石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

「船岡城址公園」に行きました ・・・その④ 「本丸跡 船岡観音像」編

2023年04月28日 | 活動

   

 

やっと「船岡観音像」の所に到着!

ここは一番眺望の良い所です。

  

北側からは、白石川沿いの「一目千本桜」も見えます。そして、山沿いに広がる花々!

 

立て札の文章が読めるでしょうか?

ここ船岡館跡について書いてあります。

読みにくいので以下に写しました。

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船岡舘跡(別称 柴田城・四保舘・船岡要害)

 ここ船岡の知は、江戸時代の初め頃(慶長初期  1600年頃)までは四保(しのう)村とよばれ、領主四保氏の居館四保舘のあったこの舘山も四保山であった。四保山は、欧州街道と白石川を挟むかたちで〇神山(〇の部分は案内の漢字の読み方が辞典に出てきません)と対峙し、軍事上の要塞だった。この丘陵上に築かれた四保舘は、沼や堀・川に囲まれ、峻険な地勢と相まって、天然の要塞というべき山城である。鎌倉時代に、この地域を治めた一族は、御家人小山氏の一族だったが、この地名を採り四保氏を名乗ったとされる。

 16世紀の初め、柴田家の祖  四保但馬定朝がここに住み、二代目宗義の時、四保姓を柴田に改めた。柴田氏は、文禄二年(1593)、志太郡桑折(大崎市三本木桑折)に所替えとなる。

 その後、船岡の地は、伊達政宗の家臣屋代勘解由兵衛景頼の所領となる。屋代氏は二の丸に住んだが、慶長12年(1607)に改易となった。

 この地に、原田氏(甲斐宗資、甲斐宗輔の父)が桃生郡大瓜(石巻市大瓜)から移封されたのは元和元年(1615)のことである。原田氏は山上には屋敷を設けず家中屋敷に二屋敷分を取り居屋敷とした。しばたの郷土館のあたりであったと考えられる。しかし、寛文11年(1671)3月27日に起きた寛文事件(伊達騒動)により、原田家は改易となる。

 その後天和元年(1681)に、寛文事件の波及を身を挺して留め落命した柴田外記朝意の子中務宗意が、登米郡米谷(登米市東和町米谷)から再び船岡に戻った。元禄7年(1694)7代宗僚の時「三の丸」に居屋敷を築造し、以来170余年を経て明治維新を迎えることになった。

      「二の丸跡」(現・コミュニティガーデン花の丘柴田)については略   

  撰文 しばた歴史観光ガイドの会   (平成三十一年三月設置)

 

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  この地にもどこにも江戸時代の暮らしがあったのですねえ。四保村があり、四保氏が治めていてその舘がこの四保山にあったのですね。そしてこの地形が戦さの時の優れた要塞でありえたのですね。歴史を感じます。

 そして、時を経て原田甲斐の祖先が桃生郡(現在の石巻市大瓜)から移封されたことは初めて知りました。石巻との縁があったとは...。昔の地域の統治組織の一端を垣間見た想いでした。

 そして、その後起こる有名な寛文事件の舞台となるのです。「樅ノ木は残った」というNHKの大河ドラマにもなりました。その頃は内容が良くは理解できませんでしたが、その他戯曲などでも演じられ、有名な場面はよく耳にしている覚えがあります。

改めてもう1度「伊達騒動」を読んでみたいなと思いました。

 

 そんな歴史上の地に船岡観音像を建立した方がおりました。

 柴田町船岡出身の野口徳三郎翁です。昭和50年に亡き妻の冥福と世界の平和と安全を祈願し、私財(当時のお金で7500万円)を投じ1年の歳月をかけて建立しました。高さ24mあり、胸に平和の象徴である鳩を抱いています。という事などが「本丸跡」という立て札に書いてあります。(下の写真)

