石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

「道の駅  上品の郷(じょうぼんのさと)」に行きました!!  その2

2023年03月22日 | 活動

    

 

 

前回のコーヒーショップのお隣には、海鮮浜焼きのお店が。「特大 活ホタテ ¥380」とあります。

  

海鮮物は、雄勝湾直送とあります。新鮮そうです。

このへんでは本当に新鮮な海産物が食べられます。十三浜からの海藻、そして近辺の海からの鮮魚等。前に紹介したここからもっと奥に行く「ランプの宿ー追分温泉」のお料理が三陸海岸の産物を使い一流の料理人によるものでとても美味しいということを思い出しました。(追分温泉は北上町の奥深く入った山にあります。湧き水の温泉があります。自然豊かな宿です。)今もそのお料理がいただけるのでしょうか?

「雄勝湾直送  海鮮浜焼き」美味しそうです。そのうち立ち寄りたいものです。

 

そして、コーヒーショップの反対隣には下の看板が。

石巻でイチゴも作っているのでしょうか?トマトも美味しいものがあったのでしょうか?スイーツですね。今度行った時には食後に味見したいものです。

 

下の写真は、コーヒーショップに置いてあった石巻名物の牡蠣飴です。昔ながらのパッケージですかね。

そのお隣は、コーヒーショップの外のベンチ。お天気が良かったのでここも気持ち良さそうです。

 

  

やっぱり、石巻は自然の恵みの美味しいものがたくさんあります。「海の幸」「山の幸」そして、それらを使った美味しいお菓子やスイーツ。

 

震災前には、麹の量を注文通りに味噌をつくってくれるお店や餡をつくってくれるお店もありました。今はどうなのでしょうか?

聞くところによると、日露戦争の時、戦地(ロシア)に運んだ味噌が石巻のもの(だけ?)が腐らなかったとか...。聞き覚えのある高砂長寿味噌だったでしょうか?

 

そこで、高砂長寿味噌について調べてみると、

高砂長寿味噌本舗は石巻で明治35年に創業をしました。

一般的な味噌蔵では、大豆に米麹を加え発酵させて味噌を作りますが、高砂長寿味噌本舗では米麹と大豆を発酵させた大豆麹を加えて味噌を作っています。手間はかかりますが、そうすることで大豆の甘みやコクのある美味しい味噌が出来上がるのだそうです。原材料はすべて国産の大豆を使っています。

石巻は日本有数の漁場として、水産加工業が盛んな港町で、その加工会社が作る「みそ煮」や「みそ漬け」のほとんどに、高砂長寿味噌本舗の味噌が使われていたそうです。「高砂さんの味噌でないと美味しい商品が作れない」と言われ、多くの方々に愛用されてきました。

実家では、味噌の麹の割合を指定して注文していましたが、この味噌だったと思います。私が石巻にいた時は。その石巻高砂長寿味噌の愛用者の一人だったのですね。

 

しかし、3.11の巨大津波は渡波にある醤油工場にも襲い掛かり一瞬のうちに飲み込み、創業が完全に不能な状態になってしまいました。でも、東松島の高台にあった味噌工場は最小限の被害で済み、みんなの必死の努力でゴールデンウィークの頃に再操業ができました。その原動力となったのは取引先の方々の物心両面の応援や味噌を待つ多くの人の声があったのでした。「自分たちの味噌を待ってくれている」という思いが再起の勇気と希望を与えてくれたそうです。

 

しかし、「高砂長寿味噌本舗が創業停止  震災影響し財務悪化 創業117年の老舗  東松島市の企業支援し再始動」

という見出しで石巻日々新聞  2018ネ1月20日(土)に報じられました。

 

多額の負債を抱えて事業を停止し整理に入ったのです。しかし。創業117年の歴史があり全国的にも名の通っている老舗のため、事情を知った東松島の企業が同市大塩のみそ製造工場を任意売買で取得し、4月末に(株)東松島長寿味噌として新会社を設立しました。経営陣を一新し、社員は再雇用とのことでした。

 

なるほど、なるほど、長寿味噌を検索した時、「石巻高砂長寿味噌本舗」と「東松島高砂長寿味噌」が出てくる訳が納得です。

それのしても石巻発祥の老舗の味が引き継がれたのは本当に貴重でありがたいことです。

 

そういえば私は、「石巻南浜津波復興祈念公園」内の施設の販売店に置いてあって購入したような記憶があります。

 

