坂本龍一さんをはじめとするアーチストの方々が、
「柏崎刈羽原発の運転再開は危険です。」というメッセージへの賛同を呼びかけています。
これは広く一般の方の賛同を求めているものですので、ぜひみなさんも賛同をお願いします。 ↓ここです
おやすみなさい、柏崎刈場原発
アーティストによる自然エネルギー促進プロジェクト「Artists' Power」発。
発起人は坂本龍一さん。
それに小林武史さん、櫻井和寿さんが加わり自然エネルギー・省エネルギー・環境に関するさまざまなプロジェクトに融資する市民バンクを設立しています。
その市民バンクの名前は、『ap bank』(非営利組織)
ap bank公式ホーム・ページ http://www.apbank.jp/
先にご紹介した『再稼動させないために』を書いた山田征さんという方も署名を集めていらっしゃいます。
また、隠された真実を知るための勉強会『菜の花の会』を開いているそうです。
☆次回は11月25日西東京市ひばりが丘公民館和室13:15~
☆稲田堤でも勉強会が開かれていて、こちらは22日10:00~
詳しくは電話0422-33-9282まで。
『菜の花つうしん』に書かれていた文章をご紹介しますね。
月に一度「デイズジャパン」というグラビア誌が届きます。毎回表紙の端に「一枚の写真が国家を動かすこともある」と書かれています。このグラビア誌は、パレスチナやイラク、チェルノブイリ、その他さまざまな国々の惨状をしつこく追い続け、取材している広川隆一さんの熱く強い思いの中で発行されているものです。
ページをめくります、“あっ”と息をのみ思わずパタン、と閉じてしまい、もう二度と開く勇気がなくなってしまうことがよくあります。そしてそのページを抜かしておそるおそるそっと次のページに指をのばします。それは、そこにある写真よりもっともっと残忍でひどい現実の中から切り取った、ほんのひとコマにすぎません。
「国家を動かす」、とはその前にまずひとりひとりの「人間の心を動かす」、ということなのだろう、と思います。長期に泥沼化していたかつてのベトナム戦争を空疎国終焉に向かわせたのも、ある一枚の写真だった、と言われます。
先日26日、ミャンマーのデモ取材中の長井健司さんという方が銃撃され、亡くなられた報道が続いています。記事によりますと「誰も行かないところへは、誰かが行かなければならない」、という言葉が口癖だったと言うことです。この言葉を聴きますとなかなか勇気のいる行為に思えますが、おそらくこういう方は、その言葉以前にいつも体が動いてしまってその現場に立っていたのでは、と私は思います。ここまで書いていて、なんだか泣けて仕方ありません。その時長井さんが撮っていたビデオカメラは戻ってこなかったそうです。そのカメラの中には、貴重な現場の様子がどれほど沢山収められていたかと思いますと、長井さんの魂を二度と取り戻せないのと同じほどに悔しく残念に思えてなりません。
いまは時代が代わり、このように重く苦しい現実も明るく楽しく捉え、表現、アピールしましょう、という風潮が大勢化しています。そうでないと人は来ないし逃げてしまう、というわけです。世の中のいろんな動きをみていますと、本当にそうだ、と思います。でもそんな風潮には乗りきれない不器用な人間もいることは確かです。私もそんな中の一人だな、とつくづく思います。この“菜の花の会”という小さな勉強会を始めて、今月で5年10ヶ月になります。九・一一のテロ事件がきっかけで始めた勉強会でしたから、初めは予想以上に多くの方々が参加して下さいました。でも年月が経つにつれその数はだんだん減少し、時には数人、ということも度々あります。
アメリカがなぜあのようなテロ攻撃を受けたのか、この地上からなぜいつまで経っても戦争、という名の殺し合いがなくならないのか、その答えを出すのはやはり、暗く重い負の歴史、そして人間の心が持つ闇の部分まで見ていかなければとても全体像を描き出してはいけないし、解決の道も得られない、と私は思っています。
「二度と戦争はいや、平和を…」と言葉だけで言っても、戦争を引き起こす原因は何か、平和はどうして創りあげていくのか、と具体的に考え行動しなければ何も生まれてはいかない、と私は考えています。
「全体が幸せでなければ個の幸せはない」といった内容の宮沢賢治の言葉がありますが、ほんとうにそうだな……。と思うのです。
というわけで私の方は「他の人があまりやりたがらないもの、観たいと思わないもの、知りたくないもの」そんなものをあえてしつこくやっていきたいと思います。
ご都合つかれましたら、ぜひご参加下さい。 お待ちしています。
十月三日 山田 征
資料と一緒にお手紙が同封されていました。
「私はもうすぐ七十才になる者です。でも若いころから、いろんなことを沢山手がけてきましたのでいまも、全国各地をとびまわって」いらっしゃるそうです。
「なかなか関心を持ってくれる人は少なくてさびしい思いをしています」
とも書かれていましたが、文面はとても力強かったです。
お近くの方、興味を持たれた方は、どうぞご参加くださいね。
「柏崎刈羽原発の運転再開は危険です。」というメッセージへの賛同を呼びかけています。
