South Is. Alps
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Coromandel
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Square Kauri
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Lake Griffin
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ジェーン・ジェイコブズ

最近、以下のウェッブサイトの文章(稲葉振一郎:明治学院大学社会学部:社会倫理学)につられてジェーン・ジェイコブスの存在を知り、彼女の著作を読み始めている。
ジェーン・ジェイコブスについて残念ながらこれまで知る機会がなかったのだが、なかなか興味深い人物である。アカデミクスの世界とは無縁のキャリアで、学歴も高卒(だからどうだというわけではない)。彼女の関心は、都市計画と経済学。都市計画についても、モダンな機能を最重視する人工都市計画ではなく、猥雑な歴史性を持った町並みを重要視する。経済学についても、「ホモ・エコノミクス」としての人間の経済行為について考察するのではなく、むしろ、根元的なところから人間経済とは何かについて問い直す。まだ、読み始めたところで、何ともいえないところだが、誤りをおそれずの感想は、もう一度カール・ポランニーと読み比べてみたいと言ったところか。
ウェッブサイトの中で気に入ったフレーズは、
「狩猟採集社会においてすでに部族社会間の交易が始まっており、交易拠点となる定住集落としての都市も発展を始めた。そして牧畜も農耕も、取引のために動植物をそこでストックすることから始まる。最初はただ単に保存・飼育しておいただけであろうが、偶然から繁殖・栽培が行なわれるようになり、やがては品種改良を伴う牧畜・農耕へと発展していったのだ。では農村とは何かといえば都市の衛星地域、交易ネットワークの中心としての都市によって周辺化された??地域間分業の一端を担うよう、特定産品の産地としてモノカルチャー化された地域なのである。」
また、「どれほど孤立した「未開社会」であっても、もともとその地で発生したのではなく、彼らの祖先はかつて他所の土地から移動してきたはずである(人類の起源は特定の個体「ミトコンドリア・イブ」にまで遡りうる)から、かつては他のコミュニティとつながっていたはずである。だから「未開社会」は人類の原始状態を今に伝えるものではなく、都市から、交易ネットワークから切り離されたローカルコミュニティがどうなってしまうか、を例示するものである、というのである。交易ネットワークから切り離されたコミュニティは、多くの場合、ことにその内部で複雑な分業と交易のネットワークが展開できるくらいの規模がない場合には、経済的、技術的、文化的にただ停滞するだけではなく、衰退するのである。技術や知識はただ単に洗練を止めるだけではなく、忘れられ、失われていくのである。」
http://www.hotwired.co.jp/altbiz/inaba/031202/

2003-12-26 23:51:26 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


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