「ちゃきん」の美味しいお店があったことも覚えています。震災後仮設店舗で販売していて美味しかったのですが、その後はやめたのかもしれません。

 

今では、私が知らない新しい美味しいお菓子もできているようです。それを探すのも面白いかもしれません。

 

話は変わりますが、美味しい「海の幸」は、石巻市と雄勝半島を舞台とした「リボンアートフェスティバル」で大いにふるまわれたようです。「リボンアートフェスティバル」とはアート、音楽、食を楽しむことをテーマに行われ、場所は石巻・雄勝です。

コロナ禍になってからも、2021年夏(前期)と2022年夏(後期)と開催されたようですが、今年あたりはどうなのでしょうか?できると良いです。広い海と空と緑や砂浜をバックにして思い切りアートを描いてそして鑑賞しみんなでて楽しんでほしいと思います。

 

さて、先日はWBCの野球で随分盛り上がりましたが、今は甲子園高校野球が始まっています。今日は、昨年夏に初めて優勝旗を東北に持ち帰った仙台育英の準々決勝の試合がありました。初めに3点先制され、追いかける展開のまま9回表で同点に追いつき、9回裏の相手の攻撃を凌いで延長戦に突入。10回の表で1点勝ち越し、よし!と思ったのもつかの間、裏に点を入れられサヨナラ負けになって終わりました。残念!!と思いますがとても立派な息詰まる試合でした。監督も「これが自分たちの力」と言っていました。それにしても選手たちは試合中も笑顔も見せながら精一杯プレーしていて爽やかさを感じました。

監督の指導の仕方も変わってきているように感じます。昔にありがちだったしゃにむな根性論や叱咤や怒号ではない科学的、統計的なデータなどをもとにして子どもたちの意欲を引き出し競わせ、認め合うような指導が見えるようになってきたように思います。納得や信頼は大事ですね。

またまた、スポーツで言えば先日フィギアスケートの世界選手権の試合がありました。ロシア勢がいないこともあるかと思いますが、日本が3種目で優勝しました。勝敗はともかくどの選手も素晴らしい努力があってこその演技で引き付けられました。本物を見ると感動しますね。

もちろん本当に美味しいものを味わった時も。

 

さあ、今度はいつ石巻に行けるでしょうか?楽しみが増えました。

 

書き始めてからちょっと日が経ってしまいました、野球の感動も少し遠ざかったかなあ....?

 

 

 


「道の駅 上品の郷(じょうぼんのさと)」 に行きました!!

2023年03月22日 | 活動

     

すっかり春めいてきた日、暖かな陽ざしの中、石巻のお墓参りに行ってきました。

コロナ感染予防のマスクの着脱も自由になり、心もウキウキという感じのドライブとなりました。

途中、鶴巣、大郷あたりの農業地帯を通ると、一面田畑が耕されて綺麗な茶色が広がっています。

今年も春が順調に進んでいるという気がします。

 

風もなく気持ち良くお墓参りを済ませた後、「上品の郷(じょうぼんのさと)」に行きました。

遅い昼食をとることにしました。

前回訪れたのは平成の時、コロナ禍の前町内会の被災地ツアーの時です。

その時は、食堂はバイキング形式で料理の品数も豊富で随分賑やかでしたが、今日は3時頃とあってゆったりです。

料理も決まったものになり食券販売機で購入するようになっていました。面白いのは、食券を買った時点で調理場に連絡が行き調理が始まるということです。できた時点でアナウンスで番号が呼ばれ受け取りに行くのです。便利なシステムです。

種類は一般的なものからちょっと独特なものまで。石巻焼きそばもありました。ソフトクリームは何種類かありました。

とにかくゆったりと憩い窓の外の景色を眺めながら、12年前の東日本大震災直後のことを思い出しました。

この道は追波川のそばで、もっと進むと大川小学校に繋がる道です。

12年前大須の支援に通った道です。

食事をここでとったこともありました。

ここには宮城県で唯一の温泉保養施設があります。当時被災した人なども温泉にきていました。ありがたい温泉だったと思います。

今でも、もちろん非日常の癒しと安らぎの空間となっていることと思います。

 

さて、食事も終わり、実家へもどろうと食堂をでると、脇にはいろいろなお店がありました。

  

「いしかわ」はコーヒーのお店です。

どんぐりさん、いつかこのコーヒーのことを話してましたっけ? 

