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『1491:先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』

チャールズ・C. マン、2007、『1491:先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』、日本放送出版協会

寝本にしては大部で重い本書を読むのはいささか時間を要した。なにしろ、おちついて、椅子にすわってひもとく時間がなかったとは、単なる言い訳だけれど・・・。
本書は瞠目の一書である。それは、知らなかった(報道されない、まとまって出版されない)からではあるが、まことにお恥ずかしいことではあった。とりあえず、以下の諸点を指摘しておきたい。
1:コロンブスの1492年の「新大陸発見」はヨーロッパ人のそれであって、すでに先住民がいたというのは、すでに常識ではあるが、しかし、コロンブス艦隊、その後のスペイン艦隊などについて先住民がどのように見たかという視点で見たかについて思いをはせることはなかった。
2:その後、先住民たちは「不幸な交流(ヨーロッパから伝染病が持ち込まれた)」によって人口を大幅に減らし、現在も政治経済的な抑圧のもととなる原因がヨーロッパ人による新大陸発見であるというが、人類にとっての新大陸がどのように南北アメリカ先住民によって経営されていたのか、思いをはせることはなかった。
3:現在のアマゾン川流域のジャングルを開発しないことは地球環境にとって大きな意味があるとはいうが、そのアマゾン川流域は果たして手付かずの自然そのものであったかどうか検証することもなく、所与のものとしてしまっていた。
4:「新大陸」に誕生した、「理想国家」であるアメリカ合州国の政治機構は、果たして、ヨーロッパの理想的な国家、民主主義国家の理念によって生み出されたものであったかどうか。北米先住民の政治機構の影響についてはたして考慮していたのであるか。
5:南北アメリカの先住民について、先学の築きあげたセオリーを鵜呑みにしてはいなかったか。つまり、すでに発見されていたことだけで、先住民の社会機構に対する理解についてことたれりとしていなかったか。
6:西欧文明との対比において、知らず知らずのうちに進化主義的なアイデアを鵜呑みにしていて先住民の文明について過小評価してはいなかったか。特には、環境との関係や様々な技術、あるいは、文字や歴史観についても同様である。

わたしたちは、ややもすると、現在知識が完備されたものであるように思いがちだが、あくまでも、現在までの知見とそれに基づく仮説検証が行われているというステージであることを忘れがちである。マスコミの報道も、現時点における「真実」をもとに,裁きがちではあるが、われわれは、現在の視点はあくまでの仮のものであることを忘れてはならない。その意味で本書は、南北アメリカ大陸に対する既成概念を打破してくれるという意味で、非常に大きな意味を持っていると言えよう。我々はまだまだ知らないのであって、より知るために何をなすべきかを学びとっていくべきなのである。

現在の温暖化ガス抑制の論調からすると、アマゾンという酸素を排出するジャングルを破壊する焼畑は唾棄すべきものであり、アマゾンの緑の密林は守るべき象徴であるかにおもえるのだが、これまた、じっくり考えたほうが良いだろう。生業のための焼畑による森林の破壊と、開発のための森林破壊、そのようなてんびんをかけた場合、どちらの破壊の方が大きいのか、しかしまた、人類が必ずしも予定調和的に自然と共存してきたなどというのは幻想であるということ、これらを知らねばならないだろう。

本書を読んでいて、愕然としたことがある。これまで,知識として知っていた北米の空を覆うリョコウバトの大群、平原を埋め尽くすバッファローの群、こうした群が、白人社会の西進と共に破壊されたという、環境破壊の象徴のよう理解していたのだが、ひょっとして、違うかもしれない。北米に居住した先住民にとって、リョコウバトやバッファローは先住民の食料獲得のための相手である。したがって、先住民が、しっかりと大地に根ざした生活を実現していた時代には、競合関係にあったリョコウバトやバッファローの人口は先住民の生活手段により制限されていたはずである。空を覆うリョコウバトの大群や、平原を埋め尽くすバッファローは、それより前に、先住民の生活が失わされていたことの兆候であると読み取らなければならなかったのだ。
お分かりのように、我々の持つ空を埋め尽くすリョコウバトの大群や平原を埋め尽くすバッファローという幻想は、先住民による自然に対する干渉を無視していたことを意味している。つまり、我々は、二重の意味で先住民の存在を否定していたのである。
先住民の存在は、環境に大してほとんど影響を持ちえなかったという、先住民と環境との相互関係に対する過小評価、あるいは、無視。さらには、コロンブス以降のヨーロッパのアメリカ大陸への侵入の多大なる影響にたいする過小評価である。つまり、先住民の文明あるいは人口は、南北アメリカ大陸にそれほど大きな影響をおよぼしていたにもかかわらず、ヨーロッパの負の影響力によって抹殺されてしまっていた。そのことを知らずして我々は、無人の広野を行くようなヨーロッパ人の南北アメリカへの侵入として理解していたのである。本書の意義は、まさに、こうした二重の意味における我々の無知をひらくものであるといえよう。

1491―先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
チャールズ・C. マン
日本放送出版協会

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2009-03-15 23:37:24 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


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