これは広く一般の方の賛同を求めているものですので、ぜひみなさんも賛同をお願いします。 ↓ここです
おやすみなさい、柏崎刈場原発
アーティストによる自然エネルギー促進プロジェクト「Artists' Power」発。
発起人は坂本龍一さん。
それに小林武史さん、櫻井和寿さんが加わり自然エネルギー・省エネルギー・環境に関するさまざまなプロジェクトに融資する市民バンクを設立しています。
その市民バンクの名前は、『ap bank』(非営利組織)
ap bank公式ホーム・ページ http://www.apbank.jp/
先にご紹介した『再稼動させないために』を書いた山田征さんという方も署名を集めていらっしゃいます。
また、隠された真実を知るための勉強会『菜の花の会』を開いているそうです。
☆次回は11月25日西東京市ひばりが丘公民館和室13:15~
☆稲田堤でも勉強会が開かれていて、こちらは22日10:00~
詳しくは電話0422-33-9282まで。
『菜の花つうしん』に書かれていた文章をご紹介しますね。
月に一度「デイズジャパン」というグラビア誌が届きます。毎回表紙の端に「一枚の写真が国家を動かすこともある」と書かれています。このグラビア誌は、パレスチナやイラク、チェルノブイリ、その他さまざまな国々の惨状をしつこく追い続け、取材している広川隆一さんの熱く強い思いの中で発行されているものです。
ページをめくります、“あっ”と息をのみ思わずパタン、と閉じてしまい、もう二度と開く勇気がなくなってしまうことがよくあります。そしてそのページを抜かしておそるおそるそっと次のページに指をのばします。それは、そこにある写真よりもっともっと残忍でひどい現実の中から切り取った、ほんのひとコマにすぎません。
「国家を動かす」、とはその前にまずひとりひとりの「人間の心を動かす」、ということなのだろう、と思います。長期に泥沼化していたかつてのベトナム戦争を空疎国終焉に向かわせたのも、ある一枚の写真だった、と言われます。
先日26日、ミャンマーのデモ取材中の長井健司さんという方が銃撃され、亡くなられた報道が続いています。記事によりますと「誰も行かないところへは、誰かが行かなければならない」、という言葉が口癖だったと言うことです。この言葉を聴きますとなかなか勇気のいる行為に思えますが、おそらくこういう方は、その言葉以前にいつも体が動いてしまってその現場に立っていたのでは、と私は思います。ここまで書いていて、なんだか泣けて仕方ありません。その時長井さんが撮っていたビデオカメラは戻ってこなかったそうです。そのカメラの中には、貴重な現場の様子がどれほど沢山収められていたかと思いますと、長井さんの魂を二度と取り戻せないのと同じほどに悔しく残念に思えてなりません。
いまは時代が代わり、このように重く苦しい現実も明るく楽しく捉え、表現、アピールしましょう、という風潮が大勢化しています。そうでないと人は来ないし逃げてしまう、というわけです。世の中のいろんな動きをみていますと、本当にそうだ、と思います。でもそんな風潮には乗りきれない不器用な人間もいることは確かです。私もそんな中の一人だな、とつくづく思います。この“菜の花の会”という小さな勉強会を始めて、今月で5年10ヶ月になります。九・一一のテロ事件がきっかけで始めた勉強会でしたから、初めは予想以上に多くの方々が参加して下さいました。でも年月が経つにつれその数はだんだん減少し、時には数人、ということも度々あります。
アメリカがなぜあのようなテロ攻撃を受けたのか、この地上からなぜいつまで経っても戦争、という名の殺し合いがなくならないのか、その答えを出すのはやはり、暗く重い負の歴史、そして人間の心が持つ闇の部分まで見ていかなければとても全体像を描き出してはいけないし、解決の道も得られない、と私は思っています。
「二度と戦争はいや、平和を…」と言葉だけで言っても、戦争を引き起こす原因は何か、平和はどうして創りあげていくのか、と具体的に考え行動しなければ何も生まれてはいかない、と私は考えています。
「全体が幸せでなければ個の幸せはない」といった内容の宮沢賢治の言葉がありますが、ほんとうにそうだな……。と思うのです。
というわけで私の方は「他の人があまりやりたがらないもの、観たいと思わないもの、知りたくないもの」そんなものをあえてしつこくやっていきたいと思います。
ご都合つかれましたら、ぜひご参加下さい。 お待ちしています。
十月三日 山田 征
資料と一緒にお手紙が同封されていました。
「私はもうすぐ七十才になる者です。でも若いころから、いろんなことを沢山手がけてきましたのでいまも、全国各地をとびまわって」いらっしゃるそうです。
「なかなか関心を持ってくれる人は少なくてさびしい思いをしています」
とも書かれていましたが、文面はとても力強かったです。
お近くの方、興味を持たれた方は、どうぞご参加くださいね。
取り返しのつかない事になる前に、できる事をしたいです。
心を痛めていらっしゃることと思います。
そうですね…、できることをやっていきましょう。
もう急がないとね。