こだわりのコーヒーのようですね。注文してみました。手動でドリップして淹れます。

熱々のままいただいてみると、とても美味しいです。雑味がなくピュアなスッキリした味わいです。値段は400円。これならまた飲みたくなります。華麗な味です。

  

ワンドリップッコーヒー180円の表示があります。コーヒーの名前がいろいろあります。ワンドリップコーヒーには「松島」もあるような...。セットには「女川」「石巻」「宮城」「伊達」。「支倉」「幸福」「女川」。それぞれ530円。その他にも組み合わせはあるのかな?

   

コーヒー豆はもちろん、「コーヒー羊羹」「コーヒーナッツ」もあります。珍しいです。いろいろ工夫しているんですね。因みに初めの写真はコーヒーソフトクリームです。これはどんな味でしょうか?興味あります。

 

    

 

「いしかわのコーヒー」のことだけでいっぱい?になったので、その他のお店のことは次回に!

 

出かけたのは、3月20日です。そして、翌日21日春分の日はWBCの野球の準決勝の試合がありました。

メキシコとの試合で、もう日本の負ける可能性も浮かび始めていた時、「村上様」の2ランヒットで劇的なさよなら勝ちとなりました。二重の意味の劇的さに本当にビックリ!!勝ったことはもちろんですが試合を決めたのがそれまで期待に反してなりを潜めていたようになっていた村上選手の一発だったことが日本中を歓喜させました。すごいドラマです。WBC野球で「事実は小説より(現代なら漫画より といいう感じですか...)奇なり」を実現したような一日でした。

とっても興奮して、さらに良い気持ちになりました。

 

 

 


2023年 芥川賞作品 「荒れ地の家族」を読んで

2023年03月04日 | 感想

                      

          東日本大震災直後の「雲雀(ひばり)の海岸」

 

2023年 1月19日 仙台の街は沸き上がっていました。

芥川賞発表を心待ちにしている仙台市民が集って佐藤厚志氏の「荒れ地の家族」が本当に芥川賞を受賞するかと大盛り上がり!?

 

そして受賞が発表されるとすっかりヒートアップして喜び合っていました。

 

私も一応購入しようかと、とある書店に行ったところ、案の定もう売り切れていて予約をすると2月末頃には入る予定とのこと。

残念!!  本の表紙の写真をあてにしていたのですが.....。

 

通販での購入に今ひとつ迷う私…。どうしてかな?

急いで読みたいとも思わないのです。題名のイメージからかな?

Dさん曰く「読んでみたけど面白くなかったわよ。」「暗い感じだし…。」「もう一人の芥川賞の女性の作品は明るい感じ…」とのこと。

2作品選んだということに選者たちの意志が表れているのかもしれません。

 

 

とりあえず購入して「荒れ地の家族」を読んでみました。

 

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出だしの亘理の情景描写は私にとっては心地よいものでした。

読み始めて間もなく自分の身近な海岸付近の情景が浮かんできました。

生まれて間もない頃から身近にあった海とその付近の情景。「砂山(すなやま)」と呼ばれる小高い山?の付近に住んでいたので、その海が亘理や鳥の海とは多少違っていたかもしれませんが、「ひばりの海岸」と呼ばれる楽しい名前の海岸でした。ひばりがたくさん飛んでいたのでしょうか?

 

その海は私にとっていつも楽しいイメージの場所でした。

幼い頃家族で海水浴をしました。若かりし父の海水パンツ姿が今でも目に浮かびます。笑顔で逞しかった頼りになる父の姿を海は思い起こさせてくれます。

あの海は「ざっか」と呼ばれる急に深くなったりする場所がありました。小学生の頃にその海で子どもの事故が起こり、朝会等で注意や海の怖さを知らされたこともありました。

校歌や児童会の歌、または旧くからある校歌のような歌にも「・・・・しおざいちかくよぶところ・・若葉がかおる・・・・」等、海の土地ならではの言葉がたくさんちりばめられていました。

 

海に行くまでに松林に続く道がありました。右手にパルプ工場(何度か合併をし、名前が変わりましたが。)があり、歩いて向かいました。

そして、やがて松林があり、少し行くと、草原(くさはら)と土手!

