東京の初台の私が携わった工事現場です。上階にオーナー住宅兼ワンルームマンションです。
大きい小さい、途中からの応援等も含めて4件目の建築現場でした。
昭和60年くらいだと思います。懐かしいです。手前に見える高速道路は当時はありません。
建築の良いところは、建物が残っていると言う事。道路だったら老朽化でなんどもアスファルト舗装をしますよね。
建築は、外装、内装、屋上防水等の修繕を計画に従って改修工事をするにしても、本体はそのままです。
2件目の工事現場の主任の先輩が、「若い頃は現場で寝袋でよく泊まったものだ」と言われて、試しにやってみました。
誰もいない工事現場の夜は、風で足場がカツカツ(金属同志がぶつかる音)音がして、とても怖くて眠れません。
【これで俺も一人前だ】と思ったものですが、一回やってやめました。
後日現場で泥棒が入った事もあり、泥棒と遭遇していたらどうなったか、殺されちゃいます。
エレベーターピットにティッシュ付きのうんこが1回あったのを覚えてます。
うんこする人も脂汗で切羽つまった事でしょう?と、うんこをした人の事を思いながらも、白井は掃除しました。
交差点の角に吉野家がありました。吉野家の牛丼は好きですが、昼と晩の1日に2回食べ続けたら、いくら好きな食べ物でも1週間で飽きたのを覚えてます。
工事が遅れて(最後は間に合いました)、高校の同期の結婚式に出席出来なく仕事をした事。
さらに竣工間際3カ月間土日関係なしに働いた事。
休み無しで働いても体がなれるものです。変に1週間に1回休むと体が疲れる事を体験しました。
今思えば、労働基準法(当時は金銭で処理されており、違法では無かったと思います)がなんだかんだと言うより、つらかったかも知れないが、仕事を習得できる楽しさがありました。
良くも悪くも、この体験(まだまだいっぱいあるのだけど、内緒)は宝ですね。
今、働き方改革なる言葉があり休業も大事とされておりますが、個人的には、
【働ける健康な体や心があるのなら、働いたら?!】
と単純に思います。働きたくとも働けない人もいる事の裏返しの表現です。