先の「色っぽいキモノ」の最初に紹介した藤純子さんの芸者姿。
あまりの艶やかさ、色っぽさにくらくらしそうです。
「女侠客伝」からのものですが、もうこの映画、藤さんのきもの姿を見るだけでも価値があります。
冒頭の一枚だけ写真撮るつもりでしたが、もう次から次にきれいなお姿が出てくるので、シャッター押しっぱなし~~。
惚れた男健さんを訪ねるとき。
「はい、この人に惚れております」と皆の前で公言する
ときの表情は可愛い、芸者姿の色っぽさがまた違う色を帯びています。
裾には燕? 季節は春だとわかります。
~~これでは全編紹介してしまいそうなんですが、この映画、藤さん初めての主演映画で、プロデュースしたのは父親の俊藤浩滋氏です。
藤純子の「藤」は名字の一部ですね。
この人、東映に「やくざ映画」路線を持ち込んだ人で、健さんものや「仁義なき戦い」
など、次々と大ヒットを出しています。
しかし、彼は40歳まで「何をしていたのかわからない」人で、映画界に仕事を得たきっかけは、京都の芸者さんと昵懇になり、「結婚」してから、とあります。
「おそめ」(石井妙子著・新潮文庫)からです。
その女性は「おそめ」さん。
芸者をやったあと、バーを開き、店には白洲次郎など各界の大物が集まったと言われた伝説の祇園芸妓です。
「結婚」したものの、俊藤は働きはなく、彼女の金の無心~~。
「あれは極道もんや、まともな仕事をしている人間と違う」と彼女の母親は、彼とつきあうことに大反対したとあります。
では、藤純子さんは、二人のあいだにできた娘かと思うと、さにあらず、彼はすでに「結婚」していたのです。
つまり、二重結婚、というわけです。
子どもまでできたあとに、突然「送金がない」と訪れた「妻」。
どんなに驚いたことでしょう、おそめさん。
前に結婚した女性とのあいだには三人も子供がいて、のちには、「おそめ」さんはその子供たちの金銭的な面倒を見たうえ、彼を映画界に入るきっかけまで作ったとあります。
結局、おそめさんは籍をいれなかったのですが。
前の女性(というか実の妻というか)の次女が純子さん。
彼女は、父親のプロデュースで一躍スターになるのですが、その前は「おそめさん」の家から学校に通うなど生活のすべてを彼女に負うていたと言います。
のちにNHK大河「義経」で静御前役で菊五郎と共演、スターの座を捨てて結婚したわけです。
しかし、純子さんからすれば、「芸妓に父親を奪われ(実際は違うと本にはありますが)、芸者としてスターになり、それを捨てて妻の座を取った」
結婚するときには、父親は「せっかくのスターの座を」と猛反対、
歌舞伎界からは「任侠女優」とこれも大反対されたそうです。
それを押し切っての結婚、生い立ちからくる強い意志を感じます。
「苦労は買ってでもしろ」といいますが、それがきものでいう「裏勝り」、密かに誇れるものに、もっと言えば裏打ちされているからこその美、であればいいなと思います。
結婚してからまた女優に戻られたとき「富司」と名前も変えたのもそんな事情があるというのはうがち過ぎでしょうか。
最後にその父親と「おそめ」さんのツーショットを。
ご子息の菊之助さんに似ていますね。
この男性にも、似てません?
フランス文学者の鹿島茂氏です。
ということは、菊之助と鹿島氏は似てる??
いえいえ、似ているにもいろいろあるものです。
「おそめー伝説の銀座マダム」(石井妙子著・新潮文庫)も、芸妓の生活やその後を描いて、興味深い一冊です。
今回は長くなりました。お付き合いありがとうございます。
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コメントありがとうございます。純子さま、本当に芯が強そうです。歌舞伎界は素人が入ると、それこそ皇室みたいに盛大ないじめがありますが、それにも耐えてきた。子どもの頃の経験が偲ばれます。それにしても、あの美貌、母親に似たのだと察しますが、どんなにきれいな方だったのでしょうか。
祇園の芸妓と長い付き合いがあった菊五郎さんは、電撃的に藤純子さんと結婚発表されました。しばらく祇園では、大ブーイングが続いたそうです。
コメントありがとうございます。勝気な人ですから、映画デビューすると決まったとき、懸命に勉強したのではないでしょうか。まさに才能ですね。なにごとにも負けない強い意志、年を重ねてからもスッピンで映画に出るなど迫力ある人です。