この草原のあたりは、当時?競馬場があったりして、馬が歩いていたりしました。

 

草原は土手から続いていて、夕暮れになってくると、広い草原の草が一斉に風に吹かれてサワサワと波打つようにどこまでも続くのでした。そんな時は何か不思議な別の世界にいるような気がしたものでした。

 

でも、昼はおおらかに私たちを受け入れ、友達と一緒に土手の上から丸太のように転がり落ち、空と土がぐるぐると交互に替わり、止まると、パッと起き上がり、笑いあったものでした。(現代の子どもたちにもこのような身体を使った自由でダイナミックな遊びを経験させたいものです。)

 

波打ち際の砂浜は格好の遊び場でした。思いのままにふんだんに砂を使い、「私の部屋」と称してワクをつくり、中に湿った砂でソファをつくったりし、…そこは全部自分の世界でした。

 

でも、だんだん時計の針が進むにつれてその「私の部屋」に徐々に波打ち際が近づいてくるのです。

前の波の来た所に立ち、次にその足元を越していく波。そして、少しずつ少しずつ砂浜を上ってゆき、やがて「わたしのへや」も波にのまれて崩れさるのです。

 

そのような波を、果てしなく続く時間の中で何度も体験しました。

 

立っていると、寄せる波が足元を濡らしてゆきます。そして間もなく引いてきますがその時足元の両脇の砂がズーッと持ち去られていき、足の下の砂だけが少し高く残ります。引き波は力が強いのです。

 

引き波の強さを意味もよくわからないまま何度も体験していました。

 

今になって思えば、東日本大震災の津波は、その何百倍も何億倍もの波がやってきて、寄せる波以上に強い力の引き波になって根こそぎ地上のものを持ち去っていってしまったのでしょう。

 

等々、海に関する私の体験は尽きることがないのですが...。そのような者にとって「荒れ地の家族」の文章は主体が違っても海の持つ姿の描写を共通の目線で表現しているようで、海を知る様々な人々に自然に共感を想い起こさせる力があるように感じました。

 

主人公たちも特に文章には表れていないけど、昔おそらく様々な体験を持っているであろうことを感じます。

 

                天橋立 松並木と一本道

そして、小説の中で時々現れる東日本大震災の様子は、私が直接体験していない海の姿を見せます。

私の知る被災した人たちは、直後一生懸命語り部をしたり、集会に参加して作業や交流をしたりして一緒にこの災難を乗り越えようと頑張っていました。

 

数年後に話した時にはある人はやっと新しい家を建てたけど何か気が抜けたようで、何をする気も出てこないと言っている人もいました。(今がどうかは分かりませんが。)当面の目標が達成された安堵感なのでしょうか。

あるいは、ある方は、またもとの会社を再建し、商売もひとまず軌道に乗り安心しました。

 

また、ある方々は震災後に娘の元に避難され、しばらくして安らかに天に召されました。

 

でも、子どもたちの体力測定では全国平均を下回っていたり、不登校の子どもの数が多いことが報道されています。

 

震災直後は各地から応援をいただき無から立ち上がる人々の様子がマスコミ等で伝えられました。

 

でも、この「荒れ地の家族」を読むと、一時的に聞くものとは違った、忘れら去られるような中でも必死に生き抜いている人々がいるのだということを思い起こさせられます。そして、程度の差はあれこのような方々がたくさんいるのではないかと思いました。

 

「考えてもどうにもならないことがある」と何も考えずに身近にある自分のできることを無心に続ける主人公の姿勢は窮地からの脱出法の一つかもしれません。逃避ではなく意味ある生と言えるかもしれないと感じました。

 

というわけで、私の感想は「面白い」とかではないけど自分の身近な海の様子を思い起こさせる一つのきっかけとして機能したように思います。

また、以前と変わらない海辺で、以前とは全く変わった人生を必死で生きている人達がいることに改めて気づかせられました。

あまり海になじみのない方にとっては退屈で暗い物語でしかないかもしれません。

でも、海に育まれた人々にとっては懐かしくも無常な自然の中で必死に生きる人間の営みを見る思いがしました。

 

これが、東日本大震災という未曽有の天災に見舞われた土地に暮らす人々の生活の一断面としての価値がある小説なのではないかと思いました。

 

この暗いとも言える物語を読みながら私が始終海のある土地の暮らしや情景を感じ、懐かしさを感じたのは作者の意図とは少し?違っていたかもしれません。でも、この主人公も海のある土地に住む人の姿の一つと思い、暗さのなかにも清々しさを感じたのは何故でしょう?

 

そして、私も宮城県の作者のこの作品が芥川賞を受賞したことを喜んでいる一人です。

 

 東日本大震災直後の「雲雀の海岸」の風景

 

※ 松林の写真はフリー写真です。