ーーー石庭 ーーーー

 また、船岡観音の足元に石庭がありますが、正面の羽ばたくようせり出している石は稲井石だそうです。(石巻の稲井の石は質が良く墓石に使われていると聞いたことがあります。稲井から続く雄勝は質の良い石の産地で硯が全国的に有名です。このへんは良い石の産地なのですね。)

 この庭についての説明があります。(立て札)宮城県造園建設業協会 青年部が設立30周年を記念して造りました。その思い等が記されています。左側の2つ組み合わせている石「人」の文字を表し、一期一会を大切におもてなしをするという思いが込められているそうです。石は全部宮城県産を使用しているとのことです。

 船岡観音や本丸跡を大切に思う気持ちが伝わってきます。

 

     

 

 前の立て札にあったの二の丸跡(現・コミュニティガーデン花の丘柴田)の文については省略。

と思いましたが、写してみました。

 「二の丸は、山頂の本丸の南東にあたる。東西26間(約50m)、南北44間(約80m)の長方形の平場である。その西側に土塁がめぐる。さらにその外側はただちに急な崖となる。南東斜面には、段築・土塁・空堀の防御施設を備えている。二の丸には井戸(絹引きの井戸)が現存する。」とあります。

 なるほど、ここはとにかく戦さの時代にあっては、優れたな自然の要塞だったのですね。

   

  本丸跡の南側から眺めると、本当に見晴らしがよく、当時、戦さの行列が進んできたらその様子がとても良く見えそうです。想像してしまいます。

 

  その他、ここには原田甲斐宗輔供養塔や柴田外記朝意公供養塔もありました。

 

  頂上に来て急に歴史がたくさん詰まっていました。

 

  私たちが訪れた日はウィークデイでお天気も薄曇りだったので、人が多すぎずとてもゆったりと楽しむことがでできました。

 

  私の知り合いは、行ったのは日曜日だったので、スロープカーは1時間待ちということで諦めたということでした。

  思いついて急に行ったのでしたが、かえって混まずににラッキーでした。

 

  もうすぐゴールデンウィークが始まりますが、私は、近年は渋滞する車の列に参加するより、家の庭にくる鳥や花や木々を眺めながらゆったりとすごすのが好みになっています。歳をとったのかもしれません。

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 やれやれ、やっと船岡城址編4連作が終わりました。

 

 現在、多賀城歴史博物館では、「東日本大震災復興祈念  悠久の絆 奈良・東北のみほとけ」が開催されていっます。

 5月には「G7仙台科学技術大臣会合」が秋保温泉において開催されます。

 また、5月26日から6月18日まで仙台市を会場にいした緑化フェアが開催されます。主会場は青葉山公園追廻(おいまわし)地区ですが、その他市中心部や沿岸部の会場も色とりどりの花が植えられています。(追廻というと、昔テニスコートがあったことが思い出されるのは私だけでしょうか?)

 コロナ禍が解消されつつある今年の春の仙台はいつにも増して賑やかさではちきれそうです。

 そうそう、大事な青葉祭りも今年はコロナ前のように大々的に開催される予定です。

 

  それでは、とあるコーヒーショップの窓の外の新緑を眺めながらさようなら! 

 最後までご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


船岡城址公園に行きました!・・・その③ 「花の丘 柴田」編

2023年04月14日 | 活動

                                                           

 もう、季節は新緑の美しい時に入り始めて並木道が爽やかです。

でも、せっかくなので前回の続きを一応お知らせしたいと思います。

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スロープカーを降りて、さてどっちに行こうか?二股に分かれた左の方に行ってみました。

  

素敵な花園が見えてきました。「コミュニティーガーデン 花の丘  柴田」です。

入ってみると、花がいっぱい!よく見かけるクリスマスローズの他に下のクリーム色の小花がたくさんついているものも。

鮮やかなまるでネオンような輝きのある紺色の花。これは何という名前なのかな?

