標題と直接関係はないのですが、こちらの
写真は商売繁盛で有名な豊川稲荷です。
正月に初詣に行ったとき撮影したのですが、
出来たのは700年前の室町時代のことだとか。
今川義元も、織田信長も、豊臣秀吉も信仰して
いたそうです。
さて、昨日の記事で、江戸東京博物館で開催されている
「山内一豊とその妻展」に行ってきたというお話
をしましたが、ここで何が一番印象的な展示だったかと言うと、
「腰巻き」の展示でした。
「腰巻き」というと普通は、昔の「下着」のことと思ってしまい
ますが(あるいは書籍の宣伝用の帯も「腰巻き」というみたいです
が)、この展示の「腰巻き」とは、下着でもなく、はたまた書籍の
帯でもありません、小袖の上に打ち掛けを着て帯を締め、打ち掛け
の両肩を脱いで着る着方を腰巻きと称するのです。これは言葉で
説明しようとすると何だかよくわからないので、図解の出ている
サイトをご紹介しましょう。こちらですここをクリック
このサイトに浅井長政婦人像というタイトルの絵が出ていますが、
これは悲劇の主人公のお市の方(淀殿の母親)です。これが腰巻き
というスタイルで、実際の人間がこの着方をしている写真が展示
してありました。私は、しばしこの展示をしばし見入ってしまい
ました。
全体の中でこの展示はそれほど注目を集めるようなものでは
なかったのですが、実はこれにはわけがあります。実はその前日、
「功名が辻」の三巻目を読んでいて、この腰巻きのスタイルが出て
きたのです。北の政所派と淀殿派の確執の中で、一豊の妻の千代を
自分の味方に引き入れたいと思っている淀殿が、千代に面会する姿
が、実はこの「腰巻き姿」なのです。原文を引用してみます。
「金銀糸の縫いとりをした唐織りの小袖の両肩を脱し、それを腰に
まとい、中着の純白地の小袖には、紅梅の大模様を金糸で縫いとり
している。あっと息をのむほどの派手な服装である」
千代がそれまで下げていた頭を少しあげて見えてきた淀殿の姿が
そのようであったと書いてあります。
この文章を読んだとき、これって具体的にどんな姿なんだろうと
気になって仕方がありませんでした。「小袖の両肩を脱し」って
どんな感じ?「それを腰にまとい」というのはどういうふうに?
考えれば考えるほど不思議になってしまったのです。というわけで、
こういう前提があってその展示を見たので、それが一層衝撃的で
あったのです。まさに目から鱗が落ちる感じでした。
「義経」の時代は、高貴な婦人たちは、きちっと十二単を着て
いました。それがいつからこのような「腰巻き」スタイルが出て
きたのか、非常に興味のあるところです。どなたかご存知の方は
教えて下さい。おそらく、何かのきっかけで、お洒落なスタイル
としてこの腰巻きスタイルが流行しだしたのですね。
これは当時としてはかなり過激なスタイルです。おそらく保守的な
人たちは、「ああ何てはしたない着方なのでしょう」と嘆いたに
違いありません。それが、何かのきっかけで、最先端でかっこいい
ファッションになったのだと思います。できればそのターニング
ポイントになったきっかけが知りたくてしかたありません。
織田信長もかなり過激な最先端のファッションリーダーであり、
豊臣秀吉もギンギラギンの超豪華ファッションの人だったので、
時代が「腰巻き」のようなちょっと着崩した感のあるスタイルを
生み出したのかもしれません。上半身がシンプルな白の小袖に対し
腰のところに巻いているのが派手目な打ち掛けというコントラスト、
そこに何かすごい潔さのようなものを感じてしまうのは私だけで
しょうか?見れば見るほどかっこいいような気がします。
「功名が辻」に出てくる千代は、当時の最先端のファッション
デザイナーです。自分でいくつもオリジナルデザインの小袖を作っ
ていて、かなりの人気を博します。北の政所も千代の小袖がほしく
てたまりませんでした。おそらく淀殿も千代を専属デザイナーと
してかかえたかったに違いありません。千代の小袖は、腰巻き
スタイルの路線とはちょっと違うのですが、当時の風雅を象徴して
います。
と、戦国時代の女性のファッションに着目してみたのですが、実は
男性のファッションもすごいです。江戸東京博物館の展示で見た
だけでハッとしたのですが、兎耳の兜とか、陣羽織とか、南蛮帽
とか一豊が使用したものが飾ってあったのですが、すごい最先端の
ファッションです。おそらく今の感覚でいうと、武人と芸能人の
アイドルを合わせたような輝きがあったんだなあと思います。
命がけで戦っている一方で、武具はかなり過激にお洒落をする。
この感覚は、ものすごい美学だったんでしょうね。今からでは
想像もできませんが、そんな時代の心意気が忍ばれます。
さて、明日は新年早々、インド出張です。
明日以降は、これまでと全然変わってインドっぽい雰囲気になる
