石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

「石巻の人」・・「いしのまき散歩」より

2023年11月19日 | 感想

         

 

 この写真は前回投稿の古本市で購入した本のうちの1冊です。その本のカバーです。

 写真は北上川の石巻あたりの河口の様子の絵です。はっきりとは見えませんが、中瀬のあたりも描かれています。本の表紙の裏には写真の通りにペンで描かれた絵があり、場所ごとに地名や建物の名前などが入れられています。写真の絵は、いつの頃描かれたのか分かりませんが、懐かしく感じられる方もいらっしゃるでしょうか?

 

  この本の中に中に昔?の身近な石巻がたくさんありました。

「いしのまき散歩」という親しみやすい題名と表紙のきれいさに惹かれて手に取りました。

 目次には、聞いたことがある名前がたくさんあります。

 この本は、石巻在住のお医者様たちの石巻市医師会郷土史同好会の活動によって、20年の長きに渡って調べられた内容を3人の医師たちによって執筆された本です。「石巻を中心に『足で、目で』大地を探し、墓石に触れつつ得た尊い記録であり、感動と感銘そして嘆賞を参加の会員の方々から受けた」と太宰惇氏が発刊によせて序文で述べています。

 

 学者さんが書いたものではなく、同好会の方々が調べたことをまとめたものなので分かりやすくで興味の持てる内容になっているのでしょう。

 

 そんななかから、今回は「いしのまきの人」という項目を読んでの感想を書きたいと思います。

   以下、その項目の本文の一部です。

 「~略~ ここでは、石巻の屋号には、特に地名を連想させるものが目につくように思う。近江屋・越後屋・相馬屋・尾張屋・栃木屋・山形屋・秋田屋・気仙屋・讃岐屋・水沢屋などとスラスラ頭に浮かぶ。中には姓そのものを名のる方もあろうが、先代をさかのぼれば出身地を証明できる屋号であるかもしれない。

 更に、漁港でもあるから〇〇丸と鮮明を名のる漁業会社を随所に見かけるのは当然だろうが、元の船名と縁の切れた商売になってもそれを名のる老舗があるのは石巻ならではあろう。例として陶磁器の老舗が挙げられる。

 いずれにしても、石巻の商圏が海を相手に藩政以来特異であったことは確かだ。北上の河口港としての舟運と藩直轄地としての開放性が、他藩遠方と交易する商人の交流に大きな魅力となったのだろう。屋号を眺めながら昔日のロマンを味わいたいものだ。~後略~」

です。

そうい言われてみると、思い当たることがあります。

「品川屋」というお店もありました。

また、同級生には、水沢さん、越後さん、気仙(けせん)さん、讃岐さんなど、確かに地名と同じ苗字の方がいましたね。

それから、前に投稿した「三春屋平吉」もこの方は福島県の三春出身の方なのでしょうね。

 

 苗字のルーツを調べるのも面白そうですね。

 歴史を調べる時には地名や町名も大切な手がかりになりますね。

 何十年か前に仙台の「一番丁」の地名を「一番町」と改名する時に反対の声があったことを思い出しました。

 石巻でも、町名が変えられた時がありましたね。その時は合理的で良いと思ったのかもしれませんが、昨今のように災害が頻発する時代になると、昔の地名や言い伝えも大事にしなければいけないように思います。

 昔、その場所で何度かあった災害などの様子を伝える地名や、仕事の内容によって呼ばれていた地名がありますね。

 

 最後にもう一つ、石巻では「阿部」という苗字が全国平均から見て圧倒的に多いかったそうです。何故でしょうね。

 

その他、分かりやすく興味の持てる内容がたくさん。その内、機会があったらまた、紹介しますね。

 

※ 「いしのまき散歩」の執筆は、同好会代表 二宮以義氏、佐久間昌彦氏、山内豊氏 の3名によるものです。それぞれの苗字の一字を生年順にとって「二佐山連(にさやまむらじ)」としたのだそうです。命名の仕方もちゃめっけがあって面白いですね。平成2年3月21日初版発行です。発行は株式会社ヤマト屋書店です。

 

 

 

 

 


2023年 芥川賞作品 「荒れ地の家族」を読んで

2023年03月04日 | 感想

                      

          東日本大震災直後の「雲雀(ひばり)の海岸」

 

2023年 1月19日 仙台の街は沸き上がっていました。

芥川賞発表を心待ちにしている仙台市民が集って佐藤厚志氏の「荒れ地の家族」が本当に芥川賞を受賞するかと大盛り上がり!?

 

そして受賞が発表されるとすっかりヒートアップして喜び合っていました。

 

私も一応購入しようかと、とある書店に行ったところ、案の定もう売り切れていて予約をすると2月末頃には入る予定とのこと。

残念!!  本の表紙の写真をあてにしていたのですが.....。

 

通販での購入に今ひとつ迷う私…。どうしてかな?

急いで読みたいとも思わないのです。題名のイメージからかな?

Dさん曰く「読んでみたけど面白くなかったわよ。」「暗い感じだし…。」「もう一人の芥川賞の女性の作品は明るい感じ…」とのこと。

2作品選んだということに選者たちの意志が表れているのかもしれません。

 

 

とりあえず購入して「荒れ地の家族」を読んでみました。

 

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出だしの亘理の情景描写は私にとっては心地よいものでした。

読み始めて間もなく自分の身近な海岸付近の情景が浮かんできました。

生まれて間もない頃から身近にあった海とその付近の情景。「砂山(すなやま)」と呼ばれる小高い山?の付近に住んでいたので、その海が亘理や鳥の海とは多少違っていたかもしれませんが、「ひばりの海岸」と呼ばれる楽しい名前の海岸でした。ひばりがたくさん飛んでいたのでしょうか?

