『紫式部と藤原道長』(電子版)
本書は、古記録をもとに紫式部と藤原道長の関係を描いたものである。時代を追ってその関係が描かれるが、最大のポイントは、「枕草子」と「源氏物語」あるいは、清少納言と紫式部の対決、といったところなのではある。とはいえ、その対決の背後にあるのは、道長の摂関政治の完結に関わったということにある。
道長の兄の道隆が一条帝の后・皇后として送り込んだ「定子」の華やかなサロンは、清少納言の「枕草子」の記述によって「定子」の死後もその華やかさが語り継がれていた。それに対抗して、道長は娘「彰子」を送り込み、「彰子」の生んだ皇太子、天皇の外孫としての権力を講師することが狙いであった。ところが、「彰子」の地味なサロンを活性化するひつようがあった。そこで、紫式部を女房(おつきの世話役)として送り込んで、「源氏物語」を執筆させ、「彰子」への一条帝の寵愛を得ようとしたものであるという点にある。
ドラマでは紫式部は「まひろ」、清少納言は「ききょう」の名が与えられているが、史実はどちらも本名も生没年も不詳であることは知っておいてよいだろう。清少納言は、父の姓の「清原」から「清」、父の職位の「少納言」からとられた女房名である。紫式部は、清少納言にならえば、おそらくは当時は「藤式部」とでも呼ばれていたであろうが、「紫」については、「源氏物語」の「紫の上」の「紫」から取られているようで、存命中に「紫」と呼ばれていたと考えられる。
これまたNHK大河ドラマ「光る君へ」の副読本として、あまり知らない平安時代について知ろうとしたものだ。
道長の兄の道隆が一条帝の后・皇后として送り込んだ「定子」の華やかなサロンは、清少納言の「枕草子」の記述によって「定子」の死後もその華やかさが語り継がれていた。それに対抗して、道長は娘「彰子」を送り込み、「彰子」の生んだ皇太子、天皇の外孫としての権力を講師することが狙いであった。ところが、「彰子」の地味なサロンを活性化するひつようがあった。そこで、紫式部を女房(おつきの世話役)として送り込んで、「源氏物語」を執筆させ、「彰子」への一条帝の寵愛を得ようとしたものであるという点にある。
ドラマでは紫式部は「まひろ」、清少納言は「ききょう」の名が与えられているが、史実はどちらも本名も生没年も不詳であることは知っておいてよいだろう。清少納言は、父の姓の「清原」から「清」、父の職位の「少納言」からとられた女房名である。紫式部は、清少納言にならえば、おそらくは当時は「藤式部」とでも呼ばれていたであろうが、「紫」については、「源氏物語」の「紫の上」の「紫」から取られているようで、存命中に「紫」と呼ばれていたと考えられる。
これまたNHK大河ドラマ「光る君へ」の副読本として、あまり知らない平安時代について知ろうとしたものだ。