          

 

   

空中に 浮かんでいるような木蓮。

 

下の濃いピンクの木蓮は珍しいです。街路樹などではあまり見かけません。隣の二色の木蓮はおなじみ。

        

 

  

スマートなチューリップや昔ながらずんぐりしたチューリップ達!

                 

左の星型の花はよくホームセンターで見かけます。右の木はなんでしょう?グーグルで調べたら「ピスタチオ」と出てきたけどほんとかな?違うような気がします。形は土佐みずきや日向みずきの花の付き方に似ているけど....今度誰かにきいてみよう!

石楠花(しゃくなげ)もたくさん!赤、ピンク、小さい花のものなど。とにかく花尽くし。

 

とても、良い気持ちで次の所に。

今度は白い大きな観音様が木の陰の方に見えます。(初めの写真)船岡観音像です。     

ここは「本丸跡」です。1番高い眺望の良い所です。

 

とりあえず、今日はここまで。

この記事を書いているうちに季節は大分進み、櫻はもう季節外れになりかかっています。なので、「本丸跡」は次回に!!

 

 

 

 

 


船岡城址公園に行きました。・・・その② 「スロープカー編」

2023年04月12日 | 活動

      

 

さて、船岡城址公園入口から、坂を登っていくことになりました。坂道の途中に写真のようなのぼりがあり、この時期は「桜祭り」なのですね。

とことこ?と歩いていくと、脇には桜の他にレンギョウやその他、地面にはたくさんの野草が生えていて花も咲いています。野草の花は形や色が似ていてもそれぞれいろいろな種類があるようで覚えられませんが、みな小さくても控えめな美しさがあります。上の写真の花はなんというのでしょうか?なんとかすみれとか言うのでしょうか?下の写真の植物は、確か「カラスノエンドウ」と言ったでしょうか?

そんなふうに植物を見ながら歩いていると、なぜか足が速くなってきました。スタ、スタ、スタとひとりでに足が動いてどんどん先に進んでいくようになっているのです。ビックリです。

これは、私が本来持っている力が覚醒したのかもしれません。もともと歩く速さは速く一緒に歩いている人に驚かれたりしていました。

それが、ここ2~3年というものコロナのせいであまりいろいろな所に出歩かないように気を付けていました。絶対にウィルスを家に持ち込まないようにと気を使ってきたので、随分筋肉が鈍ってしまっていたのかもしれません。

なので、愉快な気分になり、歩くのが楽しくなって進みました。

 

そして、着いたのが船岡城址公園。

 

ここは、「三の丸広場」です。

広々とした場所です。ここにも広場を囲んで桜が満開!

ここには、城中井戸、忠魂碑、平和塔、があり、屋台もあります。今回は屋台の写真だけ。(ウィークデイなので人が多すぎずゆったりした感じです。屋台も少ないかも...。

 

少ない屋台と広場からの眺望。

 

ここはそこそこで後にして、一番のお目当て「スロープカー」の乗り場を探し、向かいます。

ちょっと歩くと、すぐそれらしいものが見つかりました。看板があります。脇には「観光物流交流館」の建物。ここは「さくらの里」です。

すぐにスロープカーの乗り場へ。10人前後の人が乗車を待っていました。切符往復500円を買って乗り場で待ちます。外国人もいます。家族連れやカップルらしい人たちも。数分待つと、スロープカーが戻ってきました。座って乗りたいのでこれはやり過ごし、次に戻ってくるのを待ちます。

この辺にも花はいっぱい。レンギョウが噴き出すように咲いていました。

  

さあ、いよいよスロープカーに乗りました。車内では一斉にスマホを車窓に向けて撮影開始!!

 

   

 

結構急な角度でグングン上っていきます(傾斜30度)。窓の下には今まで歩いてきた道や桜の花が眼下で次々に変わっていく愉快さに思わず歓声が起こり顔がほころびます。満開の桜のトンネルを通過する時には、「わあー!桜の雲の中を上っていくみたい!」とかぐや姫?にでもなった気分?

