石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

仙石線 どんぐりさんのお便り

2017年07月23日 | お便り

          仙台駅の仙石東北ラインの列車風景

 どんぐりさんから、再度仙石線についてのお便りが届きました。以下紹介いたします。

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どんぐりより

 

 私の知人の鉄道に詳しい呑看鐵さんに、仙石線が昭和19年に戦時買収されて国鉄になる以前の、宮城電鉄だった時の路線図(つまりこのブログ)を見ていただきました。

もともと宮城電鉄は、細倉鉱山の亜鉛の電気分解から発電する余剰電力を利用して走らせた私鉄ですから直流電化だったのでしょう。

 呑看鐵さんは、下のようなコメントを寄せてくれました。

 

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 今でも仙石線は私鉄時代の直流電化を受け継いでいますね。東北線は黒磯以遠は交流なので、震災復興の一環として仙石東北ラインの愛称で東北線―仙石線の直通列車を設定した時は、電気方式を選ばないディーゼル車を新造したのには驚きました。交直流車より安かったんだろうね。

 戦後は長く首都圏国電の中古車を導入してきましたが、川越線の一部電化に際しては、逆に仙石線車両を持ってきたこともありました。

 

> 直流交流というのは線路によって違っているのですか。 

 ごく大雑把に言うと、直流電化は車両は安いが、割と短距離に変電所を設備しなければならない。一方交流は変電所間隔を長く取れるが、車両がお高い―というのが、これまでの電化の流れ。 

 多数の電車が走り回る大都市では直流電化。列車が1時間に1、2本などというところを電化するには交流が選ばれてきたわけです。最近はVVVFインバーター電車の開発で、この辺の判断が変わってきているようですが。 

 そんなわけで東北線は黒磯まで、常磐線は取手までが直流。取手―藤代間にデッドセクション(無通電区間)があり、藤代以遠が交流。最近のつくばエクスプレスは守谷で切り替えて、それ以遠が交流。 

 黒磯に比べて取手、守谷が東京に近いように感じられるかもしれませんが、石岡市柿岡(筑波山の脇ですね)に気象庁地磁気観測所があって、直流電車が走ると観測データが狂うんだそうです。よって、この辺は交流電化。可哀想なのは関東鉄道で、常総線、竜ヶ崎線は電化したくても、費用がかかる交流電化しか途がなく、ディーゼルのまま。

 

 ディーゼルは電気式といってディーゼルエンジンで発電機を回して、発生した電気でモーターを回す方式と、大型のトルクコンバーターで減速して車輪を回す機械式というのがあります。旧国鉄は機械式にこだわったようで、ちょっとガラパゴス化していたようにも感じますが、JRになって電気式を取り入れてますね。モーターなんかは電車と共通の部品が使えるらしい。 

 仙石線の車両は大型のバッテリーを積んで、電気ディーゼルハイブリッドと称していますな。話題の四季島も非電化区間は、このやり方で、電化区間はパンタグラフを上げて電車として走るらしい。

 

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 うーん...、分かるようなよくわからないような... 。でも、子どもの頃、汽車、電車、ディーゼルカー等と使い分けていた記憶はあります。

 現代では、モノレール等さらに進んだ技術による乗り物ができてきましたよね。音も振動も少なくなって乗り物に乗っているという感覚が少なくなってくるのかもしれません。

 それに比べると、D51等の機関車の迫力はすごいですね。昔、中学校の時でしたか、修学旅行の時汽車で出発したような記憶があります。わくわくしながらホームで待っているところへ、もくもく煙を吐きながらジャッ!ジャッ!ジャッ!ジャッ!と大きな重い音を出しながら近づいてきて、止まってからも「シューッ!ジューッ!!!」としばらくいろんな音や蒸気の収まる音をたてて到着を知らせている感じで、初めて間近で見た私はその迫力に大いに驚いたものです。

 でも、そんな様子は、いかにも頑張っている感じで当時の文明の進歩を見せつけられているような気がします。あまり簡単に、こともなくすぎると、当たり前で何も起こっていないような気さえします。そして「もっと、もっと便利に、」なんて気分になったりして....。 

 

 さて、先日、仙石東北ラインの列車の写真撮影のため仙台駅に行きました。

 仙台駅も大分リニューアルされていて、正面改札駅から表示を見ながら探していくと、一般の仙石線のホームとは違うホームでした。

 そして、一日の本数も始めの時とは違って随分増えているようです。1時間毎にあるようです。そして、なんと、女川までの直通(東京~女川)も一本あるようなのです。

ということは、関東から石巻まで直通で来ることが随分簡単になったということです

 素晴らしいことですね。これは、石巻の復興にあたって大変力強いことです。

 

