団16人もおり、「地元住民の応援の雰囲気が素晴らしく、実力を発揮できた。」と話す方や「コース沿いには、たくさんの仮設住宅があった。走ることで被災者の方々に元気を与えたいと頑張った。」のコメントが紹介されるなど、一体となって盛り上がった様子が伝わってきます。

 走ることで参加した方も、応援することで参加した方も悪天候もなんのその、逆に印象に残るイベントとなったことと思います。

 人が集うと、やはり活気がでてきますよね。そして気持ちを一つにして精一杯活動することによってお互いに元気が出てくるのは不思議ですね。

気がまじりあって何かが発生するのかもしれません。

 走るって、単純なことだけど本当に素晴らしいことなのですね。

だんだん走ることがおっくうになってきている私もちょっと考えなければ...と思ったりしてしまいます。でも、大きな声で応援する側ならまだまだ...と思い直した私....。

 雨にも負けず、風にも負けず成功した石巻復興マラソン。ばんざーい!!

 

 


羽生君、金メダルおめでとう!!

2014年03月09日 | ニュースから

                                                  

                                                                 

これは、以前羽生君が仙台にいる時にフィギアスケートの練習をしていたリンクです。

ジュニア時代に世界チャンピオンになったことは知っていましたが、まさかその数年後にオリンピックの金メダリストになるとは想像もしていませんでした。

本当におめでとう!

可能性がなかったわけではないけれど、現実になると本当にびっくりです。そしてその快挙に東北人として誇らしい気持ちになります。

被災後、様々な困難の中で暮らしている被災地では、東北や宮城の出身の人達の活躍は嬉しく励みになり夢を届けてもらったような気持ちになります。

羽生君自身も被災し、何日間?か避難所で過ごしたり、練習するリンクがなく、ショーに参加しながら練習を積んだことは有名です。

被災の経験や周りの人々の応援を自分の力にした彼は本当に素晴らしいと思います。

金メダルの報奨金600万円も寄付?をし、今後後輩のスケーター達が練習する場の確保や試合の場を考えているということです。

思い起こすと、仙台のこのスケート場も財政難のため1度は閉鎖されたのでした。

でも、荒川静香さんがオリンピックで金メダルに輝き、その影響もあって再び再開されたのです。

そして、そのことがさらに日本フィギアスケート界発の男子金メダルを産んだのですから、リンク再開の意味が本当に大きくなりました。

羽生選手は、まだまだこれからさらに伸びて私達に喜びを与えてくれることと思います。

そういえば、羽生君のおとう様は、前回まで紹介してきたひつじあかねさん(「つなみてんでんこ」の作者で石巻女子高44年卒業)の母校の中学校(石巻の海に近い被害の大きかった所です。)で教頭先生として頑張っておられます。

みな、自分のできるところでそれなりに被災の経験を力に変えていくことが大切なのですね。