やっぱりこれが一番爽快な素晴らしい体験かも!

そんな感じで5分ほど行くと、さあ、着きました。

ここからは、地図によると、また見どころがあるようです。

 

では、この次のことはまた次回に!  

 

 

 


船岡城址公園に行ってきました!

2023年04月12日 | 活動

  

                     船岡からの一目千本桜。 川沿いにずーっと続いています。

 

日本の桜前線はもう岩手県辺りに進みました。宮城県ももう満開は終わりました。

その満開も終わろうとする4月6日に船岡城址公園にお花見に行ってきました。

 

先日、知人から船岡城址の桜がとても綺麗だったという話を聞きました。そしてスロープカーの話を聞きました。

スロープカー?そんなのがあったの?今まで聞いたことのない乗り物でした。

 

そこである日の午後、ちょっと行ってみようか? ということになって、東北本線の各駅停車の列車に乗りました。

大河原の一目千本桜には何度か行っていてその素晴らしさを存分に味わっていました。

が、船岡の桜が綺麗との話を聞いても、どれほどかはあまり考えたことはなく、ただ、大河原に行く途中の車窓からの山の桜を遠くに見ながらあそこなのだろうと思う程度だったのです。

 

船岡について駅を出ると、船岡城址公園の矢印がありそちらの方へ。構内の階段を降りると、誘うような一本道があり、そちらを歩く人たちが

たくさんいたので、まずは流れにのってみると、白石川沿いの一目千本桜の場所につきました。初めの写真の桜の所です。

 

しかし、船岡城址公園の矢印は見つからず、「あれ、こっちじゃなかったのかな?」と思い始めると、同行者がスマホの案内を聞き始めたらしく、「この通り(スマホの言う通り)に行けばいい」と言い始め、引き返してゆくので私は後を付いて行くことに、

駅に戻り、構内を通り抜け反対側の道に出ると、次のような標識のある通りに。

地図を見てもどうやらここで良さそう。「ここからどれくらい歩くの?」と聞くと、「26分。」とのこと。結構遠い。でも、歩くしかない。

車で来ると、駐車場に着くまでの時間が長く大変と聞いていたので、やはり歩く。歩くのが良い。

と歩き、途中のコンビニで一休み。城址公園にはコンビニはないので。

少し休んだものの、私の足は重く、同行者に「もう疲れたの?」と言われる始末。後ろからなんとか付いて行ってるという感じで情けない。

途中次のような暖簾のあるお店が。

  

「えっ!」「珍しい名前?」「入ってみよう!」

と、お店の中へ。

そして、お店の人に「ぎさらしって何ですか?と聞く」と聞くと、

少し間を置いて、「しょうゆですね。」との答え。

同行の人が「ピーナッツバターをください。」とピーナッツバター団子を買ったので、私も「私もピーナッツバターを」と言って、珍しいピーナッツバター団子を持って、外のテラスのテーブルで食べていて、ふと目に入った暖簾をゆっくり見てると、これは、言葉が下から斜め上に向かって書かれていたのですね。

お店の人が「しょうゆ」です。と言った意味が分かりました。

私の言葉が「みたらしってなんですか?」と言ったと思ったのでしょう?

笑い話になってしまいました。意味分かりますか?

暖簾に下から斜め横に上がっていく言葉は初めて見ました。右上から読んだからあんなことになったのでした。ハハハ....

思ったより遠い船岡城址公園。「あと何分?」と聞いて、3分ぐらいかと思うと「5分。」と言われ、やれやれ....。

 

しかし、ついに城址公園入口に着きました。

山には桜が満開! 登り口の脇や駐車場の周りにも。

濃いピンクの花は八重桜でしょうか?薄ピンクの桜の中で一段と鮮やかに目を引いていました。

   

 

さ、いよいよ登って行きます。

 

船岡城址公園は見どころがいっぱい!ということで今回はここでおしまい。登りは次回にします、