 

その海は私にとっていつも楽しいイメージの場所でした。

幼い頃家族で海水浴をしました。若かりし父の海水パンツ姿が今でも目に浮かびます。笑顔で逞しかった頼りになる父の姿を海は思い起こさせてくれます。

あの海は「ざっか」と呼ばれる急に深くなったりする場所がありました。小学生の頃にその海で子どもの事故が起こり、朝会等で注意や海の怖さを知らされたこともありました。

校歌や児童会の歌、または旧くからある校歌のような歌にも「・・・・しおざいちかくよぶところ・・若葉がかおる・・・・」等、海の土地ならではの言葉がたくさんちりばめられていました。

 

海に行くまでに松林に続く道がありました。右手にパルプ工場(何度か合併をし、名前が変わりましたが。)があり、歩いて向かいました。

そして、やがて松林があり、少し行くと、草原(くさはら)と土手!

この草原のあたりは、当時?競馬場があったりして、馬が歩いていたりしました。

 

草原は土手から続いていて、夕暮れになってくると、広い草原の草が一斉に風に吹かれてサワサワと波打つようにどこまでも続くのでした。そんな時は何か不思議な別の世界にいるような気がしたものでした。

 

でも、昼はおおらかに私たちを受け入れ、友達と一緒に土手の上から丸太のように転がり落ち、空と土がぐるぐると交互に替わり、止まると、パッと起き上がり、笑いあったものでした。(現代の子どもたちにもこのような身体を使った自由でダイナミックな遊びを経験させたいものです。)

 

波打ち際の砂浜は格好の遊び場でした。思いのままにふんだんに砂を使い、「私の部屋」と称してワクをつくり、中に湿った砂でソファをつくったりし、…そこは全部自分の世界でした。

 

でも、だんだん時計の針が進むにつれてその「私の部屋」に徐々に波打ち際が近づいてくるのです。

前の波の来た所に立ち、次にその足元を越していく波。そして、少しずつ少しずつ砂浜を上ってゆき、やがて「わたしのへや」も波にのまれて崩れさるのです。

 

そのような波を、果てしなく続く時間の中で何度も体験しました。

 

立っていると、寄せる波が足元を濡らしてゆきます。そして間もなく引いてきますがその時足元の両脇の砂がズーッと持ち去られていき、足の下の砂だけが少し高く残ります。引き波は力が強いのです。

 

引き波の強さを意味もよくわからないまま何度も体験していました。

 

今になって思えば、東日本大震災の津波は、その何百倍も何億倍もの波がやってきて、寄せる波以上に強い力の引き波になって根こそぎ地上のものを持ち去っていってしまったのでしょう。

 

等々、海に関する私の体験は尽きることがないのですが...。そのような者にとって「荒れ地の家族」の文章は主体が違っても海の持つ姿の描写を共通の目線で表現しているようで、海を知る様々な人々に自然に共感を想い起こさせる力があるように感じました。

 

主人公たちも特に文章には表れていないけど、昔おそらく様々な体験を持っているであろうことを感じます。

 

                天橋立 松並木と一本道

そして、小説の中で時々現れる東日本大震災の様子は、私が直接体験していない海の姿を見せます。

私の知る被災した人たちは、直後一生懸命語り部をしたり、集会に参加して作業や交流をしたりして一緒にこの災難を乗り越えようと頑張っていました。

 

数年後に話した時にはある人はやっと新しい家を建てたけど何か気が抜けたようで、何をする気も出てこないと言っている人もいました。(今がどうかは分かりませんが。)当面の目標が達成された安堵感なのでしょうか。

あるいは、ある方は、またもとの会社を再建し、商売もひとまず軌道に乗り安心しました。

 

また、ある方々は震災後に娘の元に避難され、しばらくして安らかに天に召されました。

 

でも、子どもたちの体力測定では全国平均を下回っていたり、不登校の子どもの数が多いことが報道されています。

 

震災直後は各地から応援をいただき無から立ち上がる人々の様子がマスコミ等で伝えられました。

 

でも、この「荒れ地の家族」を読むと、一時的に聞くものとは違った、忘れら去られるような中でも必死に生き抜いている人々がいるのだということを思い起こさせられます。そして、程度の差はあれこのような方々がたくさんいるのではないかと思いました。

 

「考えてもどうにもならないことがある」と何も考えずに身近にある自分のできることを無心に続ける主人公の姿勢は窮地からの脱出法の一つかもしれません。逃避ではなく意味ある生と言えるかもしれないと感じました。

 

というわけで、私の感想は「面白い」とかではないけど自分の身近な海の様子を思い起こさせる一つのきっかけとして機能したように思います。

また、以前と変わらない海辺で、以前とは全く変わった人生を必死で生きている人達がいることに改めて気づかせられました。

あまり海になじみのない方にとっては退屈で暗い物語でしかないかもしれません。

でも、海に育まれた人々にとっては懐かしくも無常な自然の中で必死に生きる人間の営みを見る思いがしました。

 

これが、東日本大震災という未曽有の天災に見舞われた土地に暮らす人々の生活の一断面としての価値がある小説なのではないかと思いました。

 

この暗いとも言える物語を読みながら私が始終海のある土地の暮らしや情景を感じ、懐かしさを感じたのは作者の意図とは少し?違っていたかもしれません。でも、この主人公も海のある土地に住む人の姿の一つと思い、暗さのなかにも清々しさを感じたのは何故でしょう?

 

そして、私も宮城県の作者のこの作品が芥川賞を受賞したことを喜んでいる一人です。

 

 東日本大震災直後の「雲雀の海岸」の風景

 

※ 松林の写真はフリー写真です。