 ちょうど、昨日22日から石巻を会場に、「リボンアートフェステバル2017」が開催されています。(9月10日頃まで)http://www.reborn-art-fes.jp/   http://www.reborn-art-fes.jp/about/

 実行委員長は、音楽プロデューサーの小林武史さん(ミスターチルドレンのプロデューサー)

 「アート・音楽・食を楽しむことのできる新しいお祭り」とのことです。石巻市街地と牡鹿半島に国内外のアーティストたちの作品の展示。様々なスタイルの音楽イベントの開催。東北のシェフ、国内外の有名シェフたちによる地元の食材を使った食事をいただける等、楽しい企画がいっぱいです。

 仙石東北ラインはフェスティバル参加への便利な足にもなることでしょう。


「オシロイバナに寄せて  花の色は女いろ」  メロリンさんのお便り

2017年07月16日 | お便り

    オシロイバナとアジサイ

 メロリンさんからお便りが届きました。

 以下、紹介いたします。

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 九州北部豪雨による被害者の方々に心よりお見舞い申し上げます。又、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 「オシロイバナに寄せて     花の色は女いろ」                 

         

 切り花の命が特に短く、花の値段も高く感じられる季節。 

  若かりし頃は百合にも牡丹にも例えられ笑って受けながしていたものなのに、今では虚しくも姥桜だって。しかし、ウバザクラの名には、年齢を重ねても尚色気のある女性という意味があり、女色の薄くなりつつある今、その例えを使ってもそう悪くはないかも知れません。 

 覚えているでしょうか。50年も前、全校集会で話された阿部徳郎校長先生のあの言葉を。

「女と言うものは…云々」                 

 

 昔、昔に、女はこうでなくてはならない等々、女についての思い込みの多い時代に、険しい女の道を歩いた女性たちの事をを今、思う。 

  大正生まれで、 19才で行き遅れだと言われながら嫁いだというその人の一生を身近に見ました。

 その人の母さんがオシロイバナが大好きだったと言っていました。それは明治時代のオシロイバナの事。

 

  今は亡き人たちに、オシロイバナを供える私。今日この頃。 

  本日は、赤いオシロイバナに青紫のアジサイを合わせました。

 

  オシロイバナは涼しい早朝には花弁を開いていて、暑い日中では花弁を閉じます。とても賢いなと感じる花。そして、夕方になると又花びらを開きます。 

 調べたところによると、夕方から咲き始めるらしい。夜に咲いて、ガなどの虫を誘う為。花言葉は「内気」「恋を疑う」「臆病」そして可愛い花には毒があると言われ、間違って口に入ると中毒症状になると言う。しかも、オシロイバナの花に見えるのは花びらではなく、がくにあたるそうです。 

 花瓶のオシロイバナは庭先に咲いたものを切り花にしました。が、外の花と連動して花びらを閉じたり開いたりします。

 始めの写真とこの写真で判るでしょうか?

 熱中症を防ぐ為にも私もオシロイバナから学んで暑い日中では静かにしていましょう。と真夏には思うものです。 

 美しい花には刺がある。バラの事。可愛い花には毒がある。オシロイバナの事。

 

  どうぞ、皆様も極暑の中お体に気をつけて、ご自愛して下さいませ。

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 ちょと前に描かれた原稿です。

 九州豪雨の爪痕もさめやらぬ内にまた、愛媛での大雨、被害が短期間の間に起こり、日本中何が起こるか予想のつかない状況になってきています。

 被害にあわれた方々には、今は先の見通しもつかずまた、毎日の生活もままならない状態もあるかと思いますが、一日いち日を身体を大切に頑張っていただきたいと思います。ボランティアの方々も入っておられるということなので、心強く感じます。

 メロリンさんの原稿を拝見して・・・・・・・

 「女色」ってどんな色?初めて聞いた言葉に反応した私!メロリンさんたちは子ども時代いわゆる男の子が使うものの一般的な色を「男色」、女の子が使うものの一般的な色を「女色」と言ったのだとか...。納得しました。...