と思います。よろしくお願いいたします
写真は商売繁盛で有名な豊川稲荷です。
正月に初詣に行ったとき撮影したのですが、
出来たのは700年前の室町時代のことだとか。
今川義元も、織田信長も、豊臣秀吉も信仰して
いたそうです。
さて、昨日の記事で、江戸東京博物館で開催されている
「山内一豊とその妻展」に行ってきたというお話
をしましたが、ここで何が一番印象的な展示だったかと言うと、
「腰巻き」の展示でした。
「腰巻き」というと普通は、昔の「下着」のことと思ってしまい
ますが(あるいは書籍の宣伝用の帯も「腰巻き」というみたいです
が)、この展示の「腰巻き」とは、下着でもなく、はたまた書籍の
帯でもありません、小袖の上に打ち掛けを着て帯を締め、打ち掛け
の両肩を脱いで着る着方を腰巻きと称するのです。これは言葉で
説明しようとすると何だかよくわからないので、図解の出ている
サイトをご紹介しましょう。こちらですここをクリック
このサイトに浅井長政婦人像というタイトルの絵が出ていますが、
これは悲劇の主人公のお市の方(淀殿の母親)です。これが腰巻き
というスタイルで、実際の人間がこの着方をしている写真が展示
してありました。私は、しばしこの展示をしばし見入ってしまい
ました。
全体の中でこの展示はそれほど注目を集めるようなものでは
なかったのですが、実はこれにはわけがあります。実はその前日、
「功名が辻」の三巻目を読んでいて、この腰巻きのスタイルが出て
きたのです。北の政所派と淀殿派の確執の中で、一豊の妻の千代を
自分の味方に引き入れたいと思っている淀殿が、千代に面会する姿
が、実はこの「腰巻き姿」なのです。原文を引用してみます。
「金銀糸の縫いとりをした唐織りの小袖の両肩を脱し、それを腰に
まとい、中着の純白地の小袖には、紅梅の大模様を金糸で縫いとり
している。あっと息をのむほどの派手な服装である」
千代がそれまで下げていた頭を少しあげて見えてきた淀殿の姿が
そのようであったと書いてあります。
この文章を読んだとき、これって具体的にどんな姿なんだろうと
気になって仕方がありませんでした。「小袖の両肩を脱し」って
どんな感じ?「それを腰にまとい」というのはどういうふうに?
考えれば考えるほど不思議になってしまったのです。というわけで、
こういう前提があってその展示を見たので、それが一層衝撃的で
あったのです。まさに目から鱗が落ちる感じでした。
「義経」の時代は、高貴な婦人たちは、きちっと十二単を着て
いました。それがいつからこのような「腰巻き」スタイルが出て
きたのか、非常に興味のあるところです。どなたかご存知の方は
教えて下さい。おそらく、何かのきっかけで、お洒落なスタイル
としてこの腰巻きスタイルが流行しだしたのですね。
これは当時としてはかなり過激なスタイルです。おそらく保守的な
人たちは、「ああ何てはしたない着方なのでしょう」と嘆いたに
違いありません。それが、何かのきっかけで、最先端でかっこいい
ファッションになったのだと思います。できればそのターニング
ポイントになったきっかけが知りたくてしかたありません。
織田信長もかなり過激な最先端のファッションリーダーであり、
豊臣秀吉もギンギラギンの超豪華ファッションの人だったので、
時代が「腰巻き」のようなちょっと着崩した感のあるスタイルを
生み出したのかもしれません。上半身がシンプルな白の小袖に対し
腰のところに巻いているのが派手目な打ち掛けというコントラスト、
そこに何かすごい潔さのようなものを感じてしまうのは私だけで
しょうか?見れば見るほどかっこいいような気がします。
「功名が辻」に出てくる千代は、当時の最先端のファッション
デザイナーです。自分でいくつもオリジナルデザインの小袖を作っ
ていて、かなりの人気を博します。北の政所も千代の小袖がほしく
てたまりませんでした。おそらく淀殿も千代を専属デザイナーと
してかかえたかったに違いありません。千代の小袖は、腰巻き
スタイルの路線とはちょっと違うのですが、当時の風雅を象徴して
います。
と、戦国時代の女性のファッションに着目してみたのですが、実は
男性のファッションもすごいです。江戸東京博物館の展示で見た
だけでハッとしたのですが、兎耳の兜とか、陣羽織とか、南蛮帽
とか一豊が使用したものが飾ってあったのですが、すごい最先端の
ファッションです。おそらく今の感覚でいうと、武人と芸能人の
アイドルを合わせたような輝きがあったんだなあと思います。
命がけで戦っている一方で、武具はかなり過激にお洒落をする。
この感覚は、ものすごい美学だったんでしょうね。今からでは
想像もできませんが、そんな時代の心意気が忍ばれます。
さて、明日は新年早々、インド出張です。
明日以降は、これまでと全然変わってインドっぽい雰囲気になる
と思います。よろしくお願いいたします