嬉しいお知らせができます。
昨年、白梅の同期会が行われたことは、ブログでお知らせしましたね。
その時、「奥松島物語」の編集にかかわっている同級生の松川さんと47年ぶりに再会(顔を合わせて会うこと)することができ、「奥松島物語3号」が刊行されたことを知りました。そしてその刊行が予定より遅くなった理由として、石巻でもそのような地域誌を計画していたこと、そして結局はまとまらなかったとの話を聞きました。
「石巻は、平成の合併があって範囲が広すぎてまとめにくいのかしら..。」と考えたりして残念に思っていました。
ところが、年が明けてからどんぐりさんから石巻の地域誌「石巻学」が創刊されたことを聞きました。
さっそく入手しようとしたところ、どこの書店でも扱っているわけではなく仙台では「ヤマト屋書店」と「金港堂」で購入できるとのことでした。また、インターネットでも注文できるとのことでした。
ところで、「ヤマト屋書店」は石巻に住んでいた方ならみんなご存じですよね。石巻駅からのまっすぐ歩くとすぐの左の角にありました。小学校低学年の頃、ちょうど「りぼん」等の少女雑誌ができて中には、手塚治虫執筆の「りぼんのきし」とか「ペスよおをふれ」等のマンガ(当時はこういう呼び名)があり、その本が自宅まで届けられるのがそれは待ち遠しいものでした。学校の帰り道「もう届いた?」等と友達と話しながら歩いたものでした。
そして、家で待っている時
「ヤマト屋書店です。『りぼん』お届けにきました。」という感じで毎回来てくれるおにいさん?とてもさわやかで喜びも倍増でした。
そんな懐かしい思い出のある「ヤマト屋」が大街道にも出店しているのを帰省の帰り道に見ていましたが、その他にも石巻そして仙台にも出店していたことは知りませんでした。
ところが、ここ数年仙台の三越デパートに出店したことを看板で知り、素晴らしいことと思っていました。私もそこで購入しました。(この出店は、震災後に三越の方から提案があり実現したということが今回の「石巻学」の記事で分かりました。そういえば、石巻が被災して間もなく真っ先に石巻でお店を開店してくれたのも「三越」だったことを思い出しました。しっかり応援してくれていたのですね。)
雑誌「石巻学」は、宮城県石巻市出身のノンフィクション作家、大島幹雄さん(62)が故郷の魅力を発信するために発案したものです。
東日本大震災からの復興の過程で、歴史や文化、地域社会が失われる懸念がある中、人々をつなぎ未来を語る「ゆるやかな場」となる雑誌を目指すということです。
大島幹雄さんは、上京して大学進学後も江戸時代に石巻からロシアに渡った漂流民を研究する会を設立し、石巻の人たちと交流を続けてきたそうです。東日本大震災後はほぼ月1回石巻を訪れるようになり、初めて会う地域の人と語り、石巻の豊かな歴史に気づき、「この土地の過去を掘り下げ、未来への希望を表現したい。」と雑誌の刊行を決めたとのことです。東北地方で地方誌を手掛けている赤坂憲雄・学習院大教授らに相談し、一昨年暮れから活動を始めたとのことです。
創刊号には、「ヤマト屋書店」の店舗再会の苦労やおきゃくさんが詰めかけた喜びや「岡田劇場」の歴史等のついても書かれています。以前どんぐりさんのレポートで紹介した、門脇の本間英一さんの蔵で消失を免れた資料を基にした記事もあり、興味深い内容が詰まっています。(結構厚いです。)
年1回の発行を予定していて、当面は10号が目標とのことです。
「石巻の過去、現在・未来をつなぐいい気コミュニティのようになってほしい」とのことです。
どんぐりさん、とても良い地域誌ができましたね。お年寄りの方にも読んであげたらきっと話が弾むのではないでしょうか。被災して震災前の記憶も薄らいでいく時、この本はきっと充実していた頃の記憶を呼び覚ましてくれることでしょう。
できることがあったら協力したいですね。
裏表紙です。表紙の写真の背景にある観けい丸の建物も、この間通った時以前よりきれいになっていたように感じました。
後になって申し訳ありませんが、「奥松島物語」第3号も刊行されました。
今回は、東松島市生まれのわれらの同級生の執筆家(詩・エッセー等)北原悠子さんの詩が掲載されています。
そして、編集に携わっているもう一人の同級生松川清子さんの「帰ってきた仙石線 そして、ありがとう代行バス」の記事もあります。
是非、ご一読を!