 でも、最近の演歌にでてくる「女いろ」はどんな色なのかなあ..?と思っています。

 ところで、阿部徳郎校長先生のお名前を久しぶりに目にしました。

 そして、(メロリンさんはよく校長先生のお話を聞いていたのですね)と思いました。

 「女というものは~」という話は私には少しも記憶にありません。家庭でも一応言われたことはあっても、さほど意識せずにいたように思います。

 でも、どんぐりさん!覚えていますか?中3の高校進学が近づいてくる頃のことを。

 当時男女別学だった宮城県の高校で私たちは当然女子高に入ることになっているのに...、ある日、どんぐりさんだったでしょうか?Mさんだったでしょうか?私に声をかけたのは...。

 「私たち、石巻高校(男子校)に入りたいから、石高の校長先生に頼みにいくから一緒に行かない?」

 意外な声掛けに驚いた私でしたが当時私は特に男子校に入りたいとは思わなかったので辞退しました。

 そしたら、3人で行ったとか...。

 結果は...?ダメだったようです。みんなで女子高を卒業しました。

 しかし、それから〇十年宮城県も男女共学となり、「宮城県立石巻女子高」は「宮城県立好文館高校」と名前が変わりましたね。

 本当に長かったです。半世紀近くもかかったのですね。もし、当時すぐ共学になったら、中村雅俊さんと一緒に学ぶ....なんていうことにもなったかも....(ハッハッハッハ...)

 改めて自分たちが過ごしてきた時代の移り変わりを感じたところですが、それにしても「東日本大震災」は、夢にも予想できなかった出来事でした。

 私たちは、時代の変化を身をもって体験している世代なのでしょうね。

 オシロイバナにヒントを得てこれからの人生、身の丈に合わせてある時は美しく(?)開いたり、ある時は慎ましく閉じたりしながら過ごしていきたいと思います。(年齢を忘れて無理をしないように自重します...。)

 メロリンさん、オシロイバナと紫陽花の取り合わせ、素敵ですね。鮮やかで優しい雰囲気でほっとするような姿です。

 

 


    「夕焼けのパノラマ」    ひまわりさんからのお便り

2017年07月10日 | お便り

 ひまわりさんからお便りが届きました。

 なんて見事な夕焼けでしょう!ひまわりさんが撮影した写真です。

 以下、お便りを紹介いたします。

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 この度の九州地方豪雨による被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

 何を信じて何を信じていないのか。神様を信じているつもりでも、意外に信じきっていない自分がいる。と気がつく。

  何かをもっともっと信じて安心して暮らせたらいいのになぁ。  

  7月3日の夕方は関東で空全体に360度の 夕焼けを見ました。 

  西の空に沈む太陽の周りは金色に輝き、反対側の東の空には、その反射した光が薄い紫色やピンク色に変化してバリエーションの色の美しかったこと!

 夕風は涼しく、薄着した身体中の肌をそよぎ、なんとも心地よい 夕べでした。  

  西の空に夕日を見ることはよくありますが、空全体に広がる夕日のパノラマは珍しいと思い、思わずシャッターを切りました。 

 夕焼けのメッセージは「明日は晴れる。」確かに関東は晴れました。 

 しかし、思いもよらず九州地方で豪雨による大被害が発生。この数日は他人事とは思えず心を痛めてニュースを見ることになりました。

 

 被災者は皆どこでも同じだと思いました。 

  雨が降り始めて一時間もしたらもう逃げ場がないという恐ろしさも想像してみました。

  それでも、なかなか豪雨は去りませんでした。 

  九州地方におきたような豪雨はこれから関東にも東北にも有りうると番組で話していました。これからは未来を想定内に収めて進んで行きたいものですね。なんとか。 

  大難が小難に、小難が無難にと。昔、昔、何処かの婆さんが言っていたっけなぁ。

  何時なんどき、何が起きても不思議でないこの年齢。

 今ほしいのは健康だけ。 

  こ の暑さの中で

 熱中症にもお気をつけてお過ごし下さい。

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  ひまわりさん、ありがとうございます。

 何気ない日常の中に、こんなに素敵な光景があるのだなあと自然のすばらしさを改めて感じさせられました。

 その反面、九州の豪雨災害では自然の恐ろしさをまたも突き付けられたような気がします。

 避難する暇もないような災害、他人事とは思えません。

 ボランティアも始まっていますが、そいう光景を見ると、健康って素晴らしいと思い、ボランティアができること自体が尊いなと感じます。

 数日の食糧の備えぐらいは私でもできますが、「いざ、避難!」となった時は、どれだけがんばれるのだろうか?とちょっと思ったりします。

 やっぱり、身体を鍛えることが必要!?なんて思ってしまいます。

 反対側の光景でしょうか?ずいぶんいろいろな表情を